文楽、である。人形浄瑠璃ともいう。300年もの歴史を誇る日本の伝統芸能であり、世界文化遺産にも登録されている。しかし、はたしてどれくらいの人が鑑賞したことがあるのだろう。えらそうなことはいえない、私だって4~5年前から見始めたところである。
しかし最近はかなりはまっていて、義太夫教室に通い出したりしている。その関係で、この4月には、大阪にある落語の定席・天満天神繁昌亭であった『文楽応援の落語会』にかり出されたりした。さすがに義太夫を語るわけではなく、文楽ファンの怪しいおっさんとして、鼎談に登場しただけではあるが。
その時に、文楽を楽しむにはどうしたらいいか、という質問をうけた。とっさに「慣れでしょうね」と答えた。文楽というのは、鑑賞するのに、素養、というほどのものではないが、慣れが必要なのである。
ストーリーが複雑かといわれると、それほどでもない。まぁ、文楽と同じく大阪で生まれた吉本新喜劇とどっこいというところだろうか。しかし、内容がどうにもしっくりこないというか、腑に落ちにくいのである。
たとえば、主君に対する忠義のために自分の子供のクビを差し出すとか、その子供がにこっと笑って死んでいくとか(菅原伝授手習鑑)、なんや情けない感じの若旦那が出てきたと思ったら、遊女と心中するとか(心中天網島)、意味もなく人を殺すとか(女殺油地獄)、キツネが人に化けてるとか(義経千本桜)。文章として意味はとれるのであるが、頭に?がうかんで消えないのである。
不思議なことに、実際に、三味線に乗って太夫さんが浄瑠璃を語り、人形が操られるのを見ると、“おぉ、これやったらそんな話もありやんか”と思えるようになってくる。『慣れ』の前に、とりあえず見てみない訳にははじまらんのである。
この本、人形遣いである桐竹勘十郎さんと吉田玉女(たまめ)さんが、文楽ファンを開拓するために作られた本だ。いくつものセクションに分かれているが、大きなところは三つ。お二人による対談、お二人の好きな文楽ベストテン、そして、太夫(義太夫語り)、三味線に聞く『芸の道』である。
文楽には、人形遣い、太夫、三味線の『三業』が必要であり、それに携わられる方々をまとめて『技芸員』と称する。舞台で見ると、なんやむずかしい顔をした、こわいおっちゃんばっかりみたいな気がするけれど、意外なことに、どなたも相当に話がおもろいのである。大阪で芸の道を究めようという人は、そうでなきゃいかんのである。
なんといっても面白いのは最初にある対談。勘十郎さんと玉女さんという、いま脂がのりきっている同年齢お二人の対談。ちょっと信じられないが、最初は、中学生の時にアルバイトで学生服のズボンをはいて人形遣いを始めたという話や、その奥深さ、文楽の面白さを深く語っておられる。聞き手は、大阪では知る人ぞ知る落語作家の小佐田定雄さん。
HONZで紹介させてもらった『青春の上方落語』からもわかるように、小佐田さんはインタビューの名手である。あるいは、関西弁で言うところの『ちゃちゃ』をいれるのがうまいおっさんである。小佐田さんによってターボがかかった対談が面白くないはずがない。
おつぎは、お二人の好きな演目ベストテン。文楽入門というと、どうしても演目紹介が長くなってしまいがちなのだが、先に書いたように、文楽を見ずに筋をあれこれ言われても、頭に???が沸いてくるだけなのだ。
そこを理解してもらえているのかどうかはわからんが、それぞれの演目のストーリーはほんとに短く紹介されているだけ。そのかわり、お二人が、その文楽のどこが好きなのかがピンポイントで話されていて、おぉ、それやったらおもろそうやんけ、という気持ちが高まっていく。
三つ目は、太夫の豊竹呂勢大夫(ろせたゆう)さん、三味線の鶴澤燕三(えんざ)さん、という中堅どころのインタビュー。中堅といっても40代と50代。文楽は、時間の流れが普通の世間とはちがっとるのである。呂勢大夫さんはご自分で言っておられるように『浄瑠璃オタク』。一方の、燕三さんは三味線にとりつかれた男、といったところだろうか。(間違えていたらすみません…)
呂勢大夫さんは『義太夫はマラソンと一緒。自分が駄目だと思うともう駄目。まだまだいけると常に攻めの気持ちを保つことが、太夫には必要不可欠だと思います』と、燕三さんは『わかった気がすると、また遠ざかっていく。その繰り返しですね。』と語っておられる。芸の道っちゅうのは、ほんまに大変なこってす。
東京は国立劇場、大阪は国立文楽劇場で、年に4ヶ月ずつ公演がおこなわれている。(大阪では、それに加えて文楽教室も。)竹本住大夫師匠の引退があるので、今月の国立劇場での文楽公演は残念ながら売り切れてしまっているが、この本を読んで、ちょっとでも興味がわいたらぜひ一度文楽を見に行ってほしい。
歌舞伎にくらべると、文楽関係の本はかなり少ない。が、『文楽観劇のド素人であった私が、いかにしてこのとんでもない芸能にはまっていったかの記録』である三浦しをんの『あやつられ文楽鑑賞』がわかりやすい。『文楽へようこそ』が文楽界の内からの案内であるとすると、この本は外からの多角的な案内だ。
『あやつられ…』を読んで、何回か文楽に通ったら、ぜひ橋本治の『浄瑠璃を読もう』にすすむとよい。これは目から鱗の浄瑠璃解説である。腑に落ちにくい内容の浄瑠璃であるが、それはそのまま受け入れるがよい、というスタンスで解説されている。
というのも、橋本治によれば『人形浄瑠璃のドラマが近代の日本人のメンタリティの原型を作ったのではないか』ということなのだ。そう言われたらそんな気もする。我が子の首を差し出したり、遊女と心中したりはせんけれど…。すくなくとも私は、『浄瑠璃を読もう』で予習・復習することにより、文楽の理解度が飛躍的に高まった。
そうして文楽に『慣れる』につれて、三浦しをんのようにはまっていき、きっと『こんな面白いもんがあったんか』と思うようになっていく。古典落語に義太夫がたくさん取り入れられていることからわかるように、かつては、誰もが親しんでいたのである。とっつきは悪いがけっしてむずかしいものではない。ぜひ、この本を読んで、勇気ある一歩を踏み出してもらいたい。
待ってましたっ! 大当たりぃ~!