「やさしそう」
この5文字がどれだけの男女を傷つけてきただろうか。
初対面なのに、値踏みされ、コメントに窮した相手に、ひねりだされるこの5文字。
私自身の人生を振り返っても、小さい頃は親の知人、最近になっても彼女や妻の知人に言われ続けてきた。
「やさしそう」
そもそも、やさしくないしと言う言葉を飲み込み、愛想笑いでかわし続け、愛想笑いがこびり付いて35年。そんな非イケメン、非美女にとって待ちに待った一冊が本書だ。
タイトル通り、ほとんどすべての人の利害に関わる美醜に経済学で切り込んでいる。誰にも覚えがあるだろう。美形は得をしているし、美形はひいきされると。ミクロ経済学者の著者は、美形とブサイクでは収入にいくらの差がつくのか、それは一体誰のせいなのかに迫る。
恐ろしいことにブサイクだと十人並みの人に比べて一生で14万ドル稼ぎが少なくなるらしい。ブサイクだといわれ、心をえぐられるだけでなく、ブサイクがいかに損をしているか定量的なデータをつきつけられるのだからたまらない。
もちろん、外見が経済に及ぼす影響を長年研究し続けた著者だけに「美って主観的じゃないんですか」という素朴な疑問にも多くのデータを使って、誰もが同意する美形が存在すると答えてくれる。
そんな、非美形にとってはどん底に蹴落とされるだけのような本書をなぜありがたがるのか。
美形は得しますと言われても世の多くの非美形にして見れば、「だからどうした」の大合唱で対応するしかないではないか。
非美形の読者にとっての本書の白眉はそんなところではない。最後の2章に相当する8章、9章こそ正座して読まなければならない。
189頁からラスト230頁までで「ブサイク」の記述を数えたところ96。力尽きて数えていないが、「残念な見てくれ」、「容姿が不自由」などの同義語を含めたら200に迫るのではないだろうか。
それほど「ブサイク」、「ブサイク」と記して何を検討しているのか。8章のタイトルが「ブサイクを法律で守る」。そう、美醜の格差をなくすために感情論に頼らずにブサイクは法律で守れるのかを考察する。非イケメン連合にしてみれば感涙ものである。
ブサイクな人たちがひどい扱いを受けていることの原因、そしてそれが起こしている結果ーいろんな面で他の人たちより劣った結果しか出せていないことーは、質の点でも量の点でも、他のグループが受けているひどい扱いと、ほとんど変わらないように思える。
人種、信仰、性別で少数派が多数派の好みの問題で差別される現状とブサイクは同一線上に位置づけられると著者は説く。アフリカ系アメリカ人とブサイク系アメリカ人の問題は同じ土俵で議論しなければいけないのである。
実際、企業による雇用で、人種や性、信仰などに留まらず身長や体重での差別を禁じる法律は存在する。ブサイクにまで拡張されても、おかしくないではないかと多くの差別を禁じた法律や裁判事例を参照に真面目に自論を展開する。
笑ってはいけない。確かに体重で差別していけないのならば、ブサイクで差別してもいけないはずである。むしろ体重を減らすより、ブサイクの改善が難しいとの見方もある。 初めて幅広く保護の手を差し伸べる法律ができて以来、保護されるグループは積極的に増やされてきた。だから、ブサイクな人たちが保護されてもなんら不思議がないのである。
だが、そのようなブサイクへの光は8章の後半から9章「ブサイクの行方」で崩れ去る。
法律でブサイクを救うことにより、他の弱者が救われなくなる可能性がある。公共政策や福祉の予算は限られているのだ。そういわれると、なぜか、 ブサイクを救うのをためらいたくなる。救ってもらうのも何だか申し訳ない気もする。そもそもブサイクを保護すると言っても「俺、ブサイクだから助けてよ」と名乗り出るのかとも問いかける。
挙句の果てに、ブサイクが救われてもそれは相当見てくれの悪い1%程度で大多数のブサイクは救われないと身も蓋もない結論をちらつかせる。
挙句の果てに、9章の最後の節の見出しは「ブサイクなあなたに何ができる」だ。
ここまで読むと、なんにも出来なさそうな気すらしてくる。そしてラスト1頁で畳み掛けてくる。
「ブサイクな人にもだいたいいいところはちゃんとあって」と言われても、何の慰めにもならないし、その直後には「ブサイクな容姿は人の足を引っ張るし、それは今後も変わらないだろう。でも、ブサイクだからって人生お先真っ暗ってわけじゃない」と語りかける。どんなSMプレイだよって思うくらい、持ち上げられて突き落とされて、むしろ、お先真っ暗だよと思うのだが。
やっぱりブサイクは救えないかもねと語る一方で、「美形は不幸になるっていうけれども、実は美形の方が幸福度高いです」とデータを用いて、訴えられ、何だか多くのブサイクは救われないって感じだが、その救いのなさが非美形が生まれて以来、置かれてきた現実そのものである。これからも、ごく一部をのぞき救われない現実と対峙しなければならないのである。
とはいえ、みなが思っていながら、ひた隠しにしてきた現実を多くの資料を考察しながら、歯に衣着せずにいいたい放題で、白日の下に晒しているからか、読後感は爽やか。もちなみに著者は70歳を越えているが、若い頃は明らかにイケメンである。