フランスのアンジェ城で、薄暗い光の中、壁一面にかけられたアンジェの黙示録を初めて見た時の、摩訶不思議な感動は、まるで昨日のことのようによく覚えている。聖書の最後に置かれた、わずか35ページ(新共同訳)のヨハネの黙示録(アポカリプス)。「イエス・キリストの黙示」で始まるこの両義的でおどろおどろしい不思議な物語のまたとない解説書が現れた。それが本書である。
著者は、この物語を腑分けするために、6章を用意した。テクスト3章、イメージ3章である。
「第I章 『七』という数字」では、「七」によって「入れ子状に組み立てられたびっくり箱」という物語の構造が明かされる。「七」は1週間の「七」、天地創造の「七」(の反転)である。そして、栄光と破壊のヴィジョンが「交互」に訪れる。ヨハネは「強い」キリストを念頭に置いている、というのが著者の見立てである。
「第II章」 終末の源泉」では、既に旧約聖書(ダニエル書、イザヤ書、エゼキエル書など)の中に、黙示録思想の原形が育っていると説明される。
「第III章 変奏される神話」では、黙示録思想の展開が語られる。オリゲネスやアウグスティヌスから、アゾを経てフィオーレのヨアキムへ。著者はヨアキムをキーパーソンの1人としてとらえ、その思想が聖フランチェスコやダンテ、サヴォナローラに受け継がれていったと見る。そして、バニヤンからブレイクを経て、ニーチェに至るまで、西洋の思想史の上では、キリストとアンチキリストが「紙一重であり、しばしば反転しうる」ことが説かれるのである。
「第IV章 女の出番」。ここからイメージ編となる。黙示録はミソジニー(女嫌い)の伝統に連なっているが、例外的に2人のヒロインが登場する。「太陽を身にまとう女」(マリア?)と「バビロンの大淫婦」(ローマ?)である。ここでも聖女と淫婦が重なり合う(紙一重)ことが示される。
「第V章 『敵』」としてのアンチキリスト」では、ローマ教会とプロテスタントの争いの中で、互いをアンチキリストと見なしてイメージの戦争を繰り広げた事実が克明に描かれる。そして、反ユダヤ主義についても、豊富な図像と共に。
「第VI章 カタストロフ」が終章となる。ゴジラをはじめとする怪獣映画が黙示録の獣を下敷きにしていることや、核兵器との関連、そしてベルイマンの「第七の封印」やコッポラの「地獄の黙示録」が分析される。黙示録の思想やイメージは、「それを意識されることの少ないまま、日常のなかに浸透している」「なぜならそこには、人間のもっとも根源的な感情である希望(再生)と恐怖(終末)が、さまざまな姿をとって投影されているからだ」。
多くの映画に言及されていることも、映画好きの僕にとっては嬉しかった。ただ、「ロード・オブ・ザ・リング」も現代の黙示録の代表だと思うのだが・・・。また、新書なので仕方がないとは思うが、せめて図版が倍の大きさであれば・・・。
著者には、ぜひ、次には、「最後の審判」を書いてほしいと強く思う。それにしても、黙示録の中に全てのイメージの源泉があるとは。改めて、人間の想像力は、はるかな昔から、それほど進歩していないことに驚かされた。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。
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