生き物に魅せられた怪しい男が、近所の裏山から地球の裏側までを徘徊する
変質者に対する注意喚起の看板ではない。れっきとした大学出版会が出した本の帯に記載された宣伝文である。
しかもタイトルが『裏山の奇人』。「怪しい男」であり「奇人」でもあるその人こそ、本書の著者・小松貴氏。アリと共生する生物・好蟻性生物の研究者で、『アリの巣の生きもの図鑑』の著者の一人でもある。(土屋敦の絶賛レビューはこちら。)
本書は、卓越した自然観察眼の持ち主である著者が、さまざまな生きものたちと対等な目線でつきあう、いうなれば「現代の南方熊楠活動記」、もしくは「日本版ソロモンの指輪」。描かれる生きものたちとの関わりは、抱腹絶倒の短編エッセイ集のようでもある。
2歳にしてアリヅカコオロギを同定し、小学生にしてスズメバチが飛んできて餌をねだるようになるまで手なづける。大学の裏山では夜の森で生きものたちを待ち伏せし、目の前でテンが倒木に背中をこすりつけ間寛平のように「かいーの、かいーの」する姿に「こいつは私に襲いかかる用意があるのではないか」と恐怖する。
ツッコミを入れたくなる場面も満載。でも本人は、大まじめ。たとえば、雪原に群れる数百羽のカラスに混ざりたい!と試行錯誤するのだが、成功すると今度は「襲われたい」という衝動に駆られ、奇声をあげながらカラスの群れに突進する。
これだけのカラスに一斉に襲われたら、どんなにスリルがあって面白いだろう。……私は俄然ヒートアップして、雪の積もった校庭の真ん中でわめきつつ、帽子を片手に必死に踊った。ところが、いつもより外でカラスが騒いでいるのを不審に思った近隣住民たちが校庭へ様子を見にぞろぞろ集まってきてしまったのだ。私は何食わぬ顔で、そっと立ち去った。
……それ、カラスじゃなくて、小松さんを見に来たんだと思うよ。
だが、「研究」という視点で見たときに、こうした生きものたちとの関わりは何の役にも立たないし、あらゆる生きものに興味を向ける姿勢も、ひとつのテーマを突き詰めるより成果が薄いのではあるまいか?
声を大にして言おう。答えは「NO!」だと。森の生きものたちがバラバラに見えてもすべてつながっているように、一つひとつの生きものたちとの出会いが、着実につながりながら、広い視野をもつナチュラリストとして著者を成長させている。
たとえば、最初に夜の森でヒミズ(小型のモグラの仲間)を観察したとき、著者は少量の餌付けを行った。だが、その後、テンと出会ったときに、動かないことと音を出さないことを徹底すれば、餌を使わなくても至近で野生動物を観察できることを学ぶ。ヒミズのきっかけがなければ、テンでの学びもなかったはずだ。
雪の中にひとつだけ残された獣の足跡は、周囲の状況から、猛禽類に襲われて必死で逃げるノウサギがつけたものだと推理する。ごくわずかな手がかりから読み取れる情報量の多さは、一朝一夕で培われるものではない。多くの人は、身の回りでこんな生死をかけたドラマが繰り広げられていても、気づかないまま通り過ぎてしまう。
また、竹筒などに巣をつくるドロバチの研究では、竹筒を買うよりも安くて使い勝手のよい素材として、道端からタケニグサという草をタダで調達してくる。タケニグサが身近にたくさん生えていることに気づき、茎が竹のように中空であることを知らなければ、代替品になることなど思いつかない。日ごろからの広い関心が、こういうところで物を言う。
好蟻性生物の研究も、「それが何の役に立つのか?」と言われることがあるそうだ。だが、「いますぐ役に立たない研究」イコール「価値がない研究」ではない。
かつて、ノーベル物理学賞を受賞された益川敏英先生にインタビューしたとき、とても印象的だった言葉がある。「ノーベル賞を受けた科学者が必ず聞かれることに、『この研究は、何の役に立つんですか?』というものがあります。基礎科学が役に立つかどうかは、100年のオーダーでわかるものですから、すぐに『何の役に立つんですか?』という問いは、性急すぎます。まったく役に立ちそうもない研究だってありますよ。われわれの素粒子実験だって、そうかもしれません」
本書でもふれられているが、3.11の原発事故後、放射能の影響を調べるために生物調査がたびたび行われている。しかし、被災前にどんな生き物がどれだけ生息していたかという情報が乏しく、比較ができないのである。こと自然相手の研究は、必要になってから慌てて調べようとしても、もう遅いのだ。
小松氏自身、外国産でしかわかっていなかったケカゲロウの幼虫期を日本産で解明したことの意義について、こう記している。
こういう「銅鉄研究(銅でこうだったことを、今度は鉄で試したというだけの研究)」は、研究者の間では無能のなせる恥ずべき行為として、すこぶるバカにされるのが普通である。しかし、それが何だというのだ。私は、純粋にこの虫の生態を知りたかった。「わからないことをわかりたい」、それこそが科学の本質だ。頭のなかでこれはこうだろうと思い描くだけで結局何もしないのと、実際にそれを見て確かめることとは、まったく別次元の話である。
そして、奇人の快進撃がはじまる。アリの巣とその行列という狭い環境を徹底的に見ることで、未知の好蟻性生物を数多く発見したのだ。狭い環境を広い視野で観察し続けてこその成功、と言っていいだろう。
こうしてみると、小松氏は生きものだけを相手に過ごしてきたような雰囲気がある。だが、人生の節目で人との必要な出会いを経験し、それをきちんと糧にしている。
生物がらみの迷信を多々ふきこんだ祖母からは、自然への畏敬の念を。小学校の図工の先生からは、人が才能を認めてくれるという自己肯定感を。父の同僚だった虫好きおじさんからは、データをきちんと残す重要性を。これらの出会いがなかったら、著者は研究者ではなく、ほんとうにただの奇人で終わっていたかもしれない。
ところで、私が小松氏を知ったのは、2012年に行われた昆虫大学というイベントだった。会場内で催されていた好蟻性生物の写真展に添えられていたのは、「愛する物は二次元美少女。持病は中二病」と書かれたプロフィールと、無表情にバナナをかじっている青年の横顔の写真。好蟻性生物を美少女キャラ化した小松氏によるイラストまで配られていた。まさに、強烈な印象を残した「奇人」であった。
奇人はきっとこれからも奇人のまま、「わからないことをわかりたい」精神で、私たちの知らない生きものたちの世界を、解き明かし続けてくれることだろう。活躍が楽しみな若手研究者が、また一人増えた。
<画像提供:東海大学出版部>
著者の丸山氏は、多くの新種を発見した分類学者で、『裏山の奇人』小松氏の師匠にあたる。
レビュー中で引用した、益川先生の言葉が掲載。