最近は、小学生からクリティカルシンキングを教える学校もあるらしい。
批判的思考能力とも訳されるが、これは複眼的にものを見て、それぞれのケースを批判的に読み込み、その上で自分の意見を作って、他人に伝えられる能力といった発展的な思考法だ。よく単純な計算練習とか書き取りとか、反復練習に対する反対概念として言われることが多い。あるものの受容よりも理解が大切なのだ。
本書は世界のアート界で活躍する筆者が芸術を志す新人アーティストに向けたメッセージだ。先日、美術の世界に全く携ったことのない人に、なぜ現代アートが生まれたのかの背景を説明した所、妙に関心された事があった。ここでいう現代アートとは、近年映画化されたジャン・ミッシェル・バスキヤや、アンディ・ウォーホールといったアーティスト達が活動した第二次世界大戦後の芸術活動を指す。何を話したかというと、歴史を紐解けば、経済と美術は密接に関わってきたということである。日本ではモネやゴッホの印象派が一番馴染み深いムーブメントであったが、アメリカの戦争の勝利と共に、アートの場もそれまで主軸であったパリからニューヨークに移動した。戦争により経済的に有利になったアメリカは、次の一手として文化を発展させようとした。ヨーロッパ諸国と比べて、歴史の浅いアメリカが権威を高めるためには、文化を発展させる必要があったのだ。
ちなみに、ざっくりとこのような背景は本書にほぼ掲載されている。私はこの本に出会うまで芸術について何も語れなかったし、自分の考えすらなかった。
芸術は尊いものとして認識している人が日本には大勢いる。さらに「芸術は神聖なもので、ルールなどないはず。自由こそ真のアートだ」という反コンセプト主義も日本では蔓延している。そのため、アートの世界で重要視されているコンテクストを理解していなければ、私達は作品をみても一体どんなことをいいたいのだろうと困惑するはずだ。
著者は、世界を視野にいれた芸術活動においては、グローバル・ルールを知らないで制作していても無駄であると述べている。それはコンテクストにより自分の作品を武装し、付加価値を身につけることだと諭している。これは事実であって、単純に作品の「技術的な上手さ」よりも「何を言いたいのかを作品に集約させる編集力」が大事になってくる。画家でさえ戦略がなければ、ゴッホのように才能はあっても生前では1枚しか売れない状態になるよという主張だ。
ちなみに著者がアメリカ人に対して実装したコンテクストは下記のとおり:
・私の作品はジャパニメーションである。けど、これはあなた達アメリカ人の影響ですよ。
・なぜならアメリカは日本に勝利し、その後の条約の元で日本は平和ボケしてしまいました。
・その結果、日本ではアニメカルチャーが発達しました。
・でも元をたどれば、あなたたちアメリカ人のせいでもあるのですよ。
作品における評価の基準は技術やコンセプトなどの大きく4つの項目にわけている。読んでみると論理は本当に簡単なのだが、この事実を出すため筆者はどれだけのトライ&エラーを試してきたのだろうか。文章からは何度も挑戦し続け、証明してきた結果と説得力がある。
本書に通底して書かれているのは、アートのグローバル・ルールだが、同時に本質的な日本美術の教育問題も浮かび上がる。残念ながら、私が美術大学の学生だった当時、教授は実際に生徒にアートを伝えられていなかった。この点に関しては村上氏は『エセ左翼的で現実離れしたファンタジックな芸術論を語りあうだけで死んでいける腐った楽園』と称している。日本の美術大学でも、村上氏が提唱するグローバル・ルールを是非積極的に教育に取り入れて、世界に通用する芸術家を多数輩出して欲しいと思う。
クリティカルシンキングはそのままに訳すと、批判的思考能力と何か理屈っぽくてネガティブな感じもするが、これは複眼的な意味が含まれている。ひとつのことをいくつかの角度から見てみることだ。ひとつのアングルから見てわかったような気になるのは危うい。
グローバル・ルールを理解していないと、宗教画を見ても、作品の純粋価値はさておき「当時の画工が、パトロンからお布施によって集まったお金で依頼され描かれた絵」という裏の構図がわからないだろう。自分があちらの立場だったら、自分がこっちだったらどう見るか。それらを統合して見ないと、宗教画も「なんだか偉い天使さまがいるだよ。きっとこの教会はありがたいにちげえねえ」という農民的反応になりかねない。洗脳されてしまわないようにも、相手の立場になって考えるということだろう。
本書はアート界の話だが、こういった立場を理解し、試行錯誤の上、議論されることは本当の意味で芸術が発展することに繋がるのかもしれない。
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世界で戦えるアーティストになるために
d-laboインタビュー掲載