「青木薫のサイエンス通信」久々の番外編です。今回取り上げたのは、毎日新聞の科学記者・須田桃子さんによる『捏造の科学者 STAP細胞事件』。論文に欠陥が発覚した後、一部の科学者たちの反応に、青木さんは違和感を感じたという。科学史にも残るであろうこの事件、はたして問題の本質はどこにあったのか?(※本稿は、青木さんご自身のFacebookに書かれていた感想を、そのまま掲載させていただいております。)
私はこれまで、FB上とかで、STAP細胞事件について何か言ったことはありませんでした。バイオ系メディカル系の話題は、ニューヨーカーの記事なんかも好んで読んでいますし、わりと気楽に話題にもしているのですが、STAP細胞事件に関してはーーとくに論文に疑義が出されてからはーーわたしなんかが何か言えるような状況じゃなかったのですよ(まあ、家族に生物系の研究者が二人いるので、うちわでは議論しておりましたが)。
というより、そもそも昨年の1月30日に、STAP細胞の記者会見が新聞の一面トップになったときに、私は何も言えなかったのです。「すごい!」とも言えなかったんです。日本中が湧いたこの記者会見の時点で何も言えなかったのには、二つほど理由がありました。
まず一つ目は、新聞やウェブなどの説明を読んでも、この現象の基礎的なメカニズムがまるでイメージできなかったことです。もしこの話が本当ならば、生物進化の歴史の色合いが変わってしまいそうな感じなのに、その基礎的メカニズムがまるでわからないというのは、自分として不勉強なのだろう、とーー門外漢ならではの謙虚さで(笑)ーー思っちゃったんです。「ちょっと勉強してから何か言おうっと」と思ったのです。
今にして思えば、故笹井さんですら基礎的メカニズムはわからなかったのですから、わたしなんぞがちょっと勉強したところで、何かわかるわけはなかったのでしょうが、ともかく、そのときそう思いました。(理系&門外漢の人の場合、これはわりとフツーの反応かもしれません。)
何も言えなかった二つ目の理由は、小保方さんの「売り出し方」に違和感を覚えたことです。もちろん、理系分野で女性研究者が活躍するのはとても嬉しいことです。でも、なんか、ちょっと異様でしたよね。それでわたしは、これは扱い方がおかしいじゃない?、とひいてしまったんです。そんなわけで、リケジョ方面の切り口から、何か言う気にもなれませんでした。
そうこうするうちに、ものの一週間かそこらで(何か勉強するまもなく)、論文に重要な欠陥があるという指摘が出始めました。その後はもう、あれよあれよという間に論文はズタズタぼろぼろの体となり、わたしははっきり、「これはあかんやつや!」と思いました。
主要な論文がぐずぐずに崩れたのなら、STAP細胞を信じる理由はない、とわたしは思ったのです。(これまた理系&門外漢の人の場合、フツーの反応だろうと思います。)
ところが、門外漢ではない専門家の中に、論文がだめだからって、「STAP細胞が否定されることにはならない」という趣旨の発言をする人たちがいたんですよ。これには強い違和感を覚えました。
「STAP細胞を信じる理由がない」というわたしの(フツーの)感覚と、「論文がだめでも、STAP細胞が否定されることにはならない」という考えとは、同じ状況(論文ぐずぐず)を反映した、同じような趣旨の意見のように見えるかもしれません。が、実はまったく違うんです。
『捏造の科学者』の第12章では、この事件で考えなければならない問題点が指摘されており、いずれもとても重要なことだと思います。しかしここでは、私として「うんうん、そこだよね」と思った部分をちょっと引用しておきますね。
しかし、科学は長年、論文と言う形式で成果を発表し合い、検証し合うことで発展してきた。本来、STAP論文こそ、STAP細胞の唯一の存在根拠なのである。研究機関自らが、社会の関心のみに配慮して論文自体の不正の調査を軽視し、先送りにした事は、科学の営みのあり方を否定する行為ともいえよう。理研の対応は、科学者コミュニティを心底失望させ、結果的に問題の長期化も招いた。何より理研は、「信頼」という研究機関にとって最も大切なものを失ったのだ。
専門家&専門に近い人ほど(みんなとは言いませんが)、この陥穽に陥ってしまったのは、「バカンティのところの優秀なポスドクなんだから」「若山さんがやってるんだから」「笹井さんがあれほど自信たっぷりに言うんだから」という、個人への盲目的信頼があったためと言えるでしょう。またちょっと、本書12章から引用しますね。
仮に分業体制が確立された研究チームだったとしても、核心部分が一人だけに任され、生データのチェックもなされない環境は、不正の温床となりやすい。仮にその一人が、博士号を持つ「一人前」の研究者で、かつどんなに優秀で信頼のおけそうな人物だったとしても、同じことだ。むしろ両事件(補足:「シェーン事件」と「STAP事件」)は、個人への盲目的な信頼がもたらすリスクの大きさを、如実に示したと言える。
論文がぐずぐずになってからは、みなさんご存知のように、怒涛のすったもんだでした。みなさん、もう、何がなんだかわからなくなっているのではないでしょうか?
でも、これは間違いなく、科学史に残るスキャンダルです。再発を防ぐための方策も、しっかりと考えなければなりません。そしてそのためには、知ることからしか始まらないのです。「知ることからしか始まらない!」--それを実感させてくれるのが、この10日に刊行された、『捏造の科学者 STAP細胞事件』です。
著者は、毎日新聞の科学記者である須田桃子さん。須田さんは、この事件の最初から、ずっと先頭きって真相を追いかけてきた人です。須田さんには、科学記者として、それまで研究者とやりとりしてきた実績があります。そのおかげで、故笹井さんをはじめ、この事件の中心的な関係者と交わした電子メールや、直接的なインタビューでのやりとり、そして記者会見での様子が、本書にはふんだんに盛り込まれているのです。
そうした、その場で交わされた言葉(そして場の雰囲気)には、圧倒的説得力があります。そうだったのか、と思わされることが、本書の中にはたくさんあります。それだけでも、ぜひぜひ、本書を読んでみていただきたいと思うのです。
繰り返しになりますけれど、STAP細胞事件は、科学の歴史に残るスキャンダルです。そして、再発防止のために、一体これは何だったのかを知らなければなりません。そのために、本書は、必読の一冊であると思います。web上に渦巻いている、意見や憶見、感慨や憤慨、はては陰謀説めいたものの濁流に飲み込まれて頭を鈍くするのはやめて、まずは、本書を手に取っていただきたい。「つべこべいわずに、まず、これを読め!」と言いたいです。
また、須田さんは科学記者として、普段から、科学の最前線をわかりやすく説明するコラムのような記事を書いてらっしゃるんですね。そのため本書には、この事件を理解するためのカギとなる科学上の知識が、とてもわかりやすく(読者の負担にならないよう要領よく)解説されています。これもまた、本書のおすすめポイントです。その知識を踏まえることが、問題の所在を理解するためにも、とても重要なのです。
本書の内容に立ち入ることはしませんが(読んでね!)、この本の帯には、「誰が、何を、いつ、なぜ、どのように捏造したのが?」とあります。これはズバリ、科学記者としての須田さんの5W1Hなのであり、われわれは須田さんの目を通して、それに迫る経験を得ることができます(経験してね!)
私は、須田さんの、科学記者としての力量とスタンスにも、多いに学ばせていただききました。みなさん、『捏造の科学者』、ぜひ読んでね!