「面陳」と言って、本の表紙を見せて棚に並べる展開方法があります。面陳はお客様に手に取って頂きたい新刊や話題書が中心です。しかしジュンク堂書店では、棚での回転率は悪くとも(すなわち、飛ぶようには売れなくとも)、個性的な本、マニアックな本を「これはウチ向きの本」「ジュンク向き」などと言って、売れ筋や定番の隣りに堂々と面陳することがしばしばあります。今月は、そんなジュンク堂的面陳本の中から私が個人的にピックアップした商品をご紹介させて頂きます。
1835年、ニューヨーク。当時はごく一部の富裕層だけが読んでいた「新聞」。この新聞を、1部1ペニーという圧倒的な安さと、それまでの新聞で主流だった海外の経済ネタなどの知的な記事ではなく、低俗だと軽蔑されていたおどろおどろしい殺人事件ネタや惚れた腫れたのゴシップ記事を中心に盛り込み、一気に大衆のものにしたのが『サン』紙だった。それまでヨーロッパにばかり向けられていた読者の視線を、当時まさに世界の新しい中心都市として無類の活気を帯びつつあった自分たちの街・ニューヨークに向けさせたのだ。この新聞の登場によって、各紙の優秀な「編集主幹」(当時の新聞は、編集主幹と呼ばれるたった一人の編集者兼ライターの強烈な個性と筆力によってそれぞれのカラーが決定されていた)が、読者の人気を獲得しようと凌ぎを削って面白い記事を書く、読者争奪の新聞戦争の火ぶたが切って落とされた。
この本は、当時『サン』紙の編集主幹であったリチャード・アダムズ・ロックが、月面に「ヒトコウモリ」なる翼の生えた人類が生息していることが発見されたという衝撃的な記事を書き、アメリカ国内のみならず世界中の人々を熱狂させた事件を題材としている。なぜ(どちらかといえば控えめな人間だったといわれる)ロックは、そのような記事を書くにいたったのか?また、なぜ当時の人々はその記事を信じ、夢中になり、各紙が同じ題材を取り上げて競うように記事を書いたのか?天才ペテン師P・T・バーナム、作家エドガー・アラン・ポー、天文学者サー・ジョン・ハーシェルなど魅力的な実在の人物達が、この事件に関わりの深い人々として次々登場し、物語は奇想天外な方向へと進んでいく。当時の人々のあまりに豊かな想像力に心を打たれ、著者の見事な語り口、歴史ノンフィクションを読んでいるということを読者がいつしか忘れるほどの臨場感溢れる小説的な描写によってその感動は更に大きくなる。ニューヨークという街が絶大な繁栄を遂げた歴史の一幕、そこで奮闘していた男達の熱い人生に、本書を通して立ち会うことができるのは幸せである。
今年発売された新潮文庫の新訳版『フラ二ーとズーイ』を手に取って、改めてサリンジャーの作品に魅せられた人も多いのではないだろうか。発売後半世紀以上経っても、未だに毎年50万部売れている『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、16歳のホールデン・コールフィールドがひたすらニューヨークの街をぐるぐる巡るという小説で、発売当時は若者が熱狂する一方、その言葉遣いや反抗的とされるキャラクターが問題となるなどセンセーションを巻き起こした。また80年代に入って、ジョン・レノンを殺害した犯人がこの本を持ち歩き、自分自身をホールデンだと主張したことでまたもや論争の種になった。そんな、時代を経ても常に人々から強い関心を持たれる無類の小説を生み出したサリンジャーは、60年代以降、一切人前に姿を現さず、作品も発表せず、田舎に引きこもって暮した隠遁者として知られ、その人生は謎に包まれていた。
この伝記はそんなサリンジャーの人生に可能な限り肉迫し、両親の出自や幼少期、青年期に渡る実際の出来事を綿密に辿るのみならず、サリンジャー自身の内的な経験がどのように各作品に反映されているかを分析した力作である。最も読み応えがあるのは、サリンジャーが軍人として参加し、その人生と作品に決定的な影響をもたらした第二次世界大戦のヨーロッパ戦線における戦闘体験に関する章である。ノルマンディー上陸から、「地獄」と言われたヒュルトゲンの森の戦い(サリンジャーと共に戦った3080名の兵士のうち生き残ったのは563名のみだった)、そして自身も半分はユダヤ人の血を引きながら、強制収容所の解放に携わるなど、サリンジャーが体験した戦争はあまりにも過酷だった。そして、その戦争の間ずっと、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のもとになる原稿を持ち歩いて書いていたという事実は、戦争の話がほとんど一切出てこず、一見、少年がふらふら歩きまわってしゃべりまくっているだけというこの小説が持つ‘深い力’について読者に改めて考えさせる。
また、この本は、当時のニューヨークの文芸界における伝説的な編集者達とサリンジャーの友情と決裂の物語でもある。大衆の娯楽が新聞や雑誌からテレビへと移行していく過渡期のアメリカで、最終的にはメディアの前に出ることを拒否して自身の内なる世界へと引きこもらざるを得なかったサリンジャーの生き方は、特異なのになぜか私達の興味と関心をひきつけずにはおかない。
サリンジャーが田舎に引きこもって自宅で有機農業に凝っていた50~70年代は、そんなことをしている人はほとんどいないに等しかった。しかし、今や、2008年の金融危機を転換点として、アメリカのポートランドやニューヨーク(ブルックリン)を中心に、新しい生活革命の波が広がっており、少量生産や有機栽培の農作物を求める人が増え、アメリカの食事の質が劇的に変わりつつあるという。この本は、衣、食、住という生活の基本に対する考え方が今アメリカでどのように変化しているかということを「ヒップスター」と呼ばれるカルチャーの最先端をいく人々に取材を重ねて書かれている。
「ヒップ」「ヒップスター」という言葉の微妙な定義に関しては、この本の最初で著者が大変わかりやすく解説してくれている。読んだ印象からざっくりと言えば「ヒップな生活革命」とは「これまでの大量消費、大量生産、また大きな組織に属するライフスタイルをやめて、自分の街、自分が属するコミュニティ、その中での消費、自分のしたいことを自分でできるやり方で仕事にする」動きが各地で盛んになっている、ということだ。日本でも人気の高い雑誌「キンフォーク」や、ポートランドやブルックリンが魅力的な街として特集されることが多いこと、また日本国内でも同様の動きが広がっていることなどから、実際に肌で感じていた現象だが、この本がしっかりと背景から説明してくれてスッキリする。しかし、あれだけの金融危機に打ちのめされた後で、それをバネにしてどんどん新しい価値観、新しい仕事を求めて動いていく人々のたくましさ、身軽さには圧倒される。行動を起こすことに少しためらいを感じている時、背中を押してくれる一冊。
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