『木材と文明』by 出口 治明
私たちは、ついつい、日本は木の文明で、ヨーロッパは石の文明であると思いがちである。これに対して、「ヨーロッパは木材の文明だった」という歴史的事実の論証を、正面から試みたのが本書である。それだけでも興味をそそるではないか。
本書は5章から成っている。「第1章 歴史への木こり道」では、いわば総論が語られる。「もし我々に木材がなければ、我々には火もないだろう」そう、「木材の9割は19世紀に至るまで燃料として消費されていた」のだ。「権力の鍵となる二つのもの、造船や金属の製錬は、大量の木材を自由に使えるかどうかに左右され」「森林資源を追って権力の中心が、古代バビロニアからマケドニアやローマを経てスペイン、フランスに、そして最終的には大英帝国へと移っていく」。これはとても面白い見方だ。
第2章「中世そして近世の曙」では、ドイツの事例を中心に、森の所有を巡る闘い(用益権と所有権)や、筏流し(流通路)、最も珍重されたナラ材、木の伐採についての規則を定めた16世紀のフォルスト条例などが、興趣あふれる図版とともに丁寧に説明される。第3章「産業革命前夜」では、木の時代の絶頂と終焉が語られる。木は燃料から材料へと変身した。そして、19世紀に林学を創始した1人であるコッタは、林業について「永遠に経営を行うのは国家だけである」という考えを披露した。また、ジャガイモに象徴される農業革命は、飼料や放牧地として森が使用されることに終止符を打ったのである。
第4章「高度工業化時代」では、森林経営や1970年代に始まる環境革命、酸性雨による森林死や気候変動との関係等、今日的な課題が、少し足早ではあるが、コメントされる。第5章「国境を越えて見る」では、アジアの事例が語られるが、日本については「世界でも最高の木の文化をもっている」と手放しで、いささか面映ゆい気持ちがしないでもない。(もっとも東南アジアでの傍若無人な皆伐についても、きちんと指摘されている)。
巻末に、木や木材と森についての名言集が収められている。「木材は、人間が技術で用いるあらゆる材料の中で、もっとも多様性のあるもの、もっともよく造形できるもの、もっとも役に立つものである」(ルイス・マンフォード)その通りであろう。そして、文学的に述べるなら、「HOLZ(ホルツ。木材、木)とは、たった一音節の語に過ぎない。けれどもその背後には、美と不思議の世界が隠されている」(テオドーア・ホイス)のであろう。人間と森との長い交わりを歴史的なパースペクティブの中で多面的に捉えた好著である。ページ番号が2段組みの中段に付けられているのも面白い。ヨーロッパを代表する観光地の1つ、ヴェニスのとある聖堂は、水中で1,000年持つ125万本のニレの木杭の上に築かれているという。ヴェニスはいわば大森林の上に作られた都市なのだ。木材の文明の面目躍如たるものがある。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。