『ティムール帝国』by 出口 治明
ユーラシア大陸の東西を、自ら先頭に立ち何千里にも渡って踏破して、大帝国を築き上げた英傑は、アレクサンドロス大王(イスカンダル)以降、わずかに3名を数えるのみである。バトゥ(ジョチ・ウルス)、フレグ(フレグ・ウルス)そしてティムールである。著者は、その中で「わが国ではその人物像はほとんど知られていない」ティムールを取り上げたのである。
ティムールは、1336年、内紛の続くチャガタイ・ウルスで生まれたが、その一族は零落していた(第1章)。チャガタイ家の姻族となったティムールは、1370年、独力で中央アジアに政権を打ち立てる。ティムールは「チンギス統原理」(チンギス・ハンの男系子孫のみが君主になる資格を持つ)を、傀儡を立てることで上手く活用する(第2章)。
その後ティムールは、西征に向う。先ずフレグ・ウルス。続いてキプチャク草原(ジョチ・ウルス)。そして、マフムード (ガズナ朝) にならって北インドへも。遠征は3年、5年、7年としだいに長期のものになっていく。そして、有名なアンカラの戦い(1402年)で、ティムールはオスマン軍を一蹴したのである。7年戦役からサマルカンドに帰還したティムールは、東方(明あるいは北元)に向かって最後の遠征に出立し、1405年オトラルで帰らぬ人となった(第3章)。
第4章では、帝国揺籃の地マー・ワラー・アンナフルが取り上げられる。首都サマルカンドと冬営地であるイラン西北部カラ・バーグ(タブリーズ北方)の間は駅伝で緊密に結ばれていた。またティムールは、首都の近辺に、現世の楽園(バーグと呼ばれる庭園)を数多く整備した(第5章)。
第6章ではティムールの死後の内乱の顛末が描かれ、ヘラートに拠る4男シャー・ルフが権力を掌握する。第7章はティムールに愛されたウルグ・ベク(シャー・ルフの長男でシャー・ルフよりサマルカンドの統治を任される)に焦点が当てられる。第8章では、ティムールの伝説化のプロセスが、そして結びとして、ティムール帝国が分裂してウズ・ベクに破れ、バーブルが1526年、インドにムガル帝国(第2次ティムール帝国)を創建するまでが足早に語られる。なお、ウズベキスタンでは、現在、国をあげて、ティムールを顕彰している。
「サマルカンド・ブルー」を冒頭に置いた本書は、建設の人でもあったティムールの実像に迫った労作である。バーグの実態、グーリ・アミール廟内のティムールを囲む墓石の配置の分析や幻の史書「四ウルス」の話は、とりわけ興趣をそそる。またティムール朝文化が、滅亡に向かうヘラート政権の下で頂点に達したという事実は、政治経済のピークと文化のピークの普遍的なタイムラグを示す1つの好例であろう。望蜀を述べれば、長期安定政権を築いたシャー・ルフについての記述が欲しかった。いずれにせよ、ティムールを理解する入門書、概説書としては現在のわが国ではベストの1冊ではないか。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。
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