『電車道』by 出口 治明
人はなぜ本を読むのか。それは、何よりも先ず面白いからだと、僕は思う。とりわけ小説を読むときはそうだ。頁をめくるのがもどかしいくらいに、急かされる時が最高だ。「電車道」はそんな小説である。一気に読み終えたのは去年の「水声」以来のことではないか。
ところで、「水声」の端正で古典的な佇まいに比べれば、「電車道」はむしろ読みにくい部類の小説だ。第一、章立てがない。文章が電車道のように延々と続いていく。それでいて、慣れてくれば独特のリズムがあることに気がつく。不協和音には不協和音なりの秩序があり、美しさがある。この世界に慣れてくれば、「電車道」の世界の心地良さが体感されるはずだ。
「電車道」は、鉄道王とその子供、孫3代の生き様を通して、明治・大正・昭和・平成と流れたこの国の100年の時間を、鉄道沿線のとある高台の街を舞台に書き留めた物語である。愛する家族を残して突然出奔する男の話から幕が開く。男は高台の洞窟に住み始める。一転して大雪の京都で、裸足で使いに出される丁稚奉公の少年。舞台の転換が唐突なのも「電車道」の世界の心地よさの1つだ。凍傷になりかかった少年を助けるうら若いお内儀。次は、選挙に落選して伊豆の温泉郷の安宿に転がり込んだ男。療養に来ていた肌の白さが際立つイギリス人の若い女。2人は恋仲になるが、女はあっけなく死んでしまい男は打ちのめされる。女の年老いた夫、イギリス人の鉄道技師を訪ねたことがきっかけとなって男は鉄道事業を始めることになる。男の鉄道会社は沿線宅地開発で生き延びる。高台の町も開発されるが、塾の教師になった洞窟の男(やがて私立学校の校長となる)が無秩序な開発に歯止めをかけた。
関東大震災から第二次世界大戦へ。2人の息子が戦死した鉄道王は、妻と2人で例の温泉郷に住み始める。愛犬をリュックサックに入れて長野に疎開させた高台に住む勝気な少女は、鉄道王が愛人に産ませた子供だ。やがて彼女は女優となる。鉄道王は温泉郷を開発しようとする観光会社と死闘を繰り広げ、吸収合併してケリをつけるが、一転して開発責任を負うことになる。女優は監督に恋をして結婚して一人息子を産む。その一人息子は高台に住む電車で会った女性に恋をして結婚するが子供は生まれなかったので、この家系はここで途絶える。「電車道」はこう終わる。「(校長が住んでいた)洞窟の入り口には粗末な注連縄が祀られ、誰が置いたのか白い饅頭が二つ、笹の葉を敷いて供えてあった」。上手い!
なぜ読後感が爽やかなのか。それは登場人物が真っ直ぐだからだ。例えば、鉄道王のイギリス人に対する恋、女優の監督に対する恋、その息子の恋、すべてがひたすらに一途なのだ。「電車道:相撲で立ち合いから一直線に押されたり寄られたりして、そのまま土俵の外に出されること」(広辞苑)。そう、この国の人々はこの100年を、電車道で生きてきたのではないか。帯には磯崎版「100年の孤独」とあった。ガルシア・マルケスの影響を詮索する向きもあろう。でも、僕はそんなことはどうでもいいと思う。「電車道」が「面白かった」だけで十分だ。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。