実際の殺人事件を捜査する刑事たちに密着・撮影した、実録写真集。時代は、戦後まもない昭和33年、モノクロの陰影がバラバラ殺人の謎を深めていく――神保町でイギリス人に「発見」され、フランスの出版社を経て、日本でも刊行された評判の写真集をもう見ましたか?
評判の写真集なので、すでにご存じの方も多いのではないか。
と思いきや、意外に周囲に知らない人がいたので、紹介しておこうと思い立ったのがこれ。なにしろ、誕生までの道のりが、なんとも、あるようでない話なのだ。
そもそも、掲載されている写真の一群は、報道写真や、後に作品集『神楽』(1988年)で知られる著名な写真家、渡部雄吉さん(1924~1993)の手によるもの。とある殺人事件の捜査に20日間密着して撮影し、同年に『日本』という雑誌にて発表された。
が、そのまま単行本にまとめるのでもなく、消えゆく運命かと思いきや、2006年になって、イギリス人の古書バイヤーが120枚にものぼるオリジナルプリントを東京・神保町で「発見」し、2011年にそれをもとにフランスの出版社 Editions Xavier Barral(ホームページに並ぶタイトルがおしゃれ。)が『A criminal Investigation』という一冊の本としてまとめたのだ。造本が美しいのでこちらのサイトでよかったらどうぞ。
イギリス人古書マニアは神保町まで網羅しているのか。Editions Xavier Barral なる出版社、やるなぁ。などとつい思いを巡らせてしまうが、その偶然のバトンタッチにまずわくわくする。
バトンは海を越えて日本にもたらされる。2013年になると、渡部さんのご子息が保管していたオリジナルのネガプリントをもとに再構成した写真集が、東京の写真専門の出版レーベル roshin booksから『張り込み日記』(英語タイトルは『Stakeout Diary』)として刊行されたのだ(1000部限定のセカンド・エディションがこちらで販売中。230ミリ×305ミリの大判で写真がよく映える。また写真集印刷に使用したプリント、100種100部の販売もしているよう。8×10で1枚25800円。これはかっこいい。)
そして、今回紹介するのが、この11月に刊行されたナナロク社版『張り込み日記』だ。先行の2冊と比べてみたいところだが、キリがないのでそれはひとりでやるとして、こちらは、お値段が手ごろな価格帯に入ったソフトカバーで、204ページ、少し小ぶりなB5版だ。そして、1000枚からセレクトしたという写真の構成と、事件の詳述やあとがきをまとめているのが、なんと小説家の乙一さん。そしてそして、「ジャケ買い」させようという魂胆なのか、ブックデザインは、な、なんとあの祖父江慎さんだ。どーだ、まいったか。
肝心の事件はこうだ。茨城県水戸市の湖のほとりで、切り取られた親指と鼻、陰茎が、ほどなくして対岸で、残りの遺体が、顔面を酸で焼かれ、指紋を切り刻んだ状態で見つかる。身元を隠すために犯人によって手を加えられたと推察され、遺留品の手ぬぐいのわずかな切れ端から、東京の下町、入谷の旅館が次の導線となっていく。なぜ死体の身元を隠そうとしたのか、それこそが事件の鍵を握るポイントになるのだが、それは後のお話、謎が謎を呼ぶ展開になり、いつしかひとりの男が捜査線上に浮かびあがっていく。
ただ、写真が追うのは、事件そのものというよりも、それを追う刑事ふたりと言ってよいと思う。茨城で遺体が最初に見つかったため、茨城県警から若い25歳の緑川刑事が派遣され、捜査一課の超ベテラン、向田刑事とコンビを組むことになるのだが、この新旧コンビが『相棒』か? というマッチングぴったりなバディで、ダスターコートにハンチング帽で颯爽と聞き込みを行う様子はなんとも絵になるのだった。年上の向田刑事が座っているときに緑川刑事がくらいつくかのように立っていたり、補完しあうような立ち位置が見えてきたり、いくつかの写真に二人の関係性が見えてくるのも面白い。
なにより、写真から伝わる、このふたりの「ホシをあげてやるぜ」という熱い意気込みは、撮影した渡部さんの「ふたりに犯人を捕まえさせてやってくれ」という祈りのごときあたたかい応援歌と表裏一体のような気がする。
と、内容は見てもらうとして、乙一さんのあとがき「昭和の事件に触れて思うこと」にこんな文章があった。
向田刑事のご子息にお会いしてお話をうかがう機会があった。定年間近の向田刑事の肉声を録音したものが残っており、聞かせていただいたのだが、映画『東京物語』の笠智衆さんのお声や話し方にそっくりだった。印象的だったので、最後にそのことを書いておこうと思った。
最初にページを開いたら、「匂い立つ」という表現がぴったりな、渡部雄吉さんの写真を思う存分味わい、驚いてほしい。二度目は写真のディテールをじっくり見つめながら謎解きをしていく。三度目は、乙一さんがあとがきで種明かしをしている編集構成の妙を味わってみてはどうだろう。
四度目は、これまたあとがきに従って、笠智衆の脳内勝手アフレコでページをめくってみるのだ。映画を見るかのように、刑事たちの身体が躍動し始め、たばこの煙がゆらいで部屋に立ち上る。そして背景に映る街に、日本が駆け抜けた時代が、いつしか映し出されてくるにちがいない。