動物に人間の心を映し、親しみを覚える。これは普段誰もが何気なくやっていることだろう。ペットの行動に癒されたり、近所の野良猫に話しかけたり、動物園で気怠そうなライオンに同情したり……。振る舞いを人間的に解釈することで、彼らを身近に感じている。
こうした擬人化は、動物だけでなく物質や自然現象にまで及ぶ。「空が泣いてる」なんて言い方も聞くほどだから、動物の行動を人間に喩えるのはまだ自然なことなのかもしれない。
しかし本書のように、「人間と動物の心のギャップ」を厳密に検証するとなると、一歩引いた冷静な見方が求められる。賢馬ハンスのような例を挙げるまでもなく、人間は動物の行動を大げさに解釈しがちだ。かといって、何でもかんでも疑ってかかっては、秘められた能力を見落としかねない。
観察された行動が高次で「複雑な」能力を示しているのか、もっと低次で「単純な」能力として説明できるのか、その見極めは難しい。プロの研究者の間でも意見は大きく分かれている。哲学者のダニエル・デネットは、比較心理学者は「夢想派」と「懐疑派」のどちらかの立場に偏りがちだと指摘したという。本書で著者はその指摘を引き合いに出し、前者の主張を「大層な」解釈、後者の主張を「簡素な」解釈として、動物の能力を見極めようとする数多くの実験と、その結果に対する両派の主張を分析していく。
タイトルや表紙からも分かるように、主に議論されるのは、現存する最も人間に近い存在、類人猿とのギャップである。
チンパンジーは食物をめぐって優位のチンパンジーと競う時、2つの食物のうち、つい立に隠れて、優位な競争相手からは見えない方を優先して取りにいったという。一方、つい立を透明にすると、隠されていた食物を優先することはなくなった。この結果から、チンパンジーは他者に何が見えているか、つまり他者の心を想像できると夢想派は主張したそうだ。
これに対し、著者はより「簡素な」説明をすることが可能だと主張する。この場合、地位の低い個体は「優位な個体が食物のほうを向いていたら、近づかないほうが安全」という行動規則を学んでいただけかもしれないというのだ。
また、類人猿ではないがミーアキャットの実験も興味深い。大人のミーアキャットはサソリなど危険な獲物の扱い方を、子どもに段階的に覚えさせる。食べ物をねだる我が子に、最初は殺した獲物を、それが扱えるようになったら今度は針を抜いて毒をなくした獲物を、というように子どもの習熟度に応じて与える獲物の難度を上げていくのだ。これはあたかも人間のような「教育」を行っているように見える。
だが、録音した音源を使った実験の結果、実態はもっと単純だったことがわかった。餌を求める年上の子どもの泣き声を再生すると、実際の子どもが生きた獲物を扱うには幼すぎる場合でも、大人は生きた獲物を運んできてしまったのだ。つまり上達度合いではなく、子どもの泣き声をもとにして課題を決めていたということになる。実際はそれでもなんとかなっているのだろうが、先生としては失格だ。
こうした例を見るだけでも、動物の個々の行動がどんな能力を示しているのか、見分けることの難しさがお分かり頂けるだろう。普段から良い悪いは別として「大層な」解釈が染みついている人ほど、本書の視点が新鮮に感じられるはずだ。
ところで、本書は動物たちの事例がただ羅列されていくだけの本ではない。ギャップを問うことで、次々と新たな問いが生み出されていく。
著者は人間に特有な点として、言語、先見性、心の読み取り、知能、文化、道徳性の6つを取り上げ、それぞれに1章分を割いて論じていく。だが、そもそも何をもってそれらの能力や概念が「ある」とするのか、基準がなくては判断できない。そこで著者は、事例を検討する前に、基準を考えるところから各章を始めていく。
言語能力とは何か、心を読む能力とは何か、何をもって道徳性とみなすか……。思えば、これらの問い1つ1つが、知の巨人たちによって長らく議論が闘わされてきた、答えのない深遠な問いである。著者はその議論の過程を6つの領域それぞれでざっくりと振り返り、主だった著作と言説を引用しながらギャップを読み解く指標を練り上げていく。こんな壮大な作業が、たった一冊の中で行われているのだ。
よって本書は、動物行動学や比較心理学、霊長類学どころではなく、言語学から進化心理学、遺伝学といった様々な分野を縦横無尽に行き来する。引用されている中で邦訳の一般書が出ているような人物を挙げるだけでも、ジャレド・ダイアモンド、リチャード・ドーキンス、スティーヴン・ジェイ・グールド、ノーム・チョムスキー、フランス・ドゥ・ヴァール、ロビン・ダンバー、ジェーン・グドール、そしてダーウィンと、錚々たる面々が並ぶ。巻末の主要参考文献を数えたところ、邦訳のある本だけで47冊。異分野の間の思わぬつながりや、新たな知見に出くわす楽しみが多いのも本書の魅力である。
また、著者はギャップの起源を探るため、ネアンデルタール人や現生人類が存在していた太古の昔にも遡る。「私たちはどこからきたのか」に迫ることで、類人猿よりヒトに近かったホミニン(ヒト亜族)が絶滅したことが現在のギャップの大きさにつながっている、といったように本書のテーマをまた違った視点から捉えることができるのだ。
こうして読者の思考はあらゆる方面に飛ばされるのだが、それらはすべて「人間とは何か」を考えるという点でつながっている。そのため読んでいて関心が尽きず、いろいろな話題に興味が派生していく。参考文献と原注を抜いて約400ページというボリュームにもかかわらず、膨大な量の情報を著者が上手く料理しており、案外スラスラと読めるのも嬉しい。
最後にギャップの話に戻ると、著者は「入れ子構造を持つシナリオを心のなかで生み出す際限のない能力」「シナリオを構築する他者の心とつながりたいという抜きがたい欲求」の2つが人間の心を独特なものにしていると説く。だが、これは決定的な意見にはほど遠いとも述べ、さらなる検証に期待をよせている。
そういう意味で本書は「答え」ではなく「問い」に満ちた本といえるだろう。読みやすいが、読み返すたびに発見があり、考えさせられる。そんな歯応えのある一冊だ。
※小林啓倫氏による客員レビューはこちら
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