小学校の写生大会の時間は、先生がよく「感じたままに描きなさい」とか言っていた気がする。私はひとりで好き勝手に描けるのは嬉しかったが、先生にとっては生徒を放っておけるので今考えるとラクな授業だったかもしれない。
おそらく戦後、一大ブームだった印象派の影響がそのまま教育に入ってきたせいもあるが、そのことで「感覚的」な日本人は増えたのかもしれない。特にそれ自体が良い悪いはないのだが、感覚人間はそのまま成長するとハッキリ自分の考えを纏めて主張することが難しかったりもする。
本書はナショジオの、それもプレミアムという冠までついているが、1100万点のナショジオ写真の中から厳選し、450点に絞ったオールカラー写真集だ。(このフレーズだけで興奮してしまう)初期である写真の黎明期からデジタル時代までの歴史を網羅しているが、ずっしり重いハードカバーは「感じたまま」の世界へ誘う扉のようだ。
ナショナル ジオグラフィックはすでに120年以上、写真で世界のあるがままを伝えてきた。ということは、その写真を支えるカメラマンはその一瞬の、世界を切り撮るという作業に、膨大な時間を費やしてきたはずである。私も写真を撮ること自体が好きだが、いってしまえば、動作はシャッターを押すだけで誰でもできるともいえる。しかし、ナショジオの写真が段違いなのは、そのシャッターを切るまでの時間の総量が尋常ではないことだろう。
この世界のあらゆる国々の人間が、あらゆる対象事例を見ている。では他の人が見る世界をフィルターを通じて覗いてみよう。
このいびつなトリミングはただの偶然かもしれない。もしくは意図された構図かもしれない。それでも、46億年とされる地球の歴史の後半部分、人間という新しい生命が領土を宇宙にまで広げたターニングポイントの臨場感は伝わる。
パースをたどり奥に目を移動させると、本当に小さい無数の人間が作業している。人はこんなにもちっぽけなのに、偉大な建築物を残す。そのDNAの先にある宇宙の意識にすら敬意を感じる。
あまりに写真からくる影響力が大きいので、1日やそこらで写真集は見きれない。1枚1枚が壮大なる映画のように迫って身体が縛られるのだ。もし「感じたままに」という授業が成り立つのであれば、こういった写真を見ることが、私達全身の感覚に訴えかける最適なテキストになるだろう。
私は、ただただ、写真から伝わってくるこの壮大な地球のうねりを感じながら、ぼやっとしていた。そしてごく自然に近くのメモに落書きしたのである。メモというかカレンダーの裏だが、それは本当に、これらの写真を通じた人類と地球の偉大な営みが、壮絶すぎたためであった。
改めて見ると、われながら絵を描く行為は自然なので、思いのたけは吐き出せたようだ。
それにしても写真の歴史、その一枚が生まれる過程、かける人間の情熱。あまりにも言葉で表現できない部分が大きすぎる。私の稚拙な文章では、この大きなエナジーを伝えきれない。
もし本を読んで感動し、インスパイアされたのなら、その思いを文章で伝える人もいるだろう。ファインダーを覗くカメラマンは旅からインスパイアされ、その場所、時間、レンズらを通してイメージにする。時代を超えて訴えつづける写真の数々は、1点1点、毎回圧倒されてしまうのに、よく纏められている。写真そのもの自体も魅力だが、コラムでその歴史についても学ぶことができる。手元に置きたい完全保存版だ。
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