我々日本人にとって、中東という地域は直視することが難しい存在である。欧米的なフィルターを通して見ることも多いため、馴染み深い価値観との違いにばかり目が向い、不可解で危険な存在と断定してしまうことも多いだろう。
本書のテーマとなっている「イスラム国」という存在についても、数多くの残虐な振る舞いがニュースやソーシャルメディアを通して喧伝され、その本当の姿を我々は知らない。だが我々が彼らの歴史を知っている以上に、彼らは我々の歴史をよく知っているようだ。
これらのバイアスを一度リセットし、むしろ我々にとって既知なるものとの類似性を対比することで評価を定めて行こうとするのが、本書『イスラム国 テロリストが国家を作るとき』である。
著者はテロ・ファイナンスを専門とする女性エコノミスト。そのような専門領域があったこと自体驚きなのだが、そこに行き着くまでの彼女のエピソードも面白い。かつて幼なじみの友達がテロ組織「赤い旅団」の幹部として逮捕、面会に行った時に彼女の話し方が投資銀行員とそっくりであることに気付き、それがテロ組織のファイナンス調査を始めるきっかけになったという。
そんな経歴を持つ人物だからこそ気付きえた、「イスラム国」の真価とはどのようなものであったのか。
本書では冒頭から、彼らが高度な会計技術を使って財務書類を作成しており、その内訳が自爆テロ一件ごとの費用にまで及んでいたと明かされる。好業績を挙げている合法的な多国籍企業のものと比べても、全く遜色ないレベルの決算報告書であったという。つまり彼らは、潤沢な収入源を持ち、多くの外国人兵士を擁する多国籍武装集団であり、大規模な近代軍を統率し、よく訓練された兵士に給与を払う特別な組織なのである。
この分析からも分かるように、本書は「イスラム国」の大義、それ自体の是非や善悪を問うものではない。その目的を実行するためのポテンシャルがどの程度のものであるかを、ファイナンス、マーケティング、ブランディング、ガバナンスといった様々な角度から分析している。
この組織が歴史上のどの武装集団とも決定的に違うポイントは、近代性と現実主義という二点に集約される。それを支えているものの一つが、テクノロジーと高度なコミュニケーション・スキルによって構成されるプロパガンダである。
多くの現代人は、テロのような正体不明の恐怖に対して不合理な反応をしがちである。だからこそ彼らは、恐怖の予言を拡散させるべくソーシャルメディアの活用に多大なエネルギーを投じているのだ。この種の予言は、広言することによって自ずと実現するということをよく分かっていると言えるだろう。
要するに、「イスラム国」自身が我々のバイアスを逆手に取って情報戦略を駆使している点にこそ注視せねばならぬポイントがある。彼らの残虐な行為によって引き起こされた感情の高ぶりは、そのまま吸い取られて相手に利用されてしまうのだ。まるで、合気道の使い手と対峙しているようなものである。
ファイナンスとマーケティング、この二つの両輪が上手く機能することは、通常の企業活動であればそれだけでも十分かもしれない。しかし彼らの野望は、国家の建国というかつてテロリスト集団が夢見たことのないものであった。そのためには自分たちの正統性を示す必要があり、様々な歴史的事実から神話とレトリックを受け継いでいることも、著者はアナロジカルに読み解いていく。
かつてユダヤ人は、世界に散らばるユダヤ人のために、古代イスラエルの現代版を建国した。まさにそれと同じロジックで「イスラム国」は、スンニ派のすべての人々のために、21世紀のイスラム国家を興そうとしているというのだ。
さらにもっと時代を遡れば、かつて13世紀にモンゴル人はタタール人と組んでバグダッドを徹底的に破壊したことにも話は及ぶ。このスンニ派イラク人にとって恥辱的な記憶を、彼らはシーア派と欧米勢力が手を組んだ政治状況を攻撃するための武器として利用する。歴史的な正統性という神話を求めて、現代的なブランディング手法を繰り広げていると言えるだろう。
Facebookを通してつながった「アラブの春」、Twitterを介して広がった「緑の革命」、これら民衆の革命と言われたものがことごとく失敗する一方で、少数のリーダーに率いられる組織が着々と勢力を拡大しつつある現状。これを民主主義国家は、どのように解釈すればよいのか。彼らの残虐な行為の裏に隠されたメッセージが突きつけるものは重い。
その正体が善であれ悪であれ、歴史に学ぶものは的確な戦略を立てることが出来るし、新しいテクノロジーを使いこなすものは効果的な戦術を実行することが出来る。そして最終的には、勝ったものこそが正義を作り変えられることもまた、歴史が教えてくれる事実である。
ビジネスの世界に目を転じれば、新興国市場において既に先進国でヒットしたものを模倣した出来損ないの商品がシェアを獲得することも珍しくない。「あんなパクリ商品が」などとグレーな存在を侮っているうちに改良を繰り返し、先進国市場にも存在感を出してくる。本書を読めば「イスラム国」のケースが、そんな国家レベルでの「リバース・イノベーション」を起こしつつあるのではないかとさえ思えてくる。
今月、実に多くの「イスラム国」関連書籍が書店の店頭を賑わせることだろう。その中でも、最初に手に取るべき一冊としておすすめしたい。