イギリスの上流階級に生まれた二人の男にはいくつもの共通点があったという。抑圧的で、権威主義的で偏屈、そして変人である父を持ち、確執を抱えていた。幼少期は虐待に近い躾を行う、寄宿舎学校でスパルタ式の教育を受け、権威に反感を抱き、長じてはケンブリッジ大学で学ぶ。イギリス紳士らしく、人を結び付けも、隔てもする礼儀正しさを常に失わない。自信に満ちた立ち振る舞いは、いかにも上流階級にふさわしい。ニコラス・エリオットは内気な性格を隠すため矢継ぎ早にジョークを繰り出し、キム・フィルビーは幼少期の疎外感からくる精神不安を紳士然とした態度で隠す。
二人はMI6というイギリスの諜報組織において、共に出世街道を進み、組織の中枢を占めるようになる。そして、この秘密クラブの中で多くの友人をつくり、クラブの身内に固い忠誠を誓っていた。
しかし、たった一つの違いがあった。それはエリオットが固い愛国心を基に行動していたのに対し、フィルビーは強固なイデオロギーのために、この秘密クラブを裏切っていたことである。フィルビーは、ソビエトがMI6に送り込んだ二重スパイであった。本書は「ケンブリッジ5」と呼ばれるイギリスを震撼させたスパイ事件の筆頭人物と目されるキム・フィルビーと友人たちの裏切りと葛藤の物語だ。
フィルビーは魅力に溢れた人物であったという。彼に接したものは誰しもが「崇拝」せずにはいられなかった。後にCIAの防諜部門のトップになるジェームズ・アングルトンも彼を崇拝していた。多くの人々の信頼を受けながら、その全てを裏切っていたのである。
エリオットとフィルビーは第二次世界大戦のさなか、共に業績を上げ出世していく。25歳のエリオットはイスタンブールで防諜活動の代表に抜擢される。当時、中立国であったトルコは情報戦の最前線であった。エリオットがいかにMI6の中で優秀なスパイであったかを物語る人事だ。この地でエリオットは大きな成功を収める。彼は大戦下、ナチスによる厳しい監視の下で、ドイツの名家出身である、エーリッヒ・フェアメーレン夫妻を見事にイギリスに亡命させたのだ。
夫妻の両親族は共に反ナチス的な思想の持ち主で、しかも反共産主義であった。さらに、エーリッヒは短い期間とはいえ、ドイツの諜報機関アプヴェーアで勤務していた。エーリッヒが持ち出した情報により、アプヴェーアは麻痺状態に陥る。MI6内は歓喜に沸き、エリオットは名声を手にした。
エーリッヒ夫妻はドイツ国内の反ナチスで、なおかつ反共産主義活動家の一覧リストを所持していた。これは、戦後ドイツの再建とソ連による赤化を防ぐために非常に有益な情報だ。
戦後、ドイツ各地でMI6はリストの人物へ連絡を試みている。しかし誰一人として、彼らと連絡を取る事ができなかった。ドイツ敗戦の混乱の中で、彼らはナチスに処刑されてしまったものと、MI6は分析した。しかし、真実は違った。フィルビーがこの情報ををソ連に流していたため、ドイツに侵攻したソ連軍によって彼らは処刑されていたのだ。
米、英の諜報機関は逆ドミノ理論とでもいうような発想に基づき、ソ連の衛星国で反共産主義勢力を支援し、クーデターを起こさせる計画を練る。そして、次々とソ連の衛星国に工作員を送り込んだ。しかし、作戦の殆どが失敗に終わり、送り込まれた多くの若者が、家族もろとも処刑されている。これも、当時MI6のワシントン支局長としてアメリカにいたフィルビーが、友人のアングルトンから引き出した情報のためであったという。彼は友情と己の魅力を通貨のように使い、多くの諜報関係者から情報を搾り取っていた。
彼はイギリスで信頼を得て出世街道を進むとともに、ソ連からも重宝される工作員として名を馳せる。もっとも当初はあまりにも安易にMI6内部に潜入し、貴重な情報を収集してくるために、ソ連国内では三重スパイではないかと疑われていたという。学生時代に共産主義に傾倒していたはずの男がなぜ容易に、MI6に入ることが出来たのだろうか。それはイギリスの上流階級という狭き世界に理由がある。
イギリスの上流階級は一種のクラブのようなものだ。血筋により選ばれたサラブレットのみが入会することが出来るクラブだ。このクラブでは誰もが誰かと繋がり、その繋がり自体が信用になる。フィルビーの父はMI6の副長官と知り合いだった。ソ連はこの英国的な貴族クラブのシステムを理解していなかった。社会システムへの理解不足が、フィルビーに対するソビエト側の不審の種になっていたという点はとても面白い。またこのクラブという概念を理解することがエリオットたちの行動を理解する点で重要になる。
フィルビーがスパイではないかと疑われた際にMI6全体がフィルビーを庇い、防諜組織MI5と激しく対立することになる。当時、MI6はエリート階級出身者で占められていたのに対し、MI5は中産階級および労働者階級を中心にした組織であった。エリートで占められたMI6はクラブの絆に基づき、フィルビーを擁護するのに全力をあげる。このためにイギリスの諜報機関に大きな歪を作り出してしまう。そして、この対立はアメリカにも波及し、西側諸国の諜報機関に大きな混乱をもたらすことになる。
多くの人々を30年以上にわたり欺き裏切り続け、二重生活を送っていたフィルビーは晩年にこう語っている。
“私はいつも個人レベルと政治レベルという二つのレベルで活動していた。二つが衝突したとき、私は政治を優先させなくてはならなかった。人を騙すのは好きではないし、それが友人となればなおされで、私は皆が考えているのとは違い、それについてひどくすまないと思っている”
しかし、「すまないと思っているからといって騙すのをやめなかった」と著者は結んでいる。
エリオットは晩年にフィルビーの事を「外面的には親切な男であった」が「内面的には残忍な男であったに違いない」とし「上品なヴェールの陰に隠れながら自惚れた自己中心的な男」に違いないと回想している。
フィルビーには二つの顔がある。親切で上品で崇拝したくなる魅力的な一面と、自己中心的な顔だ。彼は二人目の妻アイリーンがフィルビーの裏切りに疲れ果て、惨めな孤独死を遂げたとき、新しい愛人と結婚できると喜び、知人夫妻を鼻白ませている。このように他者に対する思いやりを欠くエピソードも見うけられる。まったく背反する性格が一人の男の中に矛盾することなくおさまっていたのは興味深い。
イギリスの上流階級、諜報機関、ソビエトの工作員という選ばれた者しか入会できない、三つのクラブに属した男の生涯は、イギリスの社会史、諜報の歴史、人間のドラマなど、いくつもの視点から読むことが出来る。そして、そのどれもが一級のエピソードに彩られている。
村上浩による本書のレビューはこちら
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