僕は、確か小学生の頃、平家物語を読んで感動し、同じ感動を味わおうと思って源氏物語に取り組んだ。田舎の少年は、源氏物語は武家としての源氏の盛衰を描いたものに違いないと勝手に決め込んでいたのである。読み始めて、おそろしく拍子抜けしたことが記憶に残っている。途中で投げ出した源氏物語に、再び取り組んだのは高校生の頃ではなかったか。その時は漱石よりもむしろ惹かれるものがあった。20世紀文学の双璧と言われるジョイスやプルーストにも決して引けを取らない大ロマンが、1,000年も前に日本で書かれていた、田舎の高校生はとても誇らしく思ったものだった。
ところで、全ての物語にはそれに先行する物語(群)があると言う。人間の独創力は実はそれほど大したものではないので、次々と翻案を重ねていくのである。例えばダンテの「神曲」は、トレードの工房で翻訳されたムハンマドの天国と地獄への旅を扱ったイスラームの物語「階梯の書」から多大のインスピレーションを得ている、と言われている。では源氏物語はどうか。本書は、源氏物語が誕生する流動する現場に、著者が今日の視点から著者なりのやり方でただ真摯に立ち会った試みである。面白い。
著者は大学2年の時、語学の授業でハムレットを選択し、4年生の夏に源氏物語を読み始める。「この2つの古典劇は、根幹のところでなんとよく似ていることだろう」。ここから、著者の遍歴が始まったのだ。第1章と第2章では、桐壷帝と藤壺、光源氏のモデルが玄宗・楊貴妃・安禄山であることが示唆される。先ず、度肝を抜かれる。第3章では、若紫が出会う「北山のなにがし寺」の比定が検討される。果たして鞍馬寺なのかどうか。第4章と第5章では、紅葉賀で光源氏の舞う青海波と、安禄山の胡旋舞が対比される。目からウロコが落ちる。第6章では源氏物語と釈尊伝の構造が剔抉される。六条院の四季の形象を、なるほど、こう読み解くのか。第7章では宇治八の宮と宇多帝八の宮の敦実親王との類似が考察され、第8章では「横川のなにがし僧都」と源信の関係が再解釈されている。
本書は著者の論文を一冊の書物に纏めたものであるが、よく推敲されており、全体の統一感はきちんと確保されている。何よりも源氏物語の本文を丁寧に読み込んでいるので、腹落ち感が半端ではない。確かに「長恨歌は源氏物語を推進する根幹的な媒体」ではあったが、ここまで想像の翼を拡げられるとは。「平清盛のまわりには源氏物語の風情が充満していた」との指摘も興趣が深い。今から、源氏物語をもう1度手に取りたくなるような、刺激に満ちた1冊である。源氏物語に関する本で、これほど面白い書物には近年出会ったことがない。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。
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