今や世界的な有名になった企業でも、立ちあげ時には苦境に喘ぎ、方向転換を余儀なくされたというケースが多々ある。YouTubeが、設立当初はデート相手を検索するためのデート・サイトに過ぎなかったことはよく知られているし、PayPalも当時人気があった特定デバイス間による送金可能なサービスから始まった。
このように、スタート時における事業や製品の根本的な仮説を見直し、市場のニーズと一致するよう方向転換する行為は「ピボット」と呼ばれる。今まさに活況著しい日本のスタートアップ界隈においてピボットを行い活路を見出そうとしている人、または大きな組織の中で閉塞感を打破すべくイノベーションを生み出そうとしている人、そんな人達に全力でオススメしたいのが、本書『千年企業の大逆転』である。
そこには創業以来、100年、200年という時の試練に耐え、いまなお繁栄をつづける日本の老舗企業だけが見せてくれる稀有な世界がある。業歴200年を超える会社の数は、日本:3113、ドイツ:1563、中国:64というように、文句なしの世界一。そして老舗といえば、固定的な”静”のイメージを想起される方も多いかもしれないが、本書の主人公となる5つの企業の物語を読めばそのイメージが大きく一新されるだろう。
決してその名をよく知られた企業ばかりではないのだが、生み出される製品は、住み慣れたマンション、ベランダのつるバラ、蛍光ペン、コンビニの弁当や惣菜、ごま油やドレッシングなど、我々の生活に深く関わっているものばかり。そして、ほとんど例外なくオープンで進取の気性に富む”動”の組織を築きあげてきたという経験を持っている。
京都にある近江屋ロープ株式会社が創業したのは、文化文政期の1805年。麻の糸や布を販売することから始まり、やがて綱づくりへ本業を移した。
歴史上の人物や出来事が、一家のエピソードとして語られるのも、京都の老舗ならではの面白さである。新選組に「御用の縄」を納めて代金を踏み倒されたというエピソードが披露されているほか、清水寺の舞台で正面入口の上からぶらさがっている「鐘の緒」も同社によって手掛けられたものだ。
明治以降はロープ事業で頭角を現し、材質の変遷とともに製造業からは撤退するものの、卸売り専業となり販路を広げた。ロープは、伐採や植林、間伐といった林業に不可欠な道具であり、需要は高かったという。だが1990年代初めのバブル崩壊による公共事業の激減が、老舗の土台を根底から揺さぶった。
ここで同社は、一人の従業員からの申し出をきっかけに、ロープから、ある商品へと大きく舵を切る。それがシカやイノシシによる食害を防止するための用具であった。体重100キロのイノシシが、時速10キロのスピードでぶつかってきてもこわれない格子状の鉄線の柵、その名も「イノシッシ」。設営の手軽さも手伝って、これがまさに起死回生の一打となったのだ。
このピボット、一見なりふり構わず行った脈絡の無いものという印象を受けるかもしれない。だがそこに一貫するものを探っていくと、林業、あるいはもっと広くとらえて森との関わりが浮かびあがってくる。そして「人と安全とを結びつける”命綱”」という本業の”レール”の延長線上に位置するものであった。この本業力こそ、つぶれない老舗の共通点の一つとも言える。
大阪市に本社を構える、新田ゼラチン株式会社。この会社はルーツを辿ると、『坂の上の雲』に登場する秋山好古の幼なじみが創業した会社である。工業用の伝動ベルトを製造する傍ら、余った革を有効利用するためにニカワを生産していたという。
ところが、このニカワ工場の方が大当たりする。ニカワの主成分を取り出したゼラチンはフィルムの材料に不可欠なものだったため、写真文化の拡大とともに急成長を遂げたのだ。しかしその後、悪夢のような展開が襲い掛かってくる。カメラのデジタル化とゼラチンの原料となる牛のBSE騒動。これらの苦難が互いに重なり合って、一気に押しかかってきた。
だがBSE騒動によって、原料を豚や魚に求めていったことが、新たな活路を切り開く。ゼラチンのポテンシャルを引き出し、コンビニでおなじみの惣菜やスウィーツのコーナーでの商品化につながったのである。今やゼラチンは、コンビニの天ぷらそばや釜揚げうどんにも、ナポリタンや海老ドリアやオムライスにも使われているという。ドラスティックな事業の切り替え、その根底にはゼラチンをお化け素材と信じる強い思いがあった。
この他にも、「フェルト」という素材に賭けて「中折れ帽子」からマジックインキのペン先へと切り替えたテイボー株式会社、「液体をパッケージする」を合言葉に、酒樽や醤油樽の呑口製造からプラスチックキャップ製造へと衣替えした三笠産業株式会社など、知る人ぞ知る優良企業の門外不出な話が盛りだくさんである。
老舗企業の華麗なるピボット。動いた足からは、時代や文化の変遷が物語として聞こえてくる。時代に応じて、ある市場ができると、そこに特性を活かして食い込む。その市場がなくなると、またもや新たな市場を見つけては食い込んでいく。それは単なる多角化とは一線を画し、一つの武器を懸命に適応させるための生存本能のようなものである。
だが最も注目すべきなのは、動かなかった軸足の方である。そこからは一つの役割や素材に賭け、世のため、人のためになりたいという普遍的な価値観を見出すことが出来る。そして、この両方の足が機能することによって、初めて伝統と革新は両立出来るのだ。これが一つの企業自体が、長いタイムスパンの中でシリアル・アントレプレナーのような役割を果たしてきた秘訣なのかもしれない。
数百年に渡って生き続けてきた、法人という不思議な生物の動と静。その佇まいには、時価総額だけでは計り知れない価値を、きっと見つけることが出来ると思う。