医学の歴史は、数多くの物語で彩られている。この本は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)感染を「完治」した二人の『ベルリン患者』に始まる物語だ。偶然にもたらされたといっていいような伝説的な「完治」をヒントに、新しい治療法の開発がおこなわれた。そしてその結末は…
HIV感染症といってもピンとこない人が多いかもしれない。HIVとはAIDS(後天性免疫不全症候群)の原因となるウイルスだ。しかしHIV感染症とAIDSは同義語ではない。HIV感染症が持続し、最終的に免疫系が破壊された状態がAIDSである。
1981年にAIDSが報告され、その2年後に原因ウイルスとしてHIVが報告された。当時は治療法もまったくなかったが、いまや数多くの薬剤が開発され、適切な治療がおこなわれれば、HIVに感染してもAIDSを発症することはなくなっている。そういった意味において、HIV感染症は治療可能な疾患になったのだ。
しかし、これは完治ではない。ウイルス性疾患の完治というのは、体内からウイルスが完全に排除された状態をさすのである。HIV感染の押さえ込みができるようになったとはいえ、その薬剤は非常に高価であるし、命がある限り飲み続けなければならない。もし、治療によって「完治」できれば、その福音ははかりしれない。
HIV感染が完治できた症例、もう少し正確を期して言うと、完治できたように思える症例が報告された。その治療法は全く違うのだが、偶然にも、二例ともベルリンでの症例であり、ベルリン患者と呼ばれている。
一人目のベルリン患者はクリスティアン・ハーン、治療したのは家庭医であるハイコ・イェッセン。二人ともゲイの男性である。イェッセンはかつての恋人アンドルー、もちろんアンドルーもゲイだ、との悲しい思い出を持っていた。浮気をしたアンドルーがHIV感染者になったのだ。その職業から、非常に早い段階でアンドルーの感染を知ったイェッセンは、ヒドロキシウレアという抗がん剤を用いた実験的な治療を開始する。
1993年当時、HIV感染は有効な治療法がない死に至る病であった。そのために、人道的理由から、すでに認可されている薬であれば、目的外使用が可能だったのである。人目を避けて、二人きりで住み、治療にあたった。しかし、次第に息苦しくなったアンドルーは、イェッセンの元を去る。そして、アンドルーがどうなったかはわからない。
HIV感染は、ちょっとややこしい理由から、感染のごく初期には治療をしないほうがいい、というのが常識であった。イェッセンの治療法はそれに反する。そのうえ、HIV感染に効果があるかどうかわからないヒドロキシウレアを含むものだった。しかし、アンドルーとの経験から、イェッセンはその治療法が有効だと考えるようになる。
そして、3年後、新たな初期患者であるクリスティアンにヒドロキシウレアを含む強力な『ウイルス奇襲戦法』を用いることにした。クリスティアンは、治療経過中、精巣上体炎をおこしてしまい、違う医師の診察をうけた。その医師は、家庭医が勝手にやっている奇襲戦法など知るわけはなく、イェッセンのことをあまりよくない医師だと告げる。
HIV感染の治療薬は副作用が強いだけでなく、ライフスタイルを犠牲にしてでも厳密な服用スケジュールを守りながら、永遠に飲み続けなければならないという、つらいものである。さらに、運悪くA型肝炎も患ったクリスティアンは、確たる理由もなく、“ウイルスはもう戻ってこない”、 “ぼくはもう治っている”と確信して、治療を辞めた。
普通の医師なら、治療の再開をつよく勧めたであろう。しかし、ゲイの若者たちをよく理解するイエッセンは、そうはしなかった。そして、驚くべきことに、ほんとうにウイルスはなくなっていったのである。
もう一人のベルリン患者はティモシー・ブラウン。1995年にHIVに感染し、ウイルスの量は標準的な治療によりコントロールされていた。しかし、2006年、もうひとつの大病、急性骨髄性白血病に冒される。強力な抗がん剤による治療、そして、造血幹細胞移植が選択される。しかし、そこにはひとつの工夫がしこまれていた。
ちょうどティモシーが感染したころ、画期的な論文が発表された。一部のゲイ男性は、HIV感染するはずの行為を繰り返しても、感染しない、ということが知られていた。HIVはT細胞というリンパ球に感染するのであるが、そのための「足場」として、細胞表面にあるCCR5タンパクが必要だ。そして、それらのゲイ男性はCCR5の一部が欠損していること、いいかえると、CCR5の一部が欠損していると、どうやらHIVに感染しない、ということが報告されたのだ。
造血幹細胞移植をすると、HIVウイルスの棲み家であるリンパ球も、患者の細胞からドナーの細胞にいれかわる。だから、CCR5の一部を欠損しているドナーから造血幹細胞移植をすると、HIVが増殖できなくなるT細胞に置き換わるのだ。ティモシーはそのようなドナーから造血幹細胞移植をうけた。そして、思惑通り、ウイルスはなくなった。
違った方法による一例ずつの症例である。例外的な奇跡かもしれない。それにクリスティアンの場合は投薬の中止、ティモシーの場合は造血幹細胞移植、と、いずれも非常にリスクの高い方法だ。このような方法をそのまま他の患者に適応することはできない。しかし、たった二例であっても、HIVを体内からなくす、すなわち、完治が可能であることがわかったのだ。
このことは、多くのHIV研究者を勇気づけた。そして、それぞれのコンセプトを活かした治療法の開発が推進された。そして、その結果は…。ここでは、両者が大きく明暗を分けた、とだけ言っておこう。
著者のナターリア・ホルトは若きHIV研究者。冒頭、いきなりのスリル。実験中にHIVウイルスを自分に注射してしまったエピソードから語られ始める。訳者はノンフィクションファンにはおなじみの矢野真千子。こんなコンビだから、医学の知識がなくとも、免疫系のこと、HIVのこと、HIV感染症のこと、先進医療のこと、ずんずん読み進めることができる。
クリスティアンとティモシーの『完治』は、臨床医学雑誌の最高峰であるニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシンに報告された。しかし、すんなり掲載されたわけではない。論文を投稿する際に、主治医や研究者たちの思惑が入り乱れ、争いをひきおこす。この熱い闘いも読みどころたっぷりだ。
二人のベルリン患者、そして、それをとりまく人たち、さらに、新しい治療法への展開。その背後にある研究者や医師たちの名誉欲。現代の医学がどのようなダイナミズムをもって進捗するのか、これほどわかりやすく描かれた本はない。この本を読むだけで、医学の歴史は多くの物語で彩られていることがよくわかる。
※この本のまえがきと第一章は pdf で読むことができます。さすが岩波、太っ腹であると同時にこの本に対する自信がうかがえます。
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