『おとなのかがく』は、私が映画美学校に通っていた時に約半年間の取材期間を経て製作した、『浜辺の巨大生命体へ―大人の科学の挑戦』が原型となっています。
制作スタッフ3人で企画会議を繰り返し、候補に挙がってきたのが学研教育出版『大人の科学マガジン』の“ふろくが出来るまで”というテーマでした。わたしはそれまで『大人の科学マガジン』の存在を知らなかったのですが、実際にその本を手に取ってみて、装丁のデザイン性の高さや、本の造り、重量感、本としての魅力が溢れていて、手に取るだけでワクワクしたものです。
テオ・ヤンセンの巨大な彫刻を“ふろく”にするというのも、何だかおかしくて、そして謎めいていて。早速、学研に取材協力のお願いをしたところ、初対面の西村俊之編集長に「編集部を撮るのは構わないんですけど、試作屋さんって面白いですよ。すごいんです。」というお話を伺うことになるのです。
そこで初めて、ふろくの試作品をつくる専門の職人さんがいることを知るわけなのですが、西村編集長はじつに魅力的に試作屋・永岡昌光さんの存在を語り続けます。 普段、裏方に徹していて、絶対に出てこないすごい職人がいるというお話はとても興味深く、それを語る西村編集長の説得力にも引き込まれていきました。
そして実際に永岡さんにお会いし映画化することを決めるまでに、時間は必要としませんでした。ただ、その後の撮影期間は半年に及び、回した取材テープは約60時間から65時間。これを50分の作品にするにあたっては、構成の軸をどこに据えるかで随分悩みましたし、編集にもかなり時間を掛けております。
芸術家テオ・ヤンセンは知れば知るほど面白い。コンセプトは“風をたべる生命体”。作品はヤンセンが生み出した“ホーリーナンバー”(黄金比)に基づく構造を持ち、風を受けると何本もある脚を動かして歩き始める。その動きはとてもチャーミングで、まさに“生き物”。ヤンセンの作品は生命論やものづくりなどの科学性に加え、自然との調和や造形美も合わせ持っています。
人気も絶大で、2011年の大分県立美術館『テオ・ヤンセン展』では14万人もの来場者があったと聞きます。万人を魅了する不思議な魔力があるのです。
テオ・ヤンセンの作品を“ふろく”にする『大人の科学マガジン』は、大人が夢中になれる創意工夫に満ちていて、知性をたっぷり刺激する。原理や根源的なテーマを含みつつも、泥臭さがない。おもしろ楽しい大人の“ふろく”は、プラネタリウムの号では50万部を超えたそうです。どの号の話を聞いても面白く、こだわりがあり、洗練されていて、毎号いくつもの壁を乗り越え誕生している雑誌は、極端なことを言うと、どの号を撮っても面白いドキュメンタリー映画が出来るのではないかと思いうほどです。
実際に編集部をのぞくと、デスクの端の方でルーペなどを駆使しながら、エプロン姿で作業する白髪の修理工のような人が座っていたりします。西村編集長は山積みの書類に埋もれて、パソコンで海外とやり取りをしていたり、そうかと思えば、会議室で新商品のシンセサイザーの打ち合わせで、ピコピコキュンキュンしていたり、夢みる大人を喜ばせる裏側はとても楽しく忙しい。これは作品には描かなかった部分であります。
そして編集長に紹介いただいた試作品をつくる専門の職人永岡昌光さん、この方が今回の主人公。1ミリに20本の線を引く職人さんです。モノを見ただけで仕組みがわかり、簡単な図面をおこし、すぐ試作に入れます。
「3Dプリンターより早いですよ」とは永岡さん。
「何でもつくれるよ。理詰めで分からなかったら、手を動かして、それでダメならまた理に戻し、手を動かす。この繰り返しで大抵のことはクリア出来る」
手が早く、腕がいい。そしてモノの原理がよくわかっている。実際に試みて作れなかった製品は、未だないそうです。
テオ・ヤンセン、『大人の科学マガジン』、編集部、編集長西村さん、試作屋永岡さん。やがて撮影が進むうちに台湾と中国が大きな役割を果たしていることを知ります。
この台湾、中国を巡る想定外の出来事が、この映画を変えていきました。撮影当初、わたしには「日本の工場は工賃が高いから中国の工場へ持っていき、安く量産する。」といった程度の認識しかなかったのです。
しかし、実際に中国ロケに行き撮影が進むにつれて、偏見はガラガラと音を立てて崩れていきました。そして台湾、中国というのは、“世界一のふろく”をつくるのになくてはならないパートナーなのだということに気付かされるのです。
そこには国境も政治も関係なく、モノつくりを通して築かれた、互いに敬い合う関係があります。わたしが普段日本にいて知る中国とは、また別の世界がありました。
中国ロケを終え、帰りの飛行機に乗る前に、畳一枚ほどの大きさの中国地図を買いました。その大きな地図には、私たちが取材で立ち寄った深圳のはずれにある街の名前はありませんでした。
中国の小さな街で量産されている“世界一のふろく”が教えてくれた事。発見するという感動を、観客の皆さんにもお届けしたいと思います。
忠地 裕子 映画監督。1976年4月9日長野県松本市生まれ。女子美術短期大学卒業。2009年ドキュメンタリー作品の撮影を手伝ったことがきっかけで、2010年から映画美学校ドキュメンタリー初等科で一年間ドキュメンタリー映画を学ぶ。