西部開拓時代のアメリカの酒場には、ケンカ騒ぎの殺し合いからピアニストを守るために、「ピアニストを撃たないでください」と貼り紙がしてあったという。経済戦争などという言葉がある現代にも、同じことが言えると私は感じている。経済優先の社会から、芸術やスポーツなど、祝祭の能力をもった人を守らなければならない。本書は、長らく銀行員として働いたあと、現在は武蔵野音楽大学の就職課に勤務している著者が書いた、異色のキャリアガイドである。
音大への愛がつまった本書を読めば、現役音大生や、音大志望の高校生の方はもちろん力が湧いてくる。そして、その親御さんも安心されるだろう。しかし私は、本書を音大に縁のうすい方々にこそ読んで欲しい。企業の採用担当者、子をもつ全ての親、音楽以外の芸術系学部出身の方などである。それは、最初に書いたような社会環境の中で、芸術を志す芽をつんではいけないからだ。経済環境が厳しくなればなるほど、短絡的に生活の糧を得る方法を求めてしまいがちだ。そこで失われるのは何か。だからこそ、いま本書が必要なのである。
受験生が音大への進路希望を打ち明けると、多くの親や教師は「音大を出て、どうやって食っていくのだ!」と言うかもしれない。しかし、これからは「東大を出て、どうやって食っていくのだ!」という言葉も、同時に当てはまる時代なのだ。高学歴プアなどという言葉があるように、気がつくと、受験戦争に勝っただけでは充実した人生を与えてくれない世の中になってしまっていた。やりたいことを手放さず生き抜いていくことが、自分の人生を紡ぐ方法なのかもしれない。まず、この本で著者が伝えたい3つのことを「はじめに」から抜粋したい。
1.音大で学ぶことは、社会で生きていく上でも十分な実力がつく
2.音大生の進路は、みなさんが考えている以上に幅広く、いろいろな可能性がある
3.充実した人生を送るためにこそ、自立した人生を歩もう
音大生の実力といわれても、イメージしにくい方もいらっしゃるかもしれない。それは、楽器の練習をこもってしている印象があるからだろう。しかし、実際には違うようだ。一人の練習も必要だが、大事なのは授業だ。大教室で聴講するスタイルの一般学部とは違い、音楽大学では、先生とのマンツーマンの授業が当たり前のように行われている。そこでは、おのずと目上の人とのコミュニケーション能力が養われるというのだ。確かにこの能力は、他ではなかなか身につかない。そして、社会に出ると強力な武器になることは間違いない。
さらに本書では、このマンツーマンの授業のメリットとして、いささか自虐的かもしれないが、「叱られる力」「めげない力」が身につくと書かれている。準備が不足していれば、30分叱られっぱなしいうことも良くあるそうだ。モンスターペアレントに守られ、すぐにめげてしまう人材が多い印象がある昨今では、確かにこの能力は得がたいものなのかもしれない。またこれは私の個人的見解だが、逃げ場のないマンツーマン授業は「準備をする習慣」や「時間厳守の習慣」が培うに違いなく、これも社会で必要な実力といえる。
音大で獲得できる力は、まだまだある。少し乱暴だが私なりにそれを総括すると “好きなものに打ち込むために入学して、それに目一杯打ち込む”過程で得られる力である。それが、「音大卒」を語るときに最も大事なものなのではないだろうか。さほど興味もない大箱の授業を受け身で受講して単位をとりつつサークルやアルバイトに精を出してきた学生とは、異なる輝きがそこにはあるに違いない。
ところで、卒業後の進路はどうなっているのだろう。個人演奏家、団体演奏家、音楽教員、音楽教室講師、一般企業・・・比率もふくめて、こと細かに本書で紹介されている。ちなみに、本書によると、一般企業への就職は17%。音大生の場合は、就職とはむしろ「音楽に挫折した」という負の印象を与えるもののようだ。実際に、就職課には“音楽を続けるか捨てるか”という切羽詰った悩みを抱えて訪れる学生が多いという。そういう学生に対する、著者のあたたかい思いが溢れ出た一文を紹介したい。
音楽を学ぶことを通じ、悩み苦しんでいるみなさんにとって、音楽はすばらしい教材の役割を果たしています。音楽で生きていけないのなら思い切って音楽を捨てよう、というのは一見潔く見えますが大きな誤りです。すばらしい教材を粗末にしていることと同じです。どうかその音楽を、あなたの音楽を大切にしてください。
そして、著者は音大生に「自立」を薦める。明言されてないが、それは「経済的な自立」とニアイコールのようだ。社会に出て経済的に自立しながら音楽を続けていき、それが両輪となって活躍の場を広げていくチャンスがあるというのだ。たしかにいま企業は、多様な人材を抱えることでイノベーションを起こし、変化することで生き残ろうとしている。イノベーションは、同質の集団では起きにくい。個人演奏家にはなれなかったとしても、演奏の優劣がわかることは音大生ならではの個性で、それは企業で活かせるものだと私は思う。
同じことは、他の芸術系学部にもいえる。私も同人誌に小説を書いていたのでわかる。私はオールラウンドサークルを楽しんできた友人に肩を並べるつもりで、就職課に「パンピー(一般ピープル)になる決意」という文章を残した。いま思うと赤面ものだが、これを読んで、後を追ってきた後輩もいた。文学部にも“続けるか捨てるか”に悩む学生がいるという証である。しかし、私が就職してわかったのは、文章を書ける人が意外に少ないという事実だった。皮肉なことに私は、社会に出たことで文章を書き続ける理由が見つかったのだ。芸術家は99点を超える領域で競争する。しかし、実業界では70点あれば目立つ。学卒時に99点がとれなくても、まず自立して、そこから伸ばしていくこともできるのである。
音楽に固執した結果、生活に困窮した卒業生を著者は数多くみてきている。そして、失敗の類型を本書で紹介している。教員挫折系、音楽求道系、青い鳥症候群系、ブラック企業系・・・それを読みながら、私は、学生時代の仲間たちの顔が目に浮かんだ。いつしか連絡をとらなくなってしまった仲間たち。いま、どうしているのだろう。大学に入って最初の授業で先生から「文学部に入ったからには、まともに就職しようとは思わないで欲しい」といわれた。その言葉は、その時の私のアンテナと余りにも離れたパルスを持っていて、だからこそ心に刻み込まれた。
入学したてで浮き足立っていたのではない。私は、「まともな就職」を目指して育てられたわけではなかったのだ。両親は、ただ人の役に立つ仕事をして欲しいと願っていたように思う。先生の発言は「まともな就職」を目指して育てられた学生に向けられていた。いい大学、いい就職を目指す教育が、古い時代の幻想でしかないことは既に多くの大人は気づいているだろう。本書を読み、あらためてそれを再認識していただけたら喜ばしい。素晴らしいピアニストになる才能の芽をつまない、そんな世の中であって欲しいと私は願っている。