冒頭から引きこまれる。
いまの私には、死はただ一ツの人間らしい道を歩んだということのできる方法です
今から65年前に15歳の少年が書いた遺書の一節だ。
終戦の年の1945年、彼は11歳で家族を空襲で失った。路地をさまよい、ごみを漁り、闇市の屋台から食べ物を盗み、飢えをしのぐ日々。誰もが生きるのに必死だった。彼に手を差し伸べる存在はなかった。大人たちは彼を泥棒と見なし、警察は検挙して孤児院に送り込んだ。孤児院で待っていたのは職員の暴力。脱走しては、また放り込まれる。その繰り返しに、心身ともに疲れ果てた少年は自死を選ぶ。
戦争で突然家族を失い、路上をさまよう-こうした「浮浪児」は当時、決して少なくなかった。『朝日年鑑(1948年版)』によれば約三万五千人と推測され、家庭の事情で家を飛び出した子どもも含めれば浮浪児は「十万人をはるかに超すだろう」と著者は指摘する。多くが十四歳以下の小中学生だったとされる。
家族や家を失い、焼け野原に放り出された彼らが集ったのが上野駅の地下道。だが、寒さはしのげても、食べ物はない。餓死寸前に追い込まれた彼らが生きる場に選んだのが繁華街や闇市だった。
海外のストリートチルドレンを取材してきた著者が、日本の戦後の浮浪児の軌跡に光を当てるのは必然だったのかもしれない。21世紀に入り、アジアやアフリカの町では道端に横たわる子どもたちの姿を見かけなくなったという。経済成長に伴う行政の浄化作戦で彼らの存在は町中から消されたのだ。
それはかつて日本が辿った道程ではないのか。著者はこう記す。
終戦から約七十年、日本の研究者やメディアは膨大な視点から戦争を取り上げてきたはずなのに、戦後間もない頃に闇市やパンパンとともに敗戦の象徴とされていた浮浪児に関する実態だけが、歴史から抹殺されたかのように空白のままなのだ
本書では元浮浪児や関係者の記憶を辿る。容易に想像できるように彼らを取り巻く環境は苛酷だ。商店に住み込みで働いたり、養子になったりした者もいたが、大半はその日を暮らすのに精一杯だった。物乞いをし、犬を殺して食べた。強奪もした者もいたし、女の子の中にはおにぎり一個で自分の体を売った者もいた。女性であることを隠すために男装する者も少なくなかった。そうしなければ命の危険すらあったからだ。
09年から5年の歳月にわたり関係者の証言を丁寧に積み重ね、歴史から消された浮浪児の実態を照らし出した。そこに横たわっていたのは、浮浪児にとっては食うか食わぬか、生きるか死ぬかのもうひとつの戦争が、国が復興に歩みだした戦後に始まったという事実だ。
本書の言葉を借りれば浮浪児たちは皆、「がむしゃら」に極限状態で生きた。命をつなぎ、年を重ねた彼らだが、その後の人生はさまざまだ。成人後はほとんど波風が立たない人生を送る者もいれば、ジェットコースターに未だに乗っているような者もいる。彼らの目には今の日本はどう映るのか。生きるとは何なのか。消された歴史を埋め合わせた本書は、戦争へのこれまでにない視座をもたらしてくれる。
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