ストームチェイサーとは、直訳すると「嵐の追跡者」という意味だ。竜巻やひょう、雷などの激しい気象現象を追い、観測データの収集や映像を捉える人達を指す。本書の著者も、そんなストームチェイサーの一人だ。
茨城県下館市(現・筑西市)の写真屋の3代目として生まれ、茨城県内を中心に活動してきた青木豊。本書は、そんな彼のライフストーリーを数々の写真とともに紹介した一冊だ。
私が編集者として、ストーム・チェイサー・青木豊と真正面から向き合って強く感じたのは、彼が「ヤンキー」と「オタク」という二項対立を、いとも簡単に止揚してしまっているということだった。
「ヤンキー」と「オタク」の二項対立とは、日本人の精神構造の根っこに潜むものとして精神科医・斎藤環によって掲げられた概念だ。それならば青木豊が「ヤンキー」でかつ「オタク」であるとはどういうことか?
本書の編集で青木の写真をセレクトした時のこと。彼がアメリカで撮影した竜巻を生む巨大積乱雲、スーパーセルなどの写真の数々を章立てに従って並べてみたところ、全ページ通して改めて見てみると、写真にアメリカらしさというものが全く浮かび上がってこない。
「なぜアメリカらしさが出ないのか?」この問いは、「茨城県、とくに青木が活動する県西域がアメリカらしいからではないか?」と気付くことで解決した。
何㎞も延々と続く水田、その水田の先に光るネオンは町の入口にあるガソリンスタンドやショッピングモールだったりする。青木が雷雲やスーパーセルを追いかけて駆けめぐる茨城県西地区は、広さにおいても、景観においても十分にアメリカ的であったのだ。それならば、青木がアメリカ発祥の「ストーム・チェイサー」を日本人で初めて名乗り、活動を始めたことにも合点がいく。
ヤンキーの代表例として真っ先にあげられる暴走族は、茨城県では今でも日常茶飯事として出没する。青木は暴走族ではないし、運転には細心の注意を払っているものの、チェイスの時に聞く音楽はいつも70年代~80年代のロックで、ノリは十分にヤンキーだ。アメリカの影響を受けたという点においても折り紙付きかもしれない。
しかし彼がその道に辿りつくまでには、気象学などを猛勉強する必要があり、実際の活動においても雷雲を数日前からレーダーで探るなど、常に探究心が求められる。この点においてヤンキーでありながら、オタク度も十分に高いといえるだろう。
オタクでヤンキーというThe Japanese Storm Chaser・青木豊を斉籐環はどう分析するか? ぜひ聞いてみたい気もするのだが、編集者の狙いとしては、本質的にオタクの青木がストーム・チェイサーとして脚光を浴びることで、ヤンキー王国・茨城県のまったく新しいヤンキー文化が発信できる、いや、そうしたいと願っている。それが、魅力度ランキング47位を脱するための秘策中の秘策と大まじめに考えているのだが、これ自体、オタク中のオタクの発想かもしれない。
茨城県つくば市の出版社を立ち上げ、経営。これまで発行してきた本は『郷土の先達とゆく筑波山』(絶版)、『筑波山目的別ガイド』、『はんてん屋日和-おばあちゃんに教わったこと』など。