「下町の工場が海底探査ロボットを開発して、世間をアッと言わせたい。」
2013年末、東京下町の町工場が「江戸っ子1号」という深海探査機を開発し、世界初の深度8000mでの三次元ハイビジョン映像に成功した。これまで、大企業の下請けというイメージの強かった町工場だったが、自ら開発力をもつことで息を吹き返しつつあることを世に証明している。今回の成功は2009年に東大阪市の町工場が人工衛星の打ち上げに成功したことに続く快挙で、大阪が「宇宙」なら東京は「深海」と、日本の町工場も捨てたもんじゃないという気分にさせてくれるビッグ・ニュースだ。
本書は、衰退する東京下町工場が世界初の偉業を成し遂げるまでの過程を追ったノンフィクションであり、町工場のおじさんがぶち上げた深海探査機の開発構想が実現に至るまでの紆余曲折が描かれている。新規プロジェクトのワクワク感と産みの難しさが詰まった一冊だ。
物語は、冒頭引用にある、とある町工場経営者のアツい想いからスタートしている。そしてその想いに、町工場の人々だけでなく、金融、大学、ソニーとバラエティーに富んだ業界出身者が集まっていく。更には、この町工場軍団の開発に、ダイオウイカで一躍脚光を浴びたJAMSTECこと独立行政法人海洋開発機構も側面支援というカタチで加わっている。
日本は海に囲まれながらも、これまで海洋開発の資機材分野で世界市場からかなり取り残されてきた。関係者間には、今回プロジェクトの成功が日本での海洋構造物マーケットの起爆剤となるかもしれない、という期待もあったようだ。(ちなみに国土交通省によると海洋構造物産業は、日本が30%以上のシェアをもつ情報端末や電子部品と同じく10兆円を超える市場規模にもかかわらず、日本のシェアはわずか1%である)。
町工場プロジェクトが数々の挑戦を乗り越えていく物語や、関係者間の人間模様も面白いが、本書の醍醐味は、美談仕立てで語られがちなプロジェクトの裏側にある黒衣たちの奮闘にもスポットライトをあてていることだろう。今後、産学官連携、農商工連携を掲げたプロジェクトが増えていく中で本書は貴重な記録であるし、起業家や、大企業内で新規事業を開発しようとしている人たちには、ぜひ手に取って読んで欲しい内容が詰まっている。
例えば、本プロジェクト成功の裏に、ソニーのエンジニアが導入した「工程管理表」と半日ごとの執拗な進捗確認がある。これがプロジェクト成功に欠かせなかったことは、関係者みなが認識していることだが、マスメディアでは取り上げられない裏話である。甘えを許さないメーカー流プロジェクト・マネジメントは、その厳密さゆえに関係者間の軋轢を生むが、プロジェクト最終段階でのスケジュール・コスト・品質管理を見事に成功させていく。
ちなみに「江戸っ子1号」プロジェクトに参加したソニー技術者たちは、みなボランティアだったそうだ。会社として正式な関与はできない状況下、一部の社員が手弁当で通常業務後にプロジェクトを支えたという。暗いニュースが続くソニーだが、社内にはソニー・スピリットが健在であることを知らしめている。
航海実験を終えた「江戸っ子1号」は、現在、事業化に向けて、走り出しているという。かつてソニーによるトランジスタ技術が、その後のエレクトロニクス立国日本の源流となったように、「江戸っ子1号」の深海探査技術が海洋立国日本の礎となれば、本書は相当価値ある記録となるだろう。