【連載】『人体 ミクロの大冒険』 
 第2回 成長とは何か 〜誕生から思春期まで〜

2014年3月30日 印刷向け表示

昨日からOAが始まったNHKスペシャル「人体 ミクロの大冒険」。HONZではそれに先駆け、同時発売される書籍『人体 ミクロの大冒険』(角川書店)の一部を、放送内容に合わせる形で、連載していきます。 

第2回のテーマは、成長とは何か 〜誕生から思春期まで〜。最新の映像技術によって描き出された、細胞の”実像”。私たちの誕生を支えているのは、一体細胞のどのような活動なのか? 
※前回の記事はこちら

人体 ミクロの大冒険  60兆の細胞が紡ぐ人生 (ノンフィクション単行本)

作者:NHKスペシャル取材班
出版社:KADOKAWA/角川書店
発売日:2014-03-27
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私たちは、母親と胎内の赤ちゃんは一心同体の存在と思っている。確かに、胎内の赤ちゃんは独立した存在とはいえない。栄養など、生きていくのに必要なものはすべて母親の胎盤と結ばれた臍の緒を通じて母親から受け取っている。しかし、自立できない存在とはいえ、遺伝子でみれば、もはや母親とは違う、独自の存在になっている。

そのことを象徴しているのが、胎盤の仕組みだ。

誰もが母親のお腹なかのなかでお世話になった胎盤だが、その詳細を知っている人は少ないだろう。そこで、番組の売り物として精巧なCGをつくることにした。リサーチャーの坂元さんが日本胎盤学会で名前をよく見かけたという名古屋大学の吉川史隆博士に相談してみると、即ご協力しましょうというお返事をもらった。

坂元さんがすぐに名古屋へ飛んだ。

名古屋大学医学部の産婦人科教室で待っていてくれたのは、吉川さんと部下の小谷友美博士だった。
「小谷先生は、胎盤の専門家なので同席していただきますね」

こうして質問魔・坂元さんの犠牲者が2人になった。吉川さんは手術したときの話などを思い返しながら、こうではないかなと推察していく。その推察に呼応するように小谷さんが文献を当たってくれる。

「そんなこと考えたこともないなぁ。どう、小谷先生?」
「そうですね、あ、あの本に載っているかもしれませんね」

質問攻めは数時間に及んだ。その日だけでは終わらず、その後も何度も質問をぶつけることになった。小谷さんには大晦日に送った質問メールに、その日のうちに答えをもらったことさえある。本当にありがたいことである。

その渾身の協力があって、まったく見たことのない世界が見えてきた。

胎盤は大まかにいえば、巨大な袋状だ。

胎盤に張り巡らされたコチルドン

なかには樹木を連想させるコチルドンという構造が林立している。もしも胎盤のなかにミクロの存在になって紛れ込んだら、赤い海のなかに繁ったサンゴ礁の森のなかを進むイメージだろう。

胎盤内映像毛細血管

袋に満ちているのは母親の血液だ。そして、赤ちゃんの血管は臍の緒から伸びたのちに枝分かれして、コチルドンの無数にも思える突起のなかにびっしりと張りめぐらされている。赤ちゃんの身体から臍の緒を通ってきた血管が母親の胎盤のなかまで伸びているわけだ。母子はコチルドンの突起表面で血液をぎりぎりまで接近させて栄養などを交換しているが、血液そのものは物理的には遮られていて、それぞれ閉じた系をめぐらせているのだ。母親と子どもが血液型が違うという例は珍しくない。混じっては不都合なのである。つまり、胎盤は母子が一心同体である象徴のようで、すでに別々の独立した存在であることを前提としているのだ。

もともと胎盤がどのように進化したのかというプロセスは、生命史上の大きな謎だ。その謎が最新の遺伝子研究から少しずつ解き明かされている。胎盤誕生のプロセスからは、やはり生命の成り立ちの大原則  途中ではある程度の競争や競合を孕みながら、調和を築いていく  が浮かび上がってくる。

胎盤をつくるうえで重要な遺伝子はウイルスやそれと同一の起源を持つレトロトランスポゾン由来ではないかと最新研究から議論されている。先にあげたエピジェネティクスの心強い相談相手、石野さん(※編集部注:東京医科歯科大学の石野史敏博士)たちの世界的な業績もこれに関するものだ。

石野さんたちはマウスにおいて胎盤形成に必須のPEG遺伝子を中心に、胎生というシステムの進化を追究している。このPEG10 は爬虫類にも鳥類にもなく、哺乳類の系統のみレトロトランスポゾン由来で獲得されたとされる。

ウイルスはおのれだけでは増殖できないため、ほかの生物のゲノムを利用する。ウイルスに感染すると、その遺伝子が私たちの体細胞の遺伝子に挿入され、ウイルスの増殖に活用されるのだ。こうした感染がたまたま生殖細胞で起きると、ウイルスの遺伝子が親から子へと伝えられていく可能性がある。こうしてウイルスやレトロトランスポゾンから受け取った遺伝子が胎盤をつくる遺伝子に転用されたのではないかと考えられているのだ。胎盤の仕組みは、胎児が母親の身体に住まわせてもらい、栄養などをお裾分わけしてもらうことだ。なるほど、ウイルスっぽい仕組みである。

また、胎盤をつくらせるこの遺伝子は男女ともに持っているが、実際に働くのは父親側のものだ。母親の遺伝子はエピジェネティクスでロックされている。

なぜ、わざわざ父親の遺伝子でつくるのかについては、ひとつの仮説がある。胎盤は母親から大切な栄養を一部とはいえ、奪う仕組みだ。母親側(の遺伝子)の事情としては、できるだけ母親優先にして小規模にしたい。できれば、つくりたくない。それに対し、父親側(の遺伝子)は、できるだけ子ども優先にして、大規模なものにしたい。そんな競合があるため、この遺伝子の場合は父親側の指令で動くようになったのではないかというわけだ。

さらに胎盤形成には母親側の指令で動く遺伝子もあり、どちらも必要である。実際に駆け引きや喧嘩をしているわけではないが、生命はつねに競争・競合を含みながらも調和のもとに成立している、きわめて動的なものだと感じる。
 

サウサンプトン大学の研究が教えること

人生にずっと影響する選択が胎内ではじまっているのは、一卵性双生児だけではない。私たちすべてが同じである。

なかでも現代の日本に生きる私たちにとって、無関心でいられない研究がある。イギリスやニュージーランド、シンガポールの3ヶ国で行われた子どもの太りやすさに関する調査だ。

イギリス、ロンドン郊外にあるサウサンプトン大学のキース・ゴッドフリー博士を中心として、2011年に組の親子を対象にまとめられた調査である。

私たちはゴッドフリーさんに会うため、2013年の冬、イギリスに向かった。

ロンドンから南へ車で1時間あまり。港町サウサンプトンは学術都市として知られている。

多忙を極めるゴッドフリーさんは、「撮影は2時間以内にしてほしい」というやや厳しい条件を私たちに示していた。2時間というのは十分なようで、撮影しているとあっという間に過ぎていく。一瞬も無駄にはできないという焦りにも近い気持ちに急き立てられ、私たちはすぐにインタビューの準備にとりかかった。

ゴッドフリー博士

ゴッドフリーさんは自らが行ってきた研究の成果をきわめて明確に語った。

「私たちが15年以上にわたって行ってきた研究は、妊娠中の母親の食生活が赤ちゃんに永続的
な影響を及ぼす可能性があるという有力な証拠を示しています。子どもが生まれたのちの人生
で肥満や糖尿病や心臓病になるリスクは、出産前の環境、つまり母親の食生活による影響のほ
うが、持って生まれた遺伝子の影響よりもはるかに大きいといえるのです」

ゴッドフリーさんたちの調査がまとめたひとつのデータを説明しよう。

ゴッドフリーさんたちは、対象とした母親を妊娠時における栄養状態によって4つのグループに分けた。1日に摂取した炭水化物の量によって「非常に少ない」「少なめ」「多め」「非常に多い」というグループにしたのである。糖質ダイエットなどで目の敵にされがちな炭水化物だが、やはり必要な栄養であり、母親の栄養状態がよいほど、この数字が大きくなる。もちろん、太り気味になる危険も増えることになるのだが。

そして、それぞれのグループの母親から生まれた子どもの太りやすさを調べたのだ。

結果は、一目瞭然だ。

ただひとつ、飛び抜けて高かったのは、母親の炭水化物摂取が「非常に少ない」グループだ。逆に、母親の栄養状態が過多気味になっても、子どもの肥満傾向にはそれほど差が出ていない。ほぼ横並びである。

私たちの印象では、お母さんが太っていると、その子どもも太っていると思いがちだ。つい「遺伝か」と思ってしまう。そんな思い込みを否定する結果なのだ。

もしも遺伝的な要素が大きいとすれば、こんな結果にはならない。ゴッドフリーさんがいう通り、「母親の食生活による影響のほうが、持って生まれた遺伝子の影響よりも大きい」ことを示しているのだ。

これがエピジェネティクスだという。

「これまでは、体内の細胞はそれ自体が持つ遺伝情報で決められた固定経路に沿って成長すると考えられていました。でも、現在、わかっていることは非常に違った全体像です。細胞は胎盤を通って母親から来る栄養とホルモンの流れに常に適応しており、その適応はエピジェネティックな過程を通して細胞のDNAに固定されます。そして、その個人の一生を通して細胞がどう行動するかに長期的な影響をもたらすのです」 

しかし、いったい、なぜそんなことが起きるのか。

カギを握っているのは、間葉系幹細胞と呼ばれるものだ。幹細胞とは、身体のさまざまな部分をつくりだす「タネ」のような細胞だ。

ここで少し勉強臭くなるが、細胞の種類を紹介しておこう。

細胞の種類は、身体のどの部分の細胞であるかという名称(脳の神経細胞とか、心臓の心筋細胞とか、だ)のほかに、どれだけ変化できるかという能力による分類がある。

受精卵もひとつの細胞だが、そこから身体のすべてをつくりあげることができるので「全能性」を持っているという。数回の分裂をしても全能性は残るので、一卵性双生児ができるわけだ。

次に、広い変身能力を示す言葉が「万能性」だ。専門家はあまりこの言葉を使わなくなっているが、一般人にはわかりやすい。受精卵から分裂をはじめると、ある段階から全能性は失われるが、それでもあらゆる臓器や組織の細胞になり得る能力を保っている段階がある。再生医療の切り札とされるES細胞やiPS細胞も、俗には人工万能細胞と呼ばれ、このなかに含まれる。

その次が、「多能性」だ。万能性に比しては限定的だが、それでも複数の細胞に変化できる能力を持っている。

そうした多能性も失うと、「単能性」になる。1種類の細胞にしかなれない細胞で、同じ種類の細胞を次々とつくり出す使命を担う。私たちの身体は絶えまない新陳代謝によって健全に保たれている。皮膚が1ヶ月ほどで入れ替わっていることはよく知られている。硬く見える骨も同じで、細胞レベルでみれば日々、少しずつ入れ替わっているのだ。そのため、つねに新しい細胞を補給しなければならない。骨髄にある造血幹細胞は血球のもとになり、神経幹細胞は神経細胞をつくるもとになっている。

そして、生殖細胞以外の身体を構成するのが体細胞で、こちらは使い捨ての運命にある。 

こうした数種類の細胞のなかで、間葉系幹細胞は多能性を持っている細胞に属する。脂肪や骨、軟骨、そして筋肉などになることができるのだ。

では、間葉系幹細胞がそのいずれの細胞になるのかは、何が決めているのだろうか。決めてくれる司令塔のような存在があるのかといえば、そうではない。それはじつは細胞自身だ。細胞が置かれた環境によって選び取っているのだ。

そのことを如実に示しているのが、広島大学の加藤幸夫博士たちが開発に成功した特殊な培地だ。加藤さんは間葉系幹細胞を狙い通りの細胞に迅速に分化させる培地の特許を持っていて、ベンチャー企業を立ち上げている。特許は企業の生命線なので、培地の組成は非公開だが、ちょっとだけヒントを教えてもらった。タンパク質のある種の成分濃度を変更することで、数種類の細胞に分化させることができるのだそうだ。

培地に置かれた細胞にとって、頼るべき司令塔はいない。細胞自身がエピジェネティクスによって選択をしているのである。

第3回へつづく
 

NHKスペシャル「人体 ミクロの大冒険」
・プロローグ ようこそ!細胞のミラクルワールドへ 
 2014年3月29日(土)総合 午後9:00〜9:49
第1回 あなたを創る!細胞のスーパーパワー
 2014年3月30日(日)総合 午後9:00〜9:49

・第2回 あなたを変身させる!細胞が出す”魔法の薬”
 2014年4月5日(土)総合 午後9:00〜9:49
・第3回 あなたを守る!老いと戦う細胞
 2014年4月6日(日)総合 午後9:00〜9:49

 

■本日放送分(第1回)の見どころについて
この回の目玉は、神経細胞についての驚き情報です。臨界期という言葉をご存知でしょうか。効率的に学習できる時期のことで、その時期がなぜ短く限られているのか、その謎が解明されてきました。なんと、わざと早く終わらせているというのです。脳の細胞の『選択』を知ることで、人間の成り立ちについて新しい視点を得られると思います。(NHKエグゼクティブプロデューサー 高間 大介)

※本文内の画像はNHK様よりご提供いただいております。

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第一編集局 第四編集部。
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決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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