文藝春秋翻訳出版部の『ハチはなぜ大量死したか』につづく快挙である。科学ノンフィクション翻訳部門2連勝だ。担当の下山進さんから会社に送っていただいていたらしいのだが、自宅でも当然買っていた。装丁デザインも本文の図版も素晴らしい。とりわけ書名のセンスは原書のそれを上回る。
2000年前のこと、ギリシャからの財宝を積んでローマに持ち帰る船が沈没した。その船の積荷の中に本書が取り上げる不思議な歯車機械があった。あまりに精緻な論理によって、あまりに精密に作られているため、発見されてから100年間も正確に理解することができなかった。じつはこの歯車機械は天体の動きを予測して、未来を見るものだったのだ。
物語は100年前の海綿獲りのダイバーが沈没船を発見したところから始まる。しかし著者は科学ノンフィクションの名手であるイギリス人だ。たんに発見したのは誰で、どのように引き上げたなどという新聞記事的な記述でお茶を濁さない。当時の潜水技術を詳細に説明し、ベンズ(潜水病)や窒素酔いの科学までを丁寧に説明しながら、海の物語を語る。
引き上げられた遺物を調査するための「放射性炭素年代測定法」も説明し、科学読み物として王道を進むと思わせつつ、次のエピソードではこの海域の再度調査をするジャック・クストーを登場させる。なんと読者はふたたび海洋冒険へと連れ戻されるのだ。
現代の学者たちの解読競争とその研究結果こそが本書のテーマなのだが、この機械を運ばせた人物としてポンペイウスやスッラ、作った人物としてヒッパルコスやアルキメデスまでが候補として登場してくるのだがら、古代史ファンにとっても油断のならない本だ。沈没といえばアクティウムの海戦だとグダグダと連想が始まり、古代ギリシャの地図を書庫で探し廻ってしまった。
著者は海洋冒険と科学と古代史だけでは物足りなかったらしい。この機械の分析をするために開発されたマイクロフォーカスCTと、それを作った会社のその後のビジネスについても知らせてくれる始末だ。
どんな機械なのかについては本書を読んでもらいたい。しかし、機械そのものがつまらないものであれば、いかに本の仕掛けが面白くても本書を買う必要はないと思う。そこで、ひとつだけでも読む価値がある事実を紹介しておこう。じつはこの機械には歯数223の歯車が使われているのだ。そして、223は素数なのだ。