【連載】『人体 ミクロの大冒険』 
 第3回 あなたを変身させる”魔法の薬”

2014年4月5日 印刷向け表示

本日3回目のOAを迎えるNHKスペシャル「人体 ミクロの大冒険」。HONZでは同時発売された書籍『人体 ミクロの大冒険』(角川書店)の一部を、放送内容に合わせる形で、連載していきます。(※過去の記事:第1回第2回) 

第3回のテーマは思春期。少女から女性、少年から男性へという変化の陰で、細胞たちがどのように連動して変化していくのか、ホルモンを追いかける体内ツアーで辿っていきます。

人体 ミクロの大冒険  60兆の細胞が紡ぐ人生 (ノンフィクション単行本)

作者:NHKスペシャル取材班
出版社:KADOKAWA/角川書店
発売日:2014-03-27
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思春期という変貌の季節

私たちの身体は、 60兆個の細胞でできている一種の社会  
そうなると、ひとつ、厄介なことが出てくる。集団行動の難しさだ。

最近、テレビで人気を博しているのが、大学などが徹底した練習を積み重ねて実現する、集団行動だ。数十人が同じリズムで行進しながら、「廻れ右」などの合図に従って自在に隊列を変化させて進む。ときには後ろ向きで進んだりもする。好き嫌いはあるだろうが、あれほど一糸乱れぬ様子は感動的なほどだ。 

この行進を見て瞠目するのは、「フツーはできないよなぁ」と誰もが思うからだ。後ろ向きに進みながら隊列が交錯しても、誰もぶつからないというのは奇跡のようにさえ見える。 

血の滲むような練習を重ねて初めて実現できる集団行動。あれほどではなくても、60兆の細胞たちも調和を保ちつつ、行動しなければならない。しかも、いつもその行動は同じことの繰り返しというわけにはいかない。私たちはつねに成長という変化をつづけているからだ。

その成長も一定のペースをずっと保っているのではない。ときに、集団行動の「廻れ右」のように、突然、急変することもある。その急変に60兆の細胞(すべてではないにせよ)が鮮やかに対応して、見事な統制力を見せつけなければならない。

細胞社会には、必然の急変がある。それが思春期だ。身体のあちこち、そして脳が一斉に変化する必要がある。当然、「廻れ右」のような号令が欠かせない。

その号令こそ、ホルモンである。

ホルモンについて語るのに適しているのは、やはり思春期が一番だ。

バイオイメージング技術によってとらえたホルモン

前章では、思春期を脳の可塑性に焦点を当てて語ってきた。すべての臨界期の仕上げこそ、思春期だ、と。しかし、思春期に起こる変化は身体のほうが鮮やかだ。そして、私たちの誰もが実際に経験して、その変貌ぶりを実感している。それを引き起こしているのがホルモンだ。 思春期の主役はホルモンなのである。

では、そのホルモンはどのようなものだろうか。考えてみれば、ホルモンという単語そのものを知らない人はいないだろうが、「では、ホルモンとは何か?」と尋ねられると戸惑う人が多いはずだ。

そこで訪ねることにしたのは東京大学坪井貴司准教授の細胞機能イメージング研究室だ。

ここを訪ねた理由は、坪井さんのこの一言ですぐに納得できるだろう。

「私たちは今回、身体を一斉に変化させているその始まりとなる細胞の活動を鮮明に捉えることに成功しました。これだけ鮮明な画像は、世界で初めてのことです」

坪井さんの研究を紹介しよう。

坪井さんは、ホルモン観察に適しているとして、膵臓にあるベータ細胞と呼ばれる細胞を培養した。その不足が糖尿病の原因としても知られるインスリンホルモン、血糖値を下げるホルモンを分泌する細胞だ。

細胞のなかにあるのは、無数にも思える光る粒だ。これが身体の一斉変化を起動するホルモンである。

画像の中の光っている部分がホルモン(CG画像)

ホルモンは細胞がつくり出す化学物質だ。ホルモンをつくり出すのは細胞内小器官のひとつである小胞体。その膜表面にはmRNAを読み取ってタンパク質を合成するリボソームがたくさん存在し、遺伝情報を読み取って、ホルモンを生産する場となっている。 

ホルモンは細胞のなかでは、膜に包まれた顆粒状になっていて、粒が弾けると、細胞の外へ放出される。そして、血液を通して全身の細胞に届けられるわけだ。

ホルモンが細胞の外に放出される様子(CG画像)

ホルモンは細胞を自在に変化させる〝魔法の薬〞である。

その魔法ぶりをテレビで紹介するために、ホルモンをさまざまな細胞に振りかけて変化する様子をいくつかの研究室に撮影してもらった。埼玉大学の坂田一郎博士、浜松医科大学の寺川進博士、自治医科大学の高橋将文博士、大阪大学の永井健治博士と、そうそうたるメンバーへのお願いだった。せっかく撮ってもらえても、番組で映像をすべて紹介できないと正直に申し上げていたが、どの研究室も熱心に挑戦してくれた。専門家の熱い協力なしに番組はできないという事実を改めて感じた次第だ。

集まった映像はどれも、ホルモンが魔法の薬であることを伝えていた。

たとえば、ある丸い形の細胞に振りかけると、細胞は細長く変化し、みるみる触手を伸ばして繫がりはじめた。神経細胞の元になる細胞が分化をはじめ、新たな神経回路をつくりはじめたのだ。

ホルモンによって引き起こされる細胞の変化(CG画像)
免疫細胞に振りかけると、形を変え、動きはじめる。免疫細胞が、身体を外敵から守るために、パトロールをはじめたのだ。

同じホルモンをかけても、それぞれの細胞で異なる反応を引き出すこともできる。

このホルモンが身体中の細胞に到達することで、それぞれの場所でそれぞれの変化が一斉に起きる。それが思春期の大変身の秘密なのだ。

思春期の始まりを告げる細胞は、私たちの身体のなかでは脳の視床下部というところにある。脳の下に飛び出したようになっている脳下垂体という場所の、上のほうに収まっているのだ。

この細胞、性腺刺激ホルモン放出ホルモン分泌細胞という長い名前がついている。その理由はすぐにわかる。思春期の開始を告げるホルモン分泌は2段階になっているのだ。

この細胞は長い尻尾のような構造を持っている。その尻尾の先端、その内部に顆粒状のホルモンが入っている。ホルモンの名前も長い。性腺刺激ホルモン放出ホルモンGnRHだ。

顆粒状のホルモン(CG画像)

思春期までの十数年、ほとんど活動をしていなかった性腺刺激ホルモン放出ホルモン分泌細胞は思春期の始まりに向けてホルモンをつくり、溜め込んでいく。いったい、思春期の始まりを脳の細胞はどうやって察するのだろうか。そのメカニズムについては、つい最近になって、キスペプチンというまた別の視床下部ホルモンが発見されたことによって新しい事実がわかってきたものの、その全容はいまだ完全には、解明されていないそうだ。

蓄えられたホルモンは突然、外に放出される。いよいよ思春期の始まりだ。

このホルモンは、視床下部の下、脳下垂体にある別の細胞に取り込まれる。細胞の名前は、性腺刺激ホルモン分泌細胞。その名の通り、この細胞はスイッチが入ると、ゴナドトロピンと呼ばれる性腺刺激ホルモンを放出する。

この分泌細胞が脳下垂体にあるのには、理由がある。

もともと脳をめぐる血流と、身体をめぐる血流は、脳関門という仕切りで基本的に隔離されている。これは、外から入ってきた化学物質などの影響から脳を守る仕組みだと考えられている。

この仕組みのため、脳で分泌されたホルモンを全身に送るためには、身体をめぐる血流にアクセスしなければならない。そこで、脳から垂れ下がった形になっている下垂体が、脳の外へと通じる窓口になるのだ。

脳を出た性腺刺激ホルモンは身体全体を変えるべく、身体の血液をめぐる。めざす先はその名の通り、性腺だ。男性ならば精巣であり、女性ならば卵巣である。 ここが男女それぞれの身体を変化させる重要な中継地となるのだ。

第4回へつづく


NHKスペシャル「人体 ミクロの大冒険」
・プロローグ ようこそ!細胞のミラクルワールドへ 
 2014年3月29日(土)総合 午後9:00〜9:49

・第1回 あなたを創る!細胞のスーパーパワー
 2014年3月30日(日)総合 午後9:00〜9:49
・第2回 あなたを変身させる!細胞が出す”魔法の薬”
 2014年4月5日(土)総合 午後9:00〜9:49 
 再放送 2014年4月10日(木)午前0時40分~1時29分(9日深夜)

・第3回 あなたを守る!老いと戦う細胞
 2014年4月6日(日)総合 午後9:00〜9:49
 再放送 2014年4月14日(月)午前0時50分~1時39分(13日深夜) 

 

■本日放送分(第2回)の見どころについて
この回のテーマは、ホルモン。その実態は意外に知らないもの。じつは細胞が出す細胞たちへの一斉メール。思春期に大人へ変身させる、出産を経て親として成熟させる、その裏側でホルモンが活躍しています。「心を操る物質」ホルモンを知ることは人間観を揺さぶる刺激となるはずです。(NHKエグゼクティブプロデューサー・高間 大介)

※本文内の画像はNHK様よりご提供いただいております。

株式会社KADOKAWA 角川書店ブランドカンパニー
第一編集局 第四編集部。
ビジネスや実用書のほかさまざまなジャンルのノンフィクション作品を手掛けています。公式サイト(Facebookページ)はこちら

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作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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