ブラック企業や鶏肉の問題で、利益優先の法人組織から、食べ物を買うことに不安を覚えるようになりました。そういう店から少し足が遠のくようになりました。これらの事件の背後に、飲食チェーンが利益を獲得するためのフロンティアがなくなり無理をしている状況があり、問題の根っこが深いと感じたからです。
ことによるとそれは、資本主義全体の問題なのかもしれません。利益を投資にあて、それをもとに新たな利益を生み出すのが資本主義という仕組みですが、次の有効な投資先(フロンティア)がなくなって窮しているように見えるからです。でもいまだ、社会の大部分はその勝者たらんとして頑張っているように思います。
暮らしへの影響が強い飲食産業で、このような事件が繰り返されるうちに、私のような消費者の求めるものが少しづつ変わっていくのかもしれません。結果として、企業が大箱の投資をやめ人への投資を始めるとき、緩やかな革命が起きるのかもしれません。早い!安い!旨い!という現在進行形の価値観から、ゆっくり転回していくイメージです。「まわるまわるよ 時代はまわる」。今日は、そんなテーマで本をご紹介したいと思います。
自分で考えつづけるというシンプルなことを究めることでたどり着いた真実を、世界に発信しつづけた女性。ハンナ・アーレント。『全体主義の起原』『人間の条件』「悪の陳腐さ」そのすべての著作が、現代に生きる我々の心を揺さぶっています。それは、学者として認められるものを探すという出世思考ではなく、もっと普遍的で根源的なものを自らの頭でつきつめたからこそ得られた、貴重な成果なんだと私は感じています。
アーレントのように、その人の名前がそのまま職業になるような個性的な生き方に、私は強くあこがれています。日本には「凛とした女性」という表現がありますが、私はこのような生き方ができる人は、女性に多いのではないかと感じています。多くの男性は、組織の中で陳腐な悪に染まっていきます。組織の歯車になるにせよ、出世して権力を振るうにせよ、また、組織を離れて大金を稼ぐにせよ、それは資本主義のなかの陳腐な部品に過ぎません。
ユダヤ人としての出自がついてまわるアーレントですが、幼い頃、それを意識させないように丁寧に育てられたと本書に書かれていました。ユダヤ人の存在そのものの是非を問われる社会状況のなか、その是非を考えること自体には意味がないことを、成長の過程で、アーレントは感じるようになったのではないかと私は推測しました。ハイデガーとの出会いやヤスパースによる薫陶など、アーレントの人生に影響を与えた多くの事柄について、本書では大変読みやすくまとめられていました。目に見えない全体主義がはびこっているといわれる現代だからこそ、ぜひ読んでいただきたい一冊です。(※仲野徹のレビューはこちら)
榊原英資、中谷巌、内田樹、溝口敦、佐藤優…多くの知識人が賛辞を寄せているように、本書は今わたしたちが置かれている現状を、わかりやすく示した好著だと思います。長いこと超低金利が続いている資本主義が終りに近づいていることを、「長い16世紀」という歴史的な事実になぞらえて解説しています。そして、本書の後半では、次につくるべき新しいシステムとは何か、を考えることに焦点をあてています。
ミヒャエル・エンデが言うように豊かさを「必要な物が必要なときに、必要な場所で手に入る」と定義すれば、ゼロ金利・ゼロインフレの社会である日本は、いち早く定常状態を実現することで、この豊かさを手に入れることができるのです。(本書208ページ)
この一文に、私はこっぴどくヤラれました。そして、「よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に」と転じなければならないというイメージを著者は本書で示していますが、それを支える政治体制や思想、文化の明確な姿はまだわからないと述べています。それを見い出すためには、どれほど膨大な努力の積み重ねが必要なのかわかりませんが、本書を読んで、私も一生活者として考えていきたい、という熱い想いが湧いてきました。そもそも変革者は、学者ではなく、社会の荒波にもまれた一生活者であることが多いのですから。皆さんも、考えてみませんか。
資本主義の次を考えるときに、生活者の視点でまず考えたいことが私にはありました。それは、高度成長の「三種の神器」が行き渡った後に、何が来たのかということです。私はおそらく、衣食足りてエンタメを知る、という状況があったのではないかとみています。そして、人々がエンタメに求めるものは、テレビなどの大量消費的なものから、遊園地などでフェイストゥフェイスで提供される唯一無二の体験に変わっていったと私は考えています。
日本におけるその嚆矢は、ディズニーランドの上陸でしょう。本書を読むまで、私が尊敬する小谷正一氏がそれに関わったという事実を知りませんでした。小谷氏は、井上靖の小説「闘牛」のモデルで、プロ野球パリーグ創設に深く関わり、日本初の民間ラジオ放送を興し、大阪万博でいくつかのパビリオンのプロデュースを手がけた方です。小谷氏に関する記述を発見した時点で私は狂喜乱舞しましたが、本書の価値は、それだけではありませんでした。
「エンタメ」の夜明けという副題が示すとおり、エンタメとは何かを伝えようという著者の意志がヒシヒシと伝わり、感動すら覚えたのです。私はいま、本屋さんにイベントの提案を行っていますが、その原動力は最初に手がけた店頭イベントでの体験でした。お客さんだけでなく、その場にいた書店員さんまで感動され、私は背筋がゾクゾクしたのを覚えています。唯一無二の体験型エンタメへ。そのような潮流のなかで、本にまつわる唯一無二の体験を生み出す仕事が、これからもっと必要になると私は感じたのです。本書を読んで、その時のことを思い出し、胸が熱くなりました。
定常社会は、ゼロ成長です。それでも、個人が豊かさを感じるにはどうすれば良いのでしょうか。資本主義の価値観を引きずっていると、そんなこと無理!とハナから投げ出してしまう問いなのかもいれませんね。でもそもそも、資本主義の歴史なんて浅いものなんだよなぁ。と本屋さんで考えていたとき、偶然目の前に置いてあったのがこの本でした。本書のカバーには「縄文時代は1万年も平和が続いた奇跡の時代」だと書いてありました。
あぁきっと、この本から学ぶべきものがありそうだな、と私は直感しました。しかし、読み始めて最初に興味をもったのは、なんとこの著者の生き方そのものでした。有名な縄文研究者の方ですから、机上の学問は勿論たくさんおやりになっているのでしょう。でもなんと、プライベートにおいても、「杉並の縄文人」として生きようとされているそうなのです。
素材の形がわからない物、調味料・保存料・着色料・添加物が多く入った物は、食べないようにしています。もちろん縄文食ですから国産品、できれば地産地消です。
地域の人たちが自信をもって作り、送り出した物を、その心を含めておいしくいただきます。(本書「はじめに」より)
ぜひお会いしてみたいと思いました。そして、ライブでお客様と一緒に縄文人の生活について語りあう機会を作れたら、面白いだろうなぁと夢想しました。この著者の方は、学会の中で認められる仕事をして「出世したい」というだけの方じゃないということです。こういう方のイベントを実施すると、原稿などの棒読みに終わらず、唯一無二の体験をお客様とともに生み出すことができる場合が多いのです。
組織やシステムは、人間が人間であることを奪い、人間を「陳腐な悪」に貶める──それが、アーレントが発見した「新しい悪」だったとしたら、社会の発展とともにその悪は、いきつくところまで進んで来ているのかもしれません。あらためて『蟹工船』が読まれたり、『ある奴隷少女に起こった出来事』が読まれている背景にあるのは、そういう社会情勢なのではないでしょうか。ですから私は、組織から自由な、生身の人間の主張に触れると心が躍ります。「よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に」。これから求められるものは、唯一無二の体験であったり、その人ならでは嘘のない思考であったり、データではなく心に基づいた「接客」なのではないかと私は考えています。
夢はダービー馬の馬主。海外事業部勤務後、13年間オンライン書店e-honの業務を担当。現在は本屋さんに仕掛け販売の提案をする「ほんをうえるプロジェクト」に従事。ほんをうえるプロジェクト TEL:03-3266-9582