その気になれば、できるのか?『あしたから出版社』

2014年8月5日 印刷向け表示
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あしたから出版社 (就職しないで生きるには21)

作者:島田 潤一郎
出版社:晶文社
発売日:2014-06-27
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電子書籍が普及しても、「本を愛でる」という表現がしっくりくるのは、やっぱり紙の本だろう。装幀などのデザイン、手に取ったときのあたたかみ、ページをめくるときの音や質感、書体やレイアウト。「モノとしての本」にこだわりぬいた本づくりは、出版を生業とする人ならきっと誰もがあこがれる。が、コスト云々という大人の事情で、実現できないことが多い……一般論的に。

しかし、そうした「こだわり」を貫き、丁寧な本づくりを続ける出版社がある。

夏葉社。1976年生まれの島田潤一郎さんが、5年前に一人で立ち上げた。埋もれていた名著の復刊や、『本屋図鑑』『冬の本』などで知られる。内容はもちろんのこと、その魅力的な造本には、新刊が出るたびに脱帽させられてきた。

いったいどんな人なんだろう?と思っていたら、その島田さんが本を出したではないか。本書には、なぜ、どのように、一人で出版社をつくり、本を出してきたのかが綴られている。

島田さんの本への愛情は、夏葉社の本を見れば、よくわかる。たとえば、和田誠さんによる表紙カバーの絵が印象的な、マラマッド『レンブラントの帽子』。裏表紙にも、本扉にも、それぞれ異なる絵が描かれている。まさかと思って外してみたカバーの下の表紙にまで和田さんの絵を見つけたときには、「してやられた感」が心地よかった。

レンブラントの帽子

作者:バーナード・マラマッド
出版社:夏葉社
発売日:2010-05
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関口良雄『昔日の客』。落ち着いた緑色の布張りで、著者の手書き題字が型押し。手触りが秀逸。でも、布って素敵だけど、店頭で汚れてもカバー交換できないから大変だよなあ。本扉には、カラー印刷されたレトロな雰囲気の版画。本文と違う紙で、手間もコストもかかっているし。

昔日の客

作者:関口 良雄
出版社:夏葉社
発売日:2010-10
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小島信夫『ラヴ・レター』。シンプルな表紙カバーを外すと、タイトルや模様が金の箔押し。花ぎれ(本の背の部分に使われる布)もキラキラとした金色で、濃紺の見返しとのコントラストに心が浮き立つ。

ラヴ・レター

作者:小島 信夫
出版社:夏葉社
発売日:2014-01
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……と、こんなかんじで、さぞかしキャリアのある敏腕編集者が、独立して華華しく会社を立ち上げたんでしょ。と思ったら、大まちがい。島田さんは編集経験も経営経験もゼロで、いきなり夏葉社をつくってしまった。すごい。にもかかわらず、本書は自慢話とはほど遠く、心の痛みや人の温かさも感じさせつつ、思わずクスッと笑ってしまうようなユーモアに満ちている。

作家志望で本ばかり読んでいてほとんど定職についたことがなかった島田さんは、転職活動もしてみたが、8か月で計50社に断られてしまった。幼なじみの従兄を亡くし絶望的な失意のなかで、夏葉社をつくることになる。従兄の両親である叔母と叔父を励ますために、本をつくろうと決心したのだ。

“貴重な20代をそのように過ごしてきたことは、大きな過ちだったのかもしれなかった。本の世界に閉じこもるのではなく、もっとたくさんの人と話し、強い理想をもって、社会のなかで自分の道を切り拓いていくべきだったのかもしれなかった。けれど、その貧しい経験が、逆に、ぼくにできることを、明らかにしてくれているように思えた。ぼくには、つまり、本しかなかったのだった。”

「作家を目指したとき最初に取り組んだのが、煙草を吸ってコーヒーを飲むことだった」という島田さんは、ここでもまず、形から入る。「まず、ちゃんとした出版社をつくろう」

私もかつて失業して新たに出版業界を志したとき、まず、神保町で万年筆を買った。だから「作家志望者が煙草とコーヒー」には共感できる。が、いきなり出版社なんてつくれるの? それでも「出版社をつくるのは意外と簡単だった」らしい。そう……なのか?

履歴書を出しても出しても、誰からも受け入れられなかった。そしてついに自分で自分の居場所をつくりだした喜びが「通販の申し込み欄に会社名を記入できることがうれしくて、そのたびに頬がゆるんだ」というエピソードからも伝わってくる。

“いよいよ明日から自分の会社がはじまるのだ、と胸を昂らせていたときのことが忘れられず、『あしたから出版社』というタイトルをつけた。でも、これは、ぼくにしかできないことではない。決心さえすれば、だれでも、あしたから、あたらしい肩書くらいはつけることができる。生きにくい世の中だけれど、そのくらいは、みんな許してくれる。” 

だが、実務経験のない島田さんに、どうやって出版社を営むことができたのか。それには事務的なことを自分で調べてすすめる行動力と、一所懸命な人にだけに与えられる「人からの助け」があった。

知り合いの編集者に原稿への赤字の入れ方を教えてもらったり、本を置いてくれそうな書店を教えてもらったり。無名でキャリアもなかった青年が、最初の本『レンブラントの帽子』の復刊で、巻末エッセイを荒川洋治さんに、装幀を和田誠さんに引き受けてもらえたという事実が、それを物語っている。

読書家で有名なお笑いタレント・ピースの又吉さんとも、これがドラマだったら「こんなことあるわけないじゃ~ん」と思ってしまいそうなほど、運命的な出会いをしている。どんな出会いだったのか? これはぜひ、本書を読んでみてほしい。

しかし、島田さんはストイックな聖人君子でもなさそうだ。沖縄でアルバイトをしていたとき、同僚の女性たちを次々に好きになってしまう話が出てくるのだが、これが結構ヒドい。Aさん、Bさん、とフラれてしまい、「でもAさんでもBさんでもなく、本当はCさんが好きであった。Cさんにはかっこいい彼氏がいたから、なにもできなかった」……おーい、そりゃないよ、島田さん。

それでも、『本屋図鑑』をつくるために日本全国、痔を患いながらもひたすら鉄道でかけずりまわり、いまも「あしたのことすらわからない」という崖っぷちで奮闘し続けている島田さんを、応援せずにはいられない。

そもそも、一度も会ったことのない人を何度も「島田さん」と旧知の人のように書いている時点で、やっぱりこの人は応援したくなるものをもっている。

この「就職しないで生きるには」という魅惑的なタイトルのシリーズ、ほかにも古本屋さんや装幀家さんの巻もあって、とても気になる。

ところで私はこの記事で、ひとつだけ嘘をついた。島田さんを「一度も会ったことのない人」と書いたが、じつは一度だけ会ったことがある。本書の出版を記念したトークイベントに参加したのだ。それもしっかり、最前列で。トークの後のサイン会で、サインの横に島田さんが添えてくれた言葉は、「一所懸命」。

私も、もうちょっとだけ、がんばれそうな気がしてきた。
 

計画と無計画のあいだ: 「自由が丘のほがらかな出版社」の話 (河出文庫 み 25-1)

作者:三島 邦弘
出版社:河出書房新社
発売日:2014-08-06
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祝、文庫化!中堅出版社を飛び出した三島邦弘さんが単身起業し、個性的な出版活動で注目を集めるミシマ社5年間の奮闘記。おもしろすぎて、読み終わりたくないからエンドレスで続いてほしいと願ってしまった。付箋を貼りながら読んだら付箋だらけになり、もはや付箋が付箋の役割を果たしていない。ウェブサイトもおもしろい。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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