いつのころからだろう、テレビのバラエティ番組に「おネエ」言葉が溢れるようになってきたのは。異形の麗人たちの姿に驚かなくなってしまったのは、なぜなんだろう。世間の御意見番のような立場に、彼(彼女)らはどうして使われているのだろう。
最近は不思議とも思わなくなっていた、そんな現象を外国人の言語学者が論じた一冊、それが『「おネエことば」論』である。
17歳で日本に留学し日本語を覚えた著者は、東京大学大学院を卒業後、言語学者となり、1990年代には「日本語とセクシュアリティ」に関する研究に全力を注いでいた。フィールドワークの一環として調査していた、「日本語とセクシュアリティについて最初に頭に浮かんだのは何か」という問いかけに、一番多く返ってきたのは「おネエことば」および「ドラァグクィーン系のことば」であったという。
日本語はバイタリティに満ちていると著者はいう。古典文学を残しながら、日々、新しい言葉を生み出し、「正しい日本語」を奨励し男は男らしく、女は女らしい言葉づかいを学べ、と強制される。その割には流行語大賞のように、突然、氾濫する言葉に寛容だ。
男女の言葉づかいの規範を飛び越え、「おネエおとば」は楽しい表現方法としていきいきとした口調で語られている。柔らかい「女ことば」を取り入れながら「女」にはとても言えないような内容をずばりと言う。性別、社会規範などを切り抜ける手段のひとつになっていたのだ。
研究を続けるうちに、それまではアンダーグラウンド的なゲイなどのクラブシーンで使われていた「おネエことば」がテレビで容認されてきた過程を、著者は目の当たりにした。一般に思われていた「男性が利用する女ことば」、いわゆる女ことばのパロディとして解釈していた範疇を大きく超えてきたのだ。真正のおネエでない「おネエキャラ」の出現、それが2000年代に入って、テレビで見ない日がないほどのブームを形作っていく。
21世紀になって登場してきた彼らは、派手な衣装、セレブ風メイク、スマートだけどどこか下品。そのほとんどが何かしらの専門家である。美容、料理、生け花、ダンス、など女性性を女性より身に着けている人たち。それまでに登場していた美輪明宏やおすぎとピーコたちより、さらにメディア向けに作られた言葉を使う。
彼らが専門的な知識を用いて、素人や個人の住まいや料理、服装など生活改善と幸せを提供することがブームを呼ぶ要因でもあった。
かつて永六輔が「オカマのことばはすばらしい」と語ったことがあった。「男ことば」より「女ことば」のほうが怒ってもやさしく感じられるという理由で、永自身が「オカマのちょっと手前」のことばを使うのだそうだ。
しかし最近のおネエキャラが使う「おネエことば」は女性的な行動やしぐさ・感性と同時に「ずけずけとした毒舌」が含まれている。そのキャラクターを確立したのが「おネエ★MANS」という番組である、と著者は断言する。
残念ながら私はその番組を見たことがないのだが、大きくページを使って解説されるあれこれは、たしかにここ最近のテレビの風潮を喝破していると思う。公式ウェブサイトでは高らかに宣言する。
おネエ★MANSとは、
男なのに男じゃない、女性よりも女性らしい
超未来型人類、カリスマを持った才人たちのこと。
この番組は2009年に終了したが、多くの人気キャラクターが登場し、現在に至っている。時に真面目に自分の専門を語り、バラエティ番組でお笑いの一環にもされる。おネエキャラブームが、また別のパロディを作り、違うブームを起こしていく。
本書では概ね、2009年の「おネエ★MANS」終了で論を完結しているが、私たちはその後テレビを席巻しているマツコ・デラックスの活躍を知っている。第六章で少し語られているが、2013年現在、ブームは継続中だ。
そしてもうひとつ、テレビドラマ「半沢直樹」の大ヒットの中で生まれたおネエことばのキャラクター、金融庁検査局主任検査官、黒崎駿一のことも見過ごせないと思う。歌舞伎俳優の片岡愛之助が演じたことで、本物の女形もまた注目されているのだ。
実際目にしたことだが、飲み屋で酒が入るにつれ黒崎の口調を真似する年配サラリーマンは、おネエことば駆使して辛辣なことをさらりと話していた。もしかすると、おネエキャラが使うことばより、黒崎の言い方のほうが使いやすいのかもしれない。
言葉は生き物だと言われる。外国人の研究者から見た日本語が、これほど面白いものだとは思わなかった。タイトルの柔らかさから読みだしたが、ガツンと硬派の研究書である。本書はまだ研究途中。さらなる「おネエことば」の進化の研究結果を楽しみにしたい。
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気鋭のフランス人女性ジャーナリストによる、日本の性風俗文化研究。まったく思いもしなかったところにエロの種が転がっていることに驚愕する。