『生命のからくり』は、「最初の生命」が誕生してから現在にいたるまでの「進化の謎」を解く良質のサイエンスミステリーである。
著者の中屋敷 均さんは、神戸大学で植物・菌類ウイルスを研究している分子生物学者。中屋敷さんによると、生命は、根源的な「葛藤」を持っている、という。それは、生命には相矛盾する二つの性質、「自分と同じ物を作る」ことと「自分と違う物を作る」ことが必須であることに起因している。
この二つの性質は、表面的には正反対のベクトルを持っており、生命の歴史は、言うならば、この自己肯定と自己否定の「葛藤」の中で育まれてきた。生命は、この「葛藤」をどのようにして克服してきたのか?注目作『生命のからくり』の読みどころがコンパクトにまとまった、著者インタビュー。
―表紙カバーにある蛇が絡まったミステリアスなイラストが印象的ですが、このイラストにはどのような意図が込められているのでしょうか?
中屋敷 これはギリシャ神話に出てくるヘルメスが持つ「ケリューケイオン」という杖をモチーフにしたもので、知人のイラストレーターの方に描いてもらったものです。迫力があって、私は一目で気に入りました。蛇は、古代から生命力を象徴するものと考えられていて、二匹の蛇がラセンの形で巻き付いているモチーフは、ケリューケイオンだけでなく、古代エジプト、古代インド、マヤなど、いろんな文明に見られます。日本のしめ縄も、元々二匹の蛇を原型にしているという説もあるようです。ケリューケイオンの杖では、二匹の蛇が一体となっていて、その姿が、天と地、明と暗、男性と女性など、この世にある対立物を統合する超越的な力の象徴となっているとも言われているそうです。それがDNAみたいに見えるというのは、何か面白くないですか?
―ええ、確かに面白い気もしますが、そのことと今回刊行された「生命のからくり」の内容とは、何か関係しているのでしょうか?
中屋敷 そうですね。イメージとしてはかなり関係しています。そう言うと、なんかエセ科学系の本みたいですが(笑)、これまで明らかにされた現代の生命科学の知見をまとめて考えて行くと、私の中ではそういうイメージに近づいたというような感じです。
生命とはなにか
―少し抽象的な印象を受けますが、本書のテーマでもある「生命とは何か」というのは、現代の分子生物学等の進展によって、もっと具体的なものとしてどんどん明らかになっているのではないのでしょうか?
中屋敷 確かにそういう側面はあります。でも、むしろ逆に、最近のゲノム科学の進展によって、生命と非生命の境界が曖昧になってきているというのが、現状というのも事実だと思います。少し前までは細胞構造を持つものが生物だ、というようなことが言われていて、これだとバクテリアは生物、ウイルスは非生物ということで理解が簡単でした。ところが、いろんな生物の全ゲノム配列が決定されて行くと、そんな単純な話でいいの?という疑問が大きくなっています。
例えば、ある種の昆虫の細胞内共生細菌では全ゲノム配列中に遺伝子がたった170個くらいしかない。これは藻類の葉緑体が持っている遺伝子の数より少ないのです。「生物」とは考えられていない細胞内のオルガネラよりゲノムが小さい「生きてる」バクテリアが見つかったということになります。じゃあ、葉緑体は生きてないの?という話になりますよね。
一方、昨年(2013年)のサイエンス誌には、パンドラウイルスという驚くべきウイルスが報告されましたが、こちらは遺伝子を約2,500個も持っている。これは先ほどの共生細菌が持つ遺伝子数の10倍以上です。自然界で独立して生きている一部のバクテリアよりもゲノムが大きい。「生物」より明らかに複雑な生体機構を持った「非生物」の発見ということになります。
こういったウイルス、オルガネラ、バクテリアといった存在のどこで、生物と非生物を分けるべきなのか、いろんなゲノム配列が解読されていくにつれ、その境界がとても曖昧になってきています。また、それに加えて、生物進化の過程で、ミトコンドリアや葉緑体が細胞内で共生を始めたように、二つ、あるいはそれ以上の生物が「合体」するような現象がかなり広範囲でみられることも分かってきて、これまでの想定より生物と非生物の中間にあたるような存在が多く認識されるようになっています。これらのどこに、生命と非生命を区別する明確な線があるのか、誰も確固たる答えを持てないでいるのが現状ではないでしょうか。
―では、「生命のからくり」では、そのどこに境界があると考えているのでしょうか?
中屋敷 いきなり、核心ですね。本書では「生命」というものを、ある特定の形質や器官を備えた存在とか、ゲノムの大きさとかによって定義しようとはしていません。例えば、「生命」は細胞膜を持つとか、リボゾームを持つとか、もっと言えばDNAを持たないといけないとか。