シズル感という言葉は、もともと広告代理店界隈の用語だったように思う。sizzle、すなわち肉がジュージューと焼けている音が語源で、「シズル感のある写真」とは、そんな臨場感の伝わってくる写真という意味。料理本業界では、シズル感のある写真は売れ行きを左右する、必須のものと言っていい。 料理の表面は乾かないようにし、できれば湯気なども写るようにする。光は料理の斜め後方から射すようにし、レフ板を使って、逆光で暗くなってしまう手前の部分にもある程度の光を当てる。カメラの「絞り」を開き、全体的に明るめで、ピントは浅め、つまり、ある一点にピントがあって周囲はボケさせる― こんな写真が、料理写真の基本形だ。
しかし、米沢亜衣さん(現在は細川護煕氏の息子で陶芸家の細川護光氏とご結婚され、「細川亜衣」として活躍している)のイタリア料理の本の写真は、まったくこの法則に反している。ザラッとした紙に、少しくすんだような薄暗い写真が載っている。
パッと見たときに、ぐっと引き込むような派手さはまったくない。しかし、じっくりと眺めていると、ものすごく力強い写真であることかがわかる。手打ちパスタにしかないマチエール、加熱された完熟プチトマトの表面のしわ、ぎざぎざのナイフで切られた紫タマネギの表面の凹凸に染みた、トマト果汁とビネガーとオリーブオイル、そんな細部が素のままでむき出しにされ、料理のそのものの魅力が、じわりじわりと迫ってくる。太陽と土に育てられたものが、人間の手の力によって「料理」となったことが、生々しく感じられるのだ。
そんな写真たちが3分の2を占めるこの本は、どこにも媚びたところがなく、本質だけがごろりと提示されたような本である。
レシピの書き方も独特だ。まず手順に番号などは振っておらず、その料理の作り方を、まるでひとつの小さな物語のように読むことができる。その文章は素っ気ないようで、芯が強く、高い美意識があり、それでいて愛嬌もある。
「にんにくは皮と芯を除き、透けない程度の薄切りにする」
「皮にしわが寄って柔らかくなりはじめたら、塩をする」
「指の間で、舌の上で、すんなりつぶれるくらい、柔らかくゆでる」
「指で押してみて『ぶよっ』とした弾力が『むちっ』と変わったら、中まで火が通ってい
る」
「オリーブ油を、皿の底が完全に覆われるくらい、勇気をもってたっぷりかける」
独特だからわかりにくい、ということはない。むしろ逆だ。実際に作ってみると、ああ、こういう感じかな、と、米沢さんが、これらの文章で伝えんとするところが、五感でリアルにわかり、迷うことなく作れてしまうのだ。
私がこの本からひとつレシピを選ぶとすれば、「豚のカリフラワー煮」だろう。
水を肉の高さの3分の1まで入れ、ふたをして1時間。カリフラワーが煮崩れるほどに 柔らかくなっているので、離乳食を作るような感じで、木べらでつぶし、とろとろにする。
器にこの「とろとろカリフラワーソース」を敷いて上に肉をのせ、さらに上から、肉が見えなくなるぐらいのソースをかける。 仕上げにオリーブオイルをかけ、黒こしょうをガリガリひく。黒こしょうをかけないものもとてもおいしいので、食べ比べて決めるといい。ウチは来客時は(相手によってだが)、派手にガリガリとやり、家で食べるときはこしょうなしでいただいている。
彼女のレシピを作ってみると、「ああ、この人は、料理をとてもとても大切に思っているんだな」と感じ入ってしまう。「豚のカリフラワー煮」も、そんなふうにしみじみと思ってしまう、こころと体の滋養となるような優しくてたくましい料理である。
私が本書を手に入れたのは、佐渡島で菜園を作り(寒いところという印象があるだろうが、夏は晴天が続き、夜と昼の寒暖差が大きいので、とびきりおいしい夏野菜が育つのだ)、新鮮な魚介や地元で育った軍鶏や雉に恵まれた暮らしを手放したあとだった。佐渡時代に出会っていれば、どれほど彼女のレシピを堪能できたか、と悔しい気持ちになったものだ。
そして東京暮らしを経て、また自家菜園に遊ぶ生活を始めた現在、これまで以上に彼女のレシピがリアルに感じられるような気がしている。例えば畑に余ったカリフラワーを一気に処分するつもりで作ると、このレシピの出自がはっきりしてくる。ちなみに、このレシピが掲載されたページには、「一寸の紅色の点もない、真緑のトマトだけで肉を煮てもらったのもすばらしかった」という一文がある。秋の初め、畑に残る大量の青いトマトの処分に常に頭を悩ませてきた私は、この文章と出会えただけで、この本を買った価値があった、と思っている。
なお、「豚のカリフラワー煮」から1枚ページを繰ると、「豚のシチリア風煮込み」という料理が、シチリアの幻の豚を皮付きのぶつ切りにしてトマトなどとともに煮込んだもの を野外で食べたという逸話とともに紹介されている。幻の豚はいなくても、イノシシなら 近所にたくさんいる。皮付きイノシシ肉と畑のトマトを使い、焚き火でこの料理を作るのが、目下の目標である。 イタリア料理とは、太陽と土とともに暮らす人たちの手料理である、と私は米沢さんのこの本で教わった。そして、自分がそんな暮らしを始めてみると、この本が(そしてそのざらりと「薄暗い」料理写真たちが)、これまで以上に、きらきらと輝いて見える。
このレビューは、上記の本から抜粋です。絶賛(?)予約中! 分量・作り方はこの本にも載っています。