今年の夏祭りは鎮魂の気持ちを込めた、とても厳粛なものだった。もちろん、跳ね、踊り、歌って楽しく過ごしたのだが、心の底には災害で命を落としたしたり、行方のわからない方、そのご家族への哀悼が込められていたように思う。これを区切りと考える人も多かっただろう。
大震災の後、瓦礫の中から思い出の品物を見つけようとしていたり、自衛隊やボランティアが片付けの途中でアルバムや記念品などを保管しておいたり、という姿を見るに付け、何か一つでも亡くした人を偲ぶ縁(よすが)が見つかればいいと、祈るような気持ちだった。朝日新聞の「天声人語」を著者の柳原三佳は引く。「瓦礫は、瓦礫ではなく、思い出ともいう」
『遺品 あなたを失った代わりに』は愛する人が天災や事故、事件に巻き込まれて突然亡くなったあと、何を宝物にしていますか?との質問に対する答えである。著者は司法問題のジャーナリストで、近年は特に死因究明や交通事故の裏側などを鋭く取材している。
もちろん、動転している遺族に「遺品は何ですか」などと不躾な質問をするはずもない。丹念な取材をし人間関係を構築し、何かの話のはずみで教えてもらえたエピソードの数々。
中華料理を食べながら追加注文した餃子。キョウコさんは10年も餃子を食べられなかった。交通事故で亡くなった大学生の息子のレイさんが、最後に作って冷凍してくれた餃子は今でも冷凍庫の隅にそっと置いてあるという。
母の日の前の晩、4歳の息子コウタくんは食器を洗うミサお母さんの後ろで、一生懸命洗濯物を干していた。お手伝いのつもりだろう、四角い枠に洗濯バサミがついている物干しに、一枚一枚丁寧に干したという。交通事故で翌日亡くなってから7年、今でも洗濯物は干されたままだ。
ひとり息子のミキオさんが暴行事件で殺された。泣いているばかりの母親アヤコさんに負担をかけまいと父親は息子の時計をはめてひとりで闘った。その人も突然の発作で倒れ帰らぬ人に。アヤコさんの手には暴行にあっても止まらずに動いていた大ぶりの時計が付けられている。
四国遍路の納経帳、食べられなかった弁当箱、墓所に咲くコスモス、結婚記念日のための封筒、最後に見ただろう風景。宝物は年月を経て色あせても、心の中の愛する人は変わることなく笑っている。失ったあなたの代わりになるものなどあるはずはないけれど、それはわかっているのだけど。
生き残った人ができることは、その人を忘れないでいることだけだ。理不尽に命を絶たれた人の無念を晴らすことも大事だ。どこで誰が何万人死のうが、自分の愛する人が死んだこととは別のこと。そうやって気持ちを整理して話せるようになるまでには、長い時間がかかるだろう。
長い時間を費やし丁寧な取材を続けるジャーナリストでしか出来ない仕事である。まさに宝物のような物語は、夜寝る前に一編ずつ読んで欲しいと思う。
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この著者の代表作。文庫化希望。
話題になった一冊
こんな悲しい最期もある。
この作品はすばらしいと思う。