今から遡ること、70年前の1944年6月6日。北フランスのノルマン地方の海岸で史上最大の作戦が行われた。「ノルマンディー上陸作戦」だ。この上陸作戦は連合軍の本格的な反攻作戦の一環で、上陸後ノルマン地方の都市、カーンを軸にし連合軍が大きく右回りをしながらドイツ軍の主力を撃滅するという「オーバーロード作戦」の初戦として行われた上陸戦だ。
アメリカ、イギリス、カナダ軍を中心に300万に及ぶ将兵が従軍。1944年6月6日に敢行された上陸作戦だけでも、機甲、空挺合わせ39個師団が参加し、13万3000名の将兵、1万4000台の各種車両、1万4500トンの補給資材が戦艦6隻、戦闘艦艇1070隻に護衛された、6000隻もの艦船舟艇によってノルマンディーに運び上げられた。さらに彼らの護衛のために2万機に及ぶ戦闘機、爆撃機、輸送機が飛んだという。まさに史上最大の作戦というに相応しい大規模の作戦である。
本書はヒトラーのポーランド侵攻からバジルの戦いまでの戦史を、「ノルマンディー上陸作戦」を軸に読み解き、この史上最大の作戦を成功に導いた条件とはなんだったのかを、政治レベルというマクロな視点、また師団、旅団、連隊レベルの中間的視点、さらに小隊や、兵士の決断というミクロな視点までを縦横無塵に駆け巡りながら考察する、野心溢れるビシネス書だ。
戦争というものは激しい変化の中、混乱した情報を基に幾多の決断を迫られる極限の状態である。このような状態では、どのような資質を持った人物がリーダーにふさわしいのか。著者はそれを「フロネシス」という言葉に求める。著者はこれを「実践知」と訳し、社会が奉じる「共通善」の実現に向かい物事の複雑な関係性に目を配りながら、適時かつ絶妙な「判断」を行う力だと定義する。そしてこの「フロネシス」を支える6つの能力を上げる。
(1)「善い」目的をつくる能力。
(2)ありのままの現実を直観する能力。
(3)場をタイムリーにつくる能力。
(4)直観の本質を物語る能力
(5)物語を実現する能力(政治力)
(6)実践知を組織する能力
この6つを読んである事に気が付いた人もいるであろう。実はこの6つの能力を私は以前に別の本のレビューで書いている。それはポール・ジョンソン著『チャーチル』のレビューである。この本でチャーチルのリーダーシップを分析した解説を書いていたのが、本書の著者、野中郁次郎である。また野中郁次郎は名著『失敗の本質』の主著者でもある。
著者はこの実践知に長けたリーダーとしてチャーチルとアイゼンハワーの二人を挙げている。チャーチルは他者がヒトラーの危険に気づかず、融和政策をとる中で頑ななまでに反ナチスの姿勢を貫き、大戦勃発後もヒトラーといかなる外交的妥協を頑として拒み続けた。またアメリカのルーズベルトと政治史上かつてないほどの蜜月関係を構築することに成功。戦後のソビエトの脅威にもいち早く気づく。彼は、その先見の明の秘訣を人に聞かれたとき、「歴史に学べ、歴史に学べ、国家運営の秘訣は全て歴史の中にある」と述べたという。
著者はチャーチルの優れた資質の中に「歴史的構築力」というものも掲げている。実は本書のもう一人の主人公、アイゼンハワーも古典と歴史に通暁した教養人であった。このようなエピソードを読むとビジネス書という枠を超えて、次第に不安定感がます、現代の国際情勢の中で私たちがどのようなリーダーを選ぶべきなのかというヒントが見えてくる。
個々人のリーダーの素質を組織化することが何より連合国軍の勝利につながっていく。連合国軍という複数の国家の軍隊が入り混じる複雑な組織を形成するに当たり、彼らは、組織全体をフラクタル化することで対応したのである。フラクタル組織とは部分と全体が相似形となって連動、あるいは変換する組織の事である。連合国は作戦遂行の権限を連合国派遣軍最高司令部(SHAEF)に集中させる一方で、最高司令官のアイゼンハワーは、その下部組織である軍集団、師団など現場の司令官に大きな自由裁量を与えていた。
一方のドイツ軍は組織がヒエラルキー的であり、しかも複雑な指揮系統を構成していた。名目上はルントシュテットが西方軍総司令官に任命されていたのだが、その指揮下にあるとはいえ、階級的に同じ元帥のロンメルが率いるB軍集団が存在し、さらに武装親衛隊はヒムラーが指揮権を握るなど、複雑な組織編成になっていた。また、ルントシュテットにはフランスの基地にある空軍、海軍の指揮権を与えられておらず、作戦遂行に際し海軍並びに空軍に命令するのではなく、要請という形をとった。これは、当初、SHAEFに戦略空軍の指揮権が与えられていないことに怒りを発したアイゼンハワーが、戦略空軍の指揮権を渡さないなら司令官職を辞任すると脅しをかけてまで、その指揮権を手に入れた事を考えると、ドイツ軍にとってどれほどマイナスな影響があるか計り知れない。
フラクタル組織を形成した連合軍の強み、特に自立分散型の組織を形成していたアメリカ軍の強みは「オーバーロード作戦」全体の中に多く散見できる。ノルマンディー上陸戦では、折からの天候不順のため、各部隊がバラバラに流され、多くが予定外の地点に上陸するはめになる。そこにドイツ軍の激しい抵抗が加わり、海岸線は混乱を極めた。
本来なら壊滅的な打撃を受けてもおかしくない状況の中、指揮官に大きな裁量権を与えていたアメリカ軍は、独自に判断し現実に適応(アダプト)する能力に長けた人物の元で秩序を回復し、反撃に転じていくことになる。また、イギリス軍のカーン攻略の遅滞という、作戦全体に支障をきたしかねない状況ですら、アイゼンハワーは巧みに利用する。その他にも、状況に「適応する」という能力にかけては、第三軍を率いたパットンの能力と活躍には目を見張るものがある。
グローバル化とIT技術の進歩で国際間のビジネス環境は熾烈を極めている。このような状況の中では、どのような形のリーダーと組織が求められるのか。我々はチャーチルの言葉のごとく、歴史に学ばなければならない。そして、国内の多くの人々がそのような能力を理解し、実践する力を身に着ける事が出来れば、我々が選ぶ政治家の資質も自ずと変わるはずだ。この国の行く末を考える上でも、本書は、「国民必読の書」と言っても過言ではないであろう。
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