死後3000年以上が経過した今も、このファラオには大国の首脳を動かす力がある。自国へのツタンカーメン来訪をエジプト大統領サダトに依頼したのは、米国大統領のニクソンだった。この直訴の結果1976年から1979年にわたって全米を回ったツタンカーメン展覧会は、100万という途方もない人数を美術館に向かわせる。来場者にはそれまで一度も美術館に行ったことのない人も多く、この展覧会はアメリカ各地の美術館の運営方針を一変させるほどの影響を与えたという。
熱狂したのはアメリカ人だけではない。ツタンカーメンは、世界中の考古学者はもちろん、宗教学者、メディア、エジプトや考古学に興味のない者まで惹きつけた。そのためツタンカーメンについては、これまでも多くの書籍やドキュメンタリー映像が作成され、その度に“驚くべき新事実”が世間を騒がせてきた。「ツタンカーメンの両親は近親相姦だった」、「彼は権力争いの末に殺害された」、「その墓を暴いた人たちが次々と非業の死を遂げた原因は病原菌である」などというニュースを一度は耳にしたことがあるだろう。どんな些細な発見も、眉唾もののうわさ話も、ツタンカーメンのことならばニュースになる、人々の関心を呼ぶ。
このように語り尽くされたかと思われるツタンカーメンを、著者が探求のテーマに選んだきっかけは2010年夏のアメリカの医学雑誌(JAMA)への5つ投稿にある。これらの投稿は、その数カ月前同誌に掲載された、ツタンカーメンのDNA分析結果に対する批判だった。その批判の痛烈さに、著者は目を奪われる。先に掲載された論文は、エジプト考古局長ザヒ・ハワスを中心とした研究で、そのDNA鑑定結果は「両親が実の兄妹だったため、ツタンカーメンには口蓋裂や内反足などの先天性以上があった」と結論づけていた。しかし、この5連の投稿は「ミイラの中に古代のDNAが生き続けていた可能性は極めて低い」と訴え、ハワスの結果を全否定しようかという剣幕だったのである。
ハワス等によるこの研究はディスカバリー・チャンネルで派手なドキュメンタリーに仕上げられ世界中で反響を呼んだが、その内容に真っ向から疑問を投げかける科学者たちが、誰からも注目されることなく存在している。この状況に対峙したとき、著者に多くの疑問が浮かんだ。
大手メディアの資金を潤沢に使い、ハワスほどの大物が行った研究結果が科学的に不確かなものなのだとしたら、巷にあふれるツタンカーメンにまつわる言説はどこまでが事実といえるのか。なにより、本物のツタンカーメンはどのように生き、死んだのか。
遺伝学の博士号と科学ジャーナリストとしてのキャリアを武器に真実のツタンカーメン像に迫ろうと考えた著者は、世界で最も有名なファラオが死後に辿った奇妙な物語を、膨大な一次資料をかき集めながら再構築していく。公となっている報道資料や学術研究はもちろん、図書館で埃をかぶっていたメモ、発掘当事者等への丹念なインタビューで複雑に絡み合った謎は少しずつ謎でなくなっていく。前著『アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ』でも存分に発揮された著者のストーリーテリング力に魅了され、バラバラに思えたエピソードが次第につながり合っていく物語に没頭していく。
本書の読みどころは、ツタンカーメンの真の姿やこれまでに提唱されてきた諸説の科学的検証だけではない。ツタンカーメンに魅せられた人々の姿、彼らがツタンカーメンに託した思いが、何より魅力的なのだ。最初は、ツタンカーメンに引き寄せられてしまう人々の行動を不思議に感じるかもしれない。しかし、ページをめくるうちにその奇妙な物語に没頭し、あなた自身もまたツタンカーメンに魅せられていることに気がつくはずだ。ツタンカーメンを巡る人間模様は実に多面的で、エジプトや考古学にそれほど興味がない人でも、間違いなく楽しめる。メディアに主導される科学の危うさ、政治による学術研究の加速と停滞、という視点から読むこともできるだろう。
ツタンカーメン死後の物語は、1922年に始まる。物語の扉を開けたのはシャーロック・ホームズ並みの洞察力を兼ね備えた考古学者ハワード・カーター(カーターは、その調査能力で墓泥棒を特定し、裁判にひっぱりだしたこともある)。カーターがどのようにツタンカーメンの墓を見つけ、その発見が世界的ニュースとなったかを知る人は多い。しかし、実際に彼が何を見て、どのようにミイラを分析したのかを知る人は少ない。それを知る手がかりはほとんど残されていなかった。それでも、著者は世界に散らばるわずかな事実を積み重ね、真実に迫っていく。そして、カーターがミイラに行った意外な行動が、数々の都市伝説を生み出す要因となっていたことが明らかとなる。
カーターにより始められたこの物語は、その後も多くの冒険者たちによってその続きが描かれてきた。そして、本書の物語は最後に冒頭で紹介したDNA鑑定へと至る。この終盤の見せ場となるDNA鑑定を巡るパートは、遺伝学を専門とする著者の腕の見せ所。古代の史料から採取されたDNA分析について、科学者たちがどのような見解を持っているのか(どれほど意見が断絶しているか)が分かりやすく整理されている。この部分を読めば、時折ニュースを騒がせる“世紀の考古学的発見”がどのような意味を持つのかがよく分かる。
世界はツタンカーメンの何に熱狂したのか、明確な答えを出すことは難しい。彼にはまだまだ多くの謎が残されているのだが、エジプトの春以降、諸外国の研究者はファラオに近づきにくくなっているという。十分な科学的研究が実施できたとしても、ツタンカーメンの謎の全てが完全に解き明かされる日がくることはないだろう。しかし、ツタンカーメンの謎を解き明かそうとする人々が奇妙な物語を作り続けていくことだけは間違いない。
ギリシアの海底から引き上げられた不思議な機械。2000年以上前に作られたと思われるこの機械はあまりにも精巧だった。いつ、誰が、何の目的でこの機械をつくったのか。成毛眞のレビューはこちら。
科学者たちは古代の手がかりからどのように生命進化を明らかにしようとしているのか。その研究の難しさ、面白さが伝わる一冊。
旧約聖書の内容を考古学的に検証することで何が見えてくるのか。『ツタンカーメン 死後の奇妙な物語』で描かれる内容と合わせて読むと、より楽しめるのではないだろうか。出口会長のレビューはこちら。