「朝から競馬の話か」と思われそうだが、確かに競馬関連の本である。新書サイズだが、講談社新書でも集英社新書でも光文社新書でもない。もちろん岩波新書でも中公新書でも新潮新書でもない。競馬王新書である。インテリジェンスあふれるHONZ読者に、開かれたブラウザを全力で閉じられそうな展開だが、待って欲しい。巻末の用語集を読むと「厩務員」や「凱旋門賞」がある。競馬王新書をわざわざ手に取る人で「凱旋門賞」を知らない人はいないのではないだろうか。実は本書は競馬王新書でありながら、競馬に詳しくない層も狙う壮大な試みを持った一冊なのだ。明らかに他の競馬王新書(例えば『ウルトラ回収率2014-2015』、『京大式鉄板の買い方講座』などがあるらしい)とは異なる。競馬の話をするとみせかけながら、完全なビジネス本であり、規制に縛られた世界で戦い続ける熱い男の物語である。
著者の矢作氏は、05年に中央競馬会(JRA)の調教師免許を取得。08年には開業以来3年8カ月12日で、現役の調教師では最速の通算100勝達成。09年には47勝を挙げて全国2位、関西に限れば初の首位に輝き、12年には日本ダービーを制覇した。「競馬の本ではない」と書きながら、完全に競馬の話になってしまっており、ブラウザところか強制的にパソコンやスマホの電源を消されそうな勢いだが、もう少し待って欲しい。佐々木俊尚さんの『家めしこそ、最高のごちそうである。』のHONZの新連載は抜群に面白いが読み始めるのは少しばかり待って欲しい。著者が「異色の調教師」と注目を集めるのは、調教師の手腕だけではないのだから。東大に多くの合格者を送り込む開成高校の出身であり、調教師になるまでの道程が決して平坦ではない生き様が興味深いのだ。
「おいおい、なぜ開成高校の学生が競馬の道に進むんだ」と思われるだろうが、著者の父の矢作和人氏が大井競馬の調教師であったことが全てだろう。公営競馬調教師連合会会長も務め、地方競馬の発展に貢献。06年には文部科学大臣スポーツ功労者顕彰を受章している。生まれながら競馬と近い距離にいただけに「開成でまともに勉強しても勝てない」と判断した以上、勝てる道を競馬に見出したのは自然のことだったのかもしれない。著者は高校生の途中で競馬界に身を置くことを決める。 とはいえ、「開成に行ったのだから」と思うのが親心だろう。中卒で地方競馬のジョッキーを経て調教師になった父親の猛反対にあうが、数ヶ月かけて説得。すでに地方競馬の地盤沈下を感じ取っていた父親は「競馬の国際化で調教師の仕事も将来は英語力が必要になる」と、外国に行くことと中央競馬(JRA)に入ることを条件に、渋々認める。ちなみにここまでの記述はwikipediaに書いてあったりしますが、続けます。英語の専門学校で学んでからオーストラリアに飛び立った著者の人生が狂い出すのは帰国後である。
帰国して、地方競馬で父親の厩舎を手伝いながらJRAの厩務員過程の入学試験に挑戦するも、落ちること2回。競馬学校に入らないと調教師への道は原則開かれない。
JRAとしては地方競馬で経験を積んだ人間を採るよりは、高校を出て牧場に数年間勤めました、みたいなまっさらな人間を採って純粋培養したかったのだろう。一次試験は筆記と身体検査だが、二次試験に体力測定と面接があって、毎回そこで落とされた
競馬界では地方競馬と中央競馬には大きな断絶がある。最近こそ垣根が少しずつ低くなっているがかつては異世界だった。競馬学校に潜り込み、卒業して厩務員になってからも道のりは険しい。厩務員から調教師になるための試験におちること13回。かつては騎手出身ならば1発で通過することもあったが、それが13回。ここまで「試験」に落ちまくる開成出身者も珍しいのではないか。それでも、半ば腐りながらも決して夢を諦めない。奮闘する矢作氏の姿に涙が出てきそうになる。調教師になるまでにもがく前半部分が本書の読みどころのひとつであるのだが、読み進めると穏やかでない事実も明るみに出てくる。
当時の関係者の間では『矢作は絶対に調教師試験は通らない。JRAが合格させないだろう』というのは有名な話だった
「そこまでやるか!」とJRAの古い体質に腹を立てながら読んでいるとその原因がわかってくる。
相手はヤクザだった。すごいガタイをした若頭だ。こちらが仕掛けたわけではないのに、向こうから絡んできた。-中略-『素人をなめるなよ、ヤクザだといえば誰でもいうことを聞くと思うなよ!』 缶ビールをかけたのをきっかけにして、大乱闘に発展してしまった。ー中略-警察の事情徴収には素直に応じたので、逮捕はされなかった
矢作氏は物事にはセオリーがあると語る。開成高校で学んだことはセオリーに気付き、決して外さないことだと強調する。それほどセオリーを重視する矢作氏が調教師試験の受験に際しては、自らセオリーを外しているのは気のせいだろうか。官僚体質のJRAに警察沙汰は御法度である。「JRA許さん!」と拳を振り上げていた読者はどうすればよいのだろうか。ただ、非常に論理的な思考を持ちながら、あらぶる感情を表出してしまうところが矢作氏の魅力なのだろう。と、本書の前半部分に沿って矢作氏の人物像に触れたので詳しい生い立ちや学生時代、彼が調教師になるまでの心の葛藤に興味がある人は是非本書を手にとって欲しい。
後半部分は厩舎という「中小企業」をどう経営するかについて語っている。競馬王新書だけに競馬の話も当然出てくるが競馬の知識がなくてもスラスラ読める。第四章「矢作厩舎の馬はなぜ穴をあけるのか」だけはレースの出馬表である馬柱が出てきたり、脚質やブリンカーなど競馬ファン以外に馴染みのない単語も出てくる。競馬王新書の面目躍如なのだが、すっ飛ばしてもらってもかまわない。書いてあることは、慣習にとらわれず、とりあえずやってみようというシンプルな発想だ。
この考えは本書全体に通底する。トップ調教師になった矢作氏は一見、特別なことはしていない。厩舎のモットーは「よく稼ぎ、よく遊べ」。競走馬に関しては、出走回数を増やすためのローテーションを計画しつつも、ひとつでも順位を上げられるレースを時間をかけて血眼になって探す。コスト意識を徹底する。馬主だけではなく、ファンにも目を向け、厩舎情報も公開して、サポーターズクラブを立ち上げる。調教師の世界では従来にはなかったファンとの交流を広げるなどなど。改めて羅列しても特に「すごっい!」と思わないが、業界内では全て異例なのだ。常識にとらわれず、見つけたセオリーをひたすら地道に踏襲する。これはまさに矢作氏が指摘する開成高校の生徒が特意とすることではないだろうか。
結果的に著者の厩舎の躍進は旧態依然としたJRAの体質を浮き彫りにしているだけかもしれない。「古い業界で当たり前のことをして、成功しただけ」というやっかみもあると聞く。ただ、多くの社会人が著者の立場だったら、果たして同じ振る舞いができるだろうか。現在の私やあなたの仕事も、なぜそのような面倒くさいことを真面目な顔をして取り組んでいるのかと外部からは映っているかもしれない。無駄だなと思いながら思考停止した状態で無駄な作業を日々こなしていることに覚えはないだろうか。笑いながら読めながらも、背中をそっと押してくれて、はみ出す勇気を与えてくれる一冊だ。