「すべての人間が一カ所に集まってジャンプしたらどうなるか?」など、ふと気になっても、「いや、そんなことはありえない」と、うっちゃってしまうような疑問や、「周期表を現物の元素で作ったらどうなるか?」など、突拍子もない疑問に、科学と数学と、シンプルな線画のマンガを使って答える本。アメリカでは、サイエンス系の本としては破格の大ヒットで、ニューヨークタイムズのベストセラー・リストに34週連続で載った。
著者のランドール・マンローは、大学で物理学を学んだあとNASAでロボット工学者 として働いた人物。現在はフルタイムのウェブ漫画家で、「恋愛と皮肉、数学と言語の ウェブコミック」、xkcdというサイトを運営している。そこから派生した読者投稿サイト、xkcd What If が本書のベースだ。マンローは投稿される疑問に、数学と科学、そして「ユーモア力」を駆使して、あっと驚くような答えを出す。その過程で、知人の専門家に問い合わせる、書籍を調べる、冷戦時代の研究データを参照するなど、できる限りの調べものをする。また、それらを使っていろいろ推論を重ねたあげくの「落ち」が 実に軽妙洒脱で、ときどき皮肉。読みながら、「くすっ」、または「あっはっは……」 と、笑えるところがたくさんある。
マンローは、「数学がそのもの好きというより、既知のことを元に、紙の上で数学を使うだけで、思いがけないことがわかるのが楽しいのだ」と言う。(※TEDの動画をご覧ください)。
数学力と調査力、科学の知識があれば、実際に実験したり、その場に行って確かめられないようなことでも、そこそこ見積もることができる。それで大発見ができるかどうかはまた別だが、本書でマンローの思考経路をなぞらせてもらうと、そんなことができる数学や科学が前より少し好きになり、そういう具合に把握できるこの世界も、前より少し好きになれそうだ。
大本になる「既知のこと」の典拠が示されないこともときどきあり、推論の根拠もすべてが明確にはされていないので、もしかしたらフラストレーションがたまるかもしれない。そういう場合、ご自分なりに調べものをして、独自の答を出してみては?
ここで使われる計算は、紙と鉛筆でできるような、大胆な近似を使った概算がほとんど。実は理系の大学生は必ず教わるもので、試験でも、「桁が合っていれば正解」という設問が出たりする。そんなわけで、超弩級で大胆なマンローの答は、桁もちょっとずれている可能性はある。どの典拠のどんな数値を使うか、どんな仮定をするかで、答は 大きく変わる。「もしかすると、こういう落ちにしたいから、こういう数値を使っているのか?」と、思う箇所もある。そこは、著者の偉大なユーモア力に免じて、目くじらは立てないことにしましょう。どうぞ、お楽しみください。
2015年5月 吉田三知世
質問. 光速の90パーセントの速さで投げられた野球のボールを打とうとしたら、どんなことが起こりますか?
──エレン・マクマニス
答.結論からすると、「いろいろなこと」が起こるというのが答だ。そして、すべては極めて短時間に起こり、バッターには(そしてピッチャーにも)気の毒な結果になる。この質問に取り組むに当たり私は、物理の本数冊、名投手ノーラン・ライアンのアクションフィギュア1体、核実験の動画多数を準備し、すべてを明らかにしようとがんばった。ここに、1ナノ秒ごとに何が起こるかを検討して、私が推測しえた最も確かな結果をご紹介する。
ボールが極めて高速なので、それ以外のものは事実上静止していると見なせるだろう。空気中の分子さえもがじっとしているはずだ。空気の分子は時速数千キロの速さで振動しているだろうが、ボールは時速約10億キロで飛んでいる。したがって、ボールにとっては、空気分子など停止しているのと同じだろう。
ここでは空気力学の考え方はまったく使えない。空気中を何かが運動している場合、空気はその物体を避けるようにして、その周囲をぐるりと回って流れるのが普通だ。しかし、このボールの前にある空気分子には、わきへよける時間がない。ボールは分子に激突し、空気分子はボールの表面の分子と核融合するだろう。衝突のたびに大量のガンマ線が放射され、核融合によって生じた粒子が周囲に散乱されるだろう。(※)
ガンマ線も核融合生成物の破片も、ピッチャー・マウンドを中心に、球形に広がっていく。巨大な泡のように。ガンマ線と核融合生成物は、空気中の分子の原子核から電子を奪い去り、空気分子をずたずたに破壊しはじめる。球場内の空気は高温のプラズマと化し、膨張する。この「ガンマ線+核生成物」の球の表面は、ボールそのものよりもほんの少しだけ先に、光速に近いスピードでバッターに近づく。
ボールの前で核融合が起こりつづけるので、ボールは押し戻され、スピードが落ちる。まるで、エンジンを稼働させた状態で逆向きに飛んでいるロケットだ。だが残念ながら、ボールの速度があまりに大きいため、この熱核融合でものすごい力が生じても、ボールはたいして減速しない。とはいえ、やがてボールの表面はむしばまれはじめ、ボールの超微小片が四方八方に吹き飛ばされる。この超微小片は超高速で飛び散っているので、空気分子とぶつかると、あらたに核融合のプロセスが2つ3つ引き起こされる。
約70ナノ秒後、ボールはホームベースに到着する。このときバッターには、ピッチャーがボールから手を離すところすらまだ見えていない。なぜなら、この情報を運んでいる光は、ボールとほぼ同時に到着するはずだからだ。空気との衝突で、ボールはほとんどあとかたもなくなっているだろうし、先ほどまで泡状だった膨張するプラズマの雲(主に炭素、酸素、水素、窒素からなる)は、先端が尖った細長い弾丸形になって空気中を突進し、進みながらどんどん核融合を引き起こしているだろう。一番外側のX線の層が最初にバッターにぶつかり、続いて数ナノ秒後、核生成物微粒子の雲がぶつかるだろう。
ホームベースに到達するころ、プラズマ雲の中心は依然として光速にかなり近い速度で運動している。最初にバットにぶつかり、続いて、バッター、ベース、キャッチャーが巻き込まれ、それらはすべて崩壊して微粒子となって、バックネットをすり抜けてグラウンドの外へ飛び去る。最外殻のX線層と超高温のプラズマは外側へ、かつ上側へと膨張し、バックネット、両チーム、観客席、そして近隣を飲み込んでいく。ここまでが最初の1マイクロ秒に起こる。
あなたは町はずれの丘の上から様子を見ているとしよう。最初に見えるのは、太陽よりはるかに明るい、目もくらむような光だ。この光は2、3秒で弱まり、次に火の玉が膨張したかと思うと、やがてキノコ雲になって空高く伸びていく。そして、轟音とともに爆発が起こり、木々はずたずたに引き裂かれ、家屋は粉々に破壊される。
球場の1.5キロ以内にあるものはすべて潰え去り、周辺の市街地全体が猛火に包まれる。球場のダイヤモンドだった場所はいまや、かつてバックネットがあったところより数十メートルから100メートルほど外の地点を中心とする、巨大なクレーターとなっている。
メジャーリーグ・ベースボール規則6.08(b)によれば、この状況では、バッターは「死球」を受けたと判断され、1塁に進むことができるはずだ。
(※) この文章を最初に公表したあと、MITの物理学者であるハンス・リンダークネヒトが、 自分のラボでこのシナリオをシミュレーションしてみたと言ってきた。 彼によれば、 投球直後は空気分子の速度が速くてボールをよけていってしまうために核融合が起こるには至らず、 上で書かれているよりも時間をかけて、均一に温度上昇が起こる。
質問.地球にいるすべての人間ができる限りくっつきあって立ってジャンプし、全員同時に地面に降りたら、どんなことが起こりますか?
──トマス・ベネット(ほか大勢のみなさん)
答.これは、私のウェブサイトに大勢の読者から投稿される質問のなかでも、最も頻繁に来るもののひとつだ。〈ScienceBlogs〉や〈The StraightDope〉など、よそのサイトでもすでに検討されている。それらのサイトでは、運動学的側面についてはかなり詳細に論じているが、見過ごされている点もある。
では、本題に入ろう。
この質問の出発点では、地球のすべての人間が、何らかの摩訶不思議な方法で1カ所に集められている。
この一団は、ロードアイランド州くらいの広さの場所を占める。だが、「ロードアイランド州くらいの広さの場所」などという曖昧な言葉を使う必要もないだろう。ここでは具体的な話として進めていこう。彼らは実際にロードアイランドに集まったのだとしよう。
正午の時報と同時に全員がジャンプする。
他サイトでも論じられているように、全員で同時にジャンプしても地球にはほとんど何の影響もない。地球は人間全員を合わせたよりも10兆倍も重い。人間はだいたい、調子のいい日なら、上に向かって垂直に50センチメートルほど跳べる。仮に地球が剛体(力が作用しても変形しない、仮想的な物体のこと)で瞬時に反応したとしても、原子1個分も押しやられはしな
いだろう。
次の瞬間、全員が地面に戻ってくる。
理屈のうえでは、これによってかなりのエネルギーが地球に与えられることになるが、そのエネルギーはかなりの広さの面積に広がっているので、せいぜいあちこちの庭に足跡が付くぐらいのものだ。小さなパルス状の圧力が北米大陸部分の地殻全体にひろがっていき、ほとんど何の影響も及ぼさずに薄れて消えてしまう。みんなの足が着地したときには、大きな音が
鳴り響き、それは何秒か続くだろう。
やがてあたりは静まる。
数秒が経過する。全員があたりを見回す。
気まずい雰囲気が漂い、みなちらちらと他の人の様子を窺う。誰かが咳払いをする。
誰かがポケットから携帯電話を取り出す。数秒のうちに、世界中の50億台の携帯電話が取り出される。そのすべてが──この地域の中継局の信号を受けられるものも含めて──「圏外」「NO SIGNAL」など、信号が届いていないことを示す表示になる。携帯電話のネットワークがすべて、前例のない負荷でダウンしてしまったのだ。ロードアイランド以外の場所では、放置された機械類が次々と停止しはじめる。
ロードアイランドのウォリックにあるT・F・グリーン空港は、1日当たり数千人の旅客を扱う。この空港が必要な段取りを整えて(燃料を探し回り調達するための人員を派遣することも含めて)、通常の500パーセントの処理能力で数年間稼動したとしても、集まった人間の一団が目に見えて縮小することはないだろう。
近隣の空港が数カ所協力しても、事態はほとんど変わらない。このあたりの路面電車にしてもそうだ。人々がプロビデンスの深水港に停泊しているコンテナ船に乗り込んでも、長い船旅に備えて十分な食料と水を搭載するのは難しい。
ロードアイランドの50万台の自動車が略奪される。まもなく、州間高速道路I-95、I-195、I-295では地球史上最悪の交通渋滞が起こる。ほとんどの車は群集に囲まれてしまうが、幸運な数台はこれを抜け出し、もはや誰にも管理されていない道路網をさまよいはじめる。
ニューヨークやボストンを越えられる車もあるだろうが、やがてガス欠で止まってしまうだろう。この時点では電気は通じていないだろうから、ガソリンスタンドで稼動している給油機を探すよりも、乗っていた車を捨てて、別の車を盗んだほうが早くて確実だ。あなたを制止する人などいない。警官は全員ロードアイランドにいるのだから。
広がった群集の先頭部分は、マサチューセッツ州南部とコネチカット州に達する。このなかで誰と誰が出会おうとも、その2人が共通の言葉を話す可能性はほぼ皆無だし、この地域を知っている人もほとんどいない。局所的に社会階層のようなものができてはすぐ崩壊し、混沌とした状況になる。暴力がはびこる。誰もが食べ物と飲み物をほしがっている。食料品店はみな略奪され空っぽになる。新鮮な水はほとんど見つからない。そして、この状況を打開する有効なシステムはまったく存在しない。
数週間のうちに、ロードアイランドは数十億の人間の墓場となる。
生き残った人々は、世界中に散らばり、古い文明が完全な瓦礫と化したうえに、新たな文明を構築しようと苦しい努力をする。人類はどうにかこうにか存続するが、人口は劇的に減少するだろう。地球の軌道は何の影響も受けぬまま、人間が種全体としてジャンプする前と少しも変わらず回転しつづける。
しかし、少なくとも私たちは、人間全員が一度にジャンプしても地球の回転はまったく変わらないということを学んだ。
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