383人。
2014年の所在が分からない小学生と中学生の数だ。文部科学省では「居所不明児童」と呼び、居場所もわからず、就学の確認もできない子どもを指す。
昨年厚木市で男児の白骨化遺体が発見された事件で「居所不明児童」が突如、メディアをにぎわすようになったが、文部科学省が「居所不明児童」の調査を始めたのは1961年。50年以上たつのだ。
著者が文部科学省の学校基本調査を洗い出しただけで居場所もわからず、就学の確認もできない子どもの数は累計2万4000人に達する。だが、本書を読むと、この数字が現実とは程遠いことがわかる。
各地の教育委員会の未集計やずさんな調査や管理によって計上されない場合や、住民票の居住地に居住の事実がなければ住民票が削除され、学校基本調査の対象からも外れる事例が少なくない。計上されていても、義務教育期間が過ぎると、自動的に調査対象外になる。数字に反映されずに闇に埋もれている子どもたちがどれだけいるのかは想像できない。そして最大の課題は、集計、未集計にかかわらず、居場所もわからず、就学の確認もできない子どもたちの生活がどのようなものか公的に一切調査されていないことだ。
著者はマスメディアに取り上げられる前から、居所不明児童の取材を続け、前作『ルポ 子どもの無縁社会』ではその一端を取り上げている。本書では居所不明児童の生活に前作以上に接近し、学校から消えた子どもたちの実態を描く。冒頭で出てくる亮太(仮名)の例は言葉を失う。
11才の亮太はラブホテルに住んでいた。元ホストの義父が日雇いの仕事にありつければ、そのカネでラブホテルに泊まり、カネがなければ野宿。ラブホテル内の敷地内にテントを張ることもあった。
ラブホテル住まいの前は、違う町の旅館で義父と母が住み込みで働いていたが、住民登録を残したまま、ろくに働きもせず、夜逃げ同然で出てきた。この時点から学校に通えず、住居を持たないホームレス生活を強いられた。両親は生活を立て直そうとせずに、亮太に金策に走らせた。親戚に無心させた。カネを借りてこられなければ、母や義父の虐待を受けた。以前から、殴る蹴るは当たり前。母の知人たちに性器の写真を撮られたり、いじられたり性的虐待も日常だった。
親戚に無心できなくなり、義父は日雇いで働き出す。家がない生活の中でも、母親は子どもを産む。両親に育児能力はなく、幼い亮太が育てることになる。食べ物に欠き、腐った牛乳を飲ませることもあった。生活保護を受給して、落ち着いた生活がつかの間、訪れたものの、母親が生活が窮屈だと自ら受給を打ち切り、再び家のない生活に。ある日、義父が3人の元から姿を消し、16才になっていた亮太が稼ぎに出かけることになる。義父の前借りが差し引かれるために、手元にお金はほとんど残らなかったが、母親はひたすらカネを要求し、散財する。
絶望感で一杯になり、家出をしようと思っても、どこかで母親の歓心を買おうとする自分がいた。弟も見捨てられない。「おじいちゃんとおばあちゃんを殺したらお金が入るね」。母親は実の両親からお金を奪ってこいとささやいた。
なぜ周囲が助けられなかったのか。親族はなぜ手を差し伸べられなかったのかという疑問は当然のことながら、何度か公的機関との接点がありながら、見過ごされてしまったのか。亮太はどこの学校にも就学せずに過酷な生活を強いられ転々としていたが、居所不明者として計上されていない。
縦割り行政の限界や児童相談所の対応の不十分さ、学校の教員の絶対数の不足。本書では統計では見えてこない「消えた子ども」にせまることで実態と制度の乖離を明らかにして、教育現場や社会福祉の機能不全をも浮き彫りにする。
関係者への取材で浮かび上がるのは、「自分たちは精一杯やっている。これ以上、踏み込まなくても、おそらく、(彼や彼女は)どうにかなる」といった姿勢である。その積み重ねが不幸を生み出し続ける。著者は犯罪は許されないとしながらも、投げかける。
教育から、福祉から、おとなたちから見捨てられつづけた。母親や義父のみならず、ひとりの子どもたちをここまで放置したこの社会に、一切の責任はないのだろうか。