『知ろうとすること。』を読んで、僕の心に一番強く残ったのは、「トンデモ論に対して、正しいデータを出して、誠実で揺るぎない態度で撃破することが大切だ」という趣旨のところだった。まさにそれを文字通り実践した本に出合った。それが本書である。
「江戸しぐさ」については、昔、確か地下鉄の広告で見かけた記憶がある。「傘かしげ」「肩引き」「こぶし腰浮かせ」が3大江戸しぐさと言われているようだが、「傘かしげ」(すれ違うとき、相手も自分も傘を外側に傾けて、一瞬、共有の空間をつくり、さっとすれ違う)は、確実に絵で見た記憶が残っている。その時は、多少の違和感は感じたものの(江戸時代の文学作品等をかなり読んでいたが、その中では江戸しぐさが全く出てこなかったので)、「へえーっ、そうなんだ」と思ったぐらいで、それ以上深く詮索しようとは考えなかった。著者は、第1章で「江戸しぐさ」を概観した後で、個々の「江戸しぐさ」を丁寧に検証していく(第2章)。正しいデータを踏まえて、個々の「江戸しぐさ」を1つずつ撃破していくところは実に痛快だ。
その上で、著者は、誰が「江戸しぐさ」なるものを創始し、誰が広めたのかを丹念に追求していく(第3章、4章)。このくだりは、まるで推理小説を読むように面白い。こうして「江戸しぐさ」なるものが1970年代に創始され、80年代に広く提唱されたものであることが明らかにされる。問題は、このような新しく創られた「伝統」が、公教育の現場で積極的に導入されていることだと著者は指摘する(第5章、6章)。それが本当なら誠に由々しきことであろう。少なくとも公教育の現場ではウソを教えてはいけない。「江戸しぐさ」が実は「昭和しぐさ」であることが明らかになった以上は、100%譲って仮に教えるとしたら「昭和しぐさ」として教えるべきであろう。著者は、「現状否定のために過去を美化することの無意味さ」を指摘する。その通りであろう。
ところで、何故このような事態が生じたのだろう。著者は「専門家が社会的責任を果たさなかった帰結」だと主張する。確かに「歴史学・近世文学・民俗学など江戸時代の文化に直接関わる分野」の専門家であれば、「江戸しぐさ」が架空の伝統であることにすぐ気づいたはずである。ルカーチが「歴史の専門家は、自分たちにとっての真の利益のために貢献すべきであり、史料の偽造(およびその解釈)を発見し指摘しなければならない義務と責任がある」と述べている通りである。「江戸しぐさ」の普及に貢献したメディアは以って瞑すべきであろう。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。