小学生の息子と家に遊びに来ていたその友人たちに、青色LEDを知っているか、と聞いてみた。口々に知ってる!ノーベル賞!信号機!などと声が上がる。青色LEDに関する研究がノーベル物理学賞を受賞したことは、子どもたちの間でも周知なのだ。彼らはそれがどのような研究者によって、どのような経緯で開発されたのかは知らなくても、ライトや信号に使われている技術であることは知っている。
2014年ノーベル物理学賞受賞者は3名。赤崎勇氏と天野浩氏。両氏は当時同じ研究グループに属し、青色LEDの開発を手掛けていた。一方中村修二氏は、日亜化学の研究者として、赤崎氏や天野氏と同じく窒化ガリウムを材料にしながらも、独自のアプローチで開発を進め、それに成功した。本書は、『日経エレクトロニクス』や『日経ビジネス』などの20年にわたる雑誌記事、ノーベル賞受賞後の書下ろしインタビューを加えて、科学界最高の栄誉を得た1人である中村修二氏の真の姿を浮かび上がらせようとした労作である。
「中村修二」。検索をかければかけるほど、あきれるくらい実像の見えなくなる人物である。彼についての大きなキーワードは2つ。「高輝度青色LED開発」と「中村裁判」である。当時無名の企業研究者が、しかも、地方の材料メーカー所属の研究者が、その企業の専門外の分野である「実現は21世紀」と言われていた高輝度青色LED開発に成功した。ただの開発以上の衝撃を伴ったニュースだったに違いない。そして一躍時の人となった彼は、更にお茶の間を賑わせる。所属していた日亜化学を退社しアメリカの有名大学教授へ、そして日亜化学との特許を巡る「中村裁判」。裁判では特許を巡って、何百億という数字が注目を集め、メディアで語られる中村氏の歯に衣着せぬ言い様に、徐々にイメージが独り歩きしていったように感じる。「怒る人」ナカムラ、「傲岸不遜」ナカムラ、「金の亡者」ナカムラ、「変人」ナカムラ。そして2005年、裁判が終わり、中村氏を巡るニュースはワイドショーから離れ、過去のものとなっていった。
しかし2014年、彼はノーベル物理学賞を受賞する。中村氏にまつわるニュースが掘り返され、再び耳目を集める。受賞後の会見に注目が集まる。中村氏は再び悪者(ヒール)という仮面を付けられる。本書はそれに待ったをかける。
『日経産業新聞』が徳島支局発のニュースとして、日亜化学による青色LED開発のニュースを報道した日に即日取材依頼をした元『日経エレクトロニクス』記者の回想。青色LED開発に関連する記事の数々は丹念に集められている。当時の中村氏が語る真摯な技術開発への心構え。庇護者であった日亜化学創業者への感謝の念。開発時の苦労話。巻末資料には「高輝度青色LED技術誌が報じた発明の軌跡」と題して、それに関する『日経エレクトロニクス』の記事を時系列にまとめるという念の入れようで、余計なフィルターのない記事を追っていくと、いかに中村氏の功績が素晴らしいものだったのかがよくわかる。
「中村裁判」については、『日経ビジネス』の記事が増えてくる。特許法35条にある特許権譲渡に対して発明者が受け取ることが出来る相応の対価についての議論は、メーカーの特許報酬制度見直しにつながり、産業界への影響が大きいものだったからだろう。記事を読んでいくと、裁判の意義が分かりやすい。あの裁判は、相応の対価の算定基準の明確化、特許発明に対する評価についての司法判断を問うことで、企業に対する技術者・研究者の立場を明確にし、向上を促しうるものだった。
今、改めて中村修二氏に関する本を読もうという人は、例えば「中村裁判」当時に比べて少ないかもしれない。しかし、史上最もスキャンダラスな日本人ノーベル賞受賞者の功績は真に何だったのか、すべてが過去となった今だからこそ問うことが出来るのではないか。そして、渡米後の中村氏が描く未来図、日本の技術者たちへのメッセージを、冷静に受け止め咀嚼することが出来るのではないか。ただひたすらに記事とインタビューを繋いだこの本に、わかりやすいストーリーはない。しかし、中村氏の言葉を愚直に拾い、当時の空気をそのままに伝えようとする。編集班の強いメッセージを感じる。
“Learn from yesterday,
live for today,
hope for tomorrow,
The important thing is
not to stop questioning.” Albert Einstein
「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、疑問を持ち続けることだ。」最初のページに記されたアインシュタインの言葉に、どんな思いが込められているのだろうか。ノーベル賞受賞後のインタビューを読むと、ひどく考えさせられた。