第二次世界大戦が終わってから70年近くが経つにもかかわらず、いまだナチスというのは悪のレベルを推し量る一つの「ものさし」である。狂信的な集団による凄惨な事件の話を見聞きする度に、ナチスと比べてどちらが非道なのか、そして双方に共通するものは何なのかという問いが頭をよぎる。しかし語り尽くされたであろうナチスにも、まだまだ掘り起こされていない歴史が存在した。
1945年8月、ニュルンベルクでのこと。かつて加害者として収容所を君臨したナチの高官たちは、今や戦犯としての裁きを待つしかない憐れな捕虜となっていた。
当時52歳であったヘルマン・ゲーリングは、ナチ党において極めて悪評の高かった数々の活動の計画や実施を担った人物である。内部粛清として有名な長いナイフの夜事件、ゲシュタポの創設、反ナチ派用の強制収容所の設立、政敵の追放。第二次世界大戦までに彼を上回る肩書を保持していたのは、アドルフ・ヒトラーただ一人であったという。
この他にも、ナチスドイツ最後の国家元首カール・デーニッツ、国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテル。ドイツ労働戦線長官ロベルト・ライ。ナチス思想の宣伝文書を書いたアルフレート・ローゼンベルク、ドイツ中央銀行の頭取ヒャルマル・シャハト。かつて世界を震撼させた錚々たるメンバーが一堂に会していたのである。
その収容所において、ナチ高官たちと共に生活を送るべくアメリカ軍から送り込まれたのが、精神科医のダグラス・ケリー少佐。彼の職務は、ナチ高官たちの最終的な処遇が決まるまで、精神面の健康を維持することである。だがケリーは、収容所そのものを実験室にしてしまうおうという密かな野心も抱いていた。
彼らの残虐な行為には、精神医学的な原因があるのか? それとも何らかの精神障害を共有しているせいなのか? はたまた悪行の原因を説明する共通の”ナチ気質”というものが存在するのか? ケリーは、この男たちの心を科学的に研究することにより、将来、ナチスのような集団が台頭することを防げるかもしれないと考えたのである。
すぐにゲーリングと打ち解けたケリーは、やがてゲーリングの人物像をこう示した。
かなり知的能力に恵まれ、想像力に富む。おおらかで攻撃的で空想的な生き方をしがちで、強い野心と、世界を支配下に置こうとする闘志を持つ。それは彼が世界を、世間の思考パターンから逸脱する独特の思考パターンでとらえているからだ。
この結論を導くために使用されたのが、ロールシャッハ・テストと呼ばれる検査方法である。患者にインクの染みがつくった、左右対称で抽象的な模様の描かれたカードを見せ、被験者がその模様に何を見るかによって、内に秘めた性格を読み取ることが出来るとされていた。
だがこのテストが、診断する評価者の解釈による振れ幅の大きいものであることは、付け加えておかなければならないだろう。事実、同時期にゲーリングの調査を行ったグスタフ・ギルバートという精神科医の評価は以下の様なものであった。
眼を見張るほど独創的で知性があるというよりは、上っ面しか見ない平凡な現実主義者である。
しかしギルバートは、その後IQテストも実施しており、ナチ高官の多くは知力の面で平均以上のところに位置していたということが明かされている。
ヒャルマル・シャハト(ドイツ中央銀行頭取):143点
アルトゥール・ザイス=インクヴァルト(オーストリア総督):141点
ヘルマン・ゲーリング(国家元帥):138点
カール・デーニッツ(海軍元帥):138点
フランツ・フォン・パーペン(副首相):134点
※ドイツ国民の平均IQは99点
これらの分析による見立て通り、その後行われた裁判は連合国側にとって意外な方向へと舵を切り、法廷は論理的かつ計算された戦略ゲームへと姿を変える。検察側が、ナチ高官たちのかつての悪行を示す記録フィルムを上映すると、ゲーリングは証言台から見事な演説を繰り広げ、被告人たちの統一戦線を狙う。
さらに死刑が確定すると、ゲーリングはアメリカ軍をあざ笑うかのように青酸カリで自殺を遂げてしまうのだ。自分の思い通りに自らの別れを演出するゲーリングのイメージは、その後何年間もケリーの記憶に焼きついていたことだろう。
本書はそれだけでも十分にスリリングで面白いのだが、さらに驚愕するのが精神科医ケリーのその後の数奇な運命である。やがてアメリカに戻り、犯罪学という新たな学問に眼を向け様々な実績をあげた彼の精神もまた、蝕まれていく。他人の中に悪の種を探すことで、彼自身の邪悪な面との対面を余儀なくされたのだろうか。彼はかつてゲーリングが自らの命を絶った時と同じ手法で、最期の時を迎えるのだ。
ナチ高官という戦争犯罪人たちの意外な素顔。そして狂信的な集団が裁判を迎えるまでに精神状態がどのように変化していったかという観察記録。さらに診察した医師自身の数奇な運命。本書はいくつものストーリーが重層的に組み合わさりながら、徹頭徹尾、読み手を翻弄し続ける。
ところでケリーが半生をかけて追い求めていた、ナチ気質の正体とは一体何だったのだろうか? 彼が僅かながら見出せたナチ高官共通の性質とは、二点あったという。まず一つは彼らが仕事に多大なエネルギーをつぎこんでいたこと、そして自らの労働の目的に焦点を合わせ、それを実現する手段は気にしなかったということである。
これはアイヒマンの裁判レポートで、”悪の陳腐さ”を指摘したハンナ・アーレントとも解釈が異なる。アーレントの主張は、ナチ高官たちは上からの命令に従い、そうした命令を型通りの仕事と捉え、自らの行動を普通のこと認識していたというものであった。だがケリーが調査したナチ高官らの証言は、自分たちの政権とその中での自らの役割を特別なものと自覚しながら、能動的に行っていたことを裏付けたのである。
このいささか歯切れの悪い回答からは、容易に恐ろしい結論を導くことも出来る。それは、ナチ高官たちに非道な行為をさせた資質は、いつの時代の、どこの国の人々にも表れるような普遍性を帯びているということだ。そしてケリーの解釈を、現代に生きる我々が簡単に否定出来ないということもまた、事実なのである。