裁判官たちは何を考えて裁いているのか。我々素人は「法と証拠」と答えるかもしれない。だが、冤罪は後を絶たないし、冤罪の疑いが強まっても耳を傾けない司法の姿が浮かぶ。著者は裁判官の頭には裁判の公正や司法の正義の概念はないと説く。司法権力という見えない組織にがんじがらめにされ、根拠を深く考えずに自動機械的に事案を処理する「司法囚人」の姿こそが裁判官の実像だと本書全体を通じて指摘する。
手厳しい意見だが、著者自身の悔恨もそこには含まれる。元裁判官だからだ。刑事裁判官として配属された2年間のうち、勾留を却下したのは1件だけだったと振り返る。その1件とは、駐車違反のおとり捜査に伴う公務執行妨害。著者は「検察官がこちらが阿呆かどうか探りを入れてきたケースだった」と背景を語る。
これをスルーしてしまうと、その後は、すべて検察官のやりたい放題になる。ボンクラ裁判官かどうか、試しているのである。-中略-「司法囚人」が勾留を却下する場合とは-それは統計上1パーセントにも満たないわけであるが-このようなケースである。市民の権利・自由を考えてのことではない。
つまり裁判所の、そして自分の面子を守るために勾留を却下しただけだったのである。
信じられない現実であるが、司法の世界ではむしろ「司法囚人」になりきれないと裁判官としての道を踏み外すことになる。本書では良識ある裁判官の「転落」事例をいくつも紹介している。
例えば冤罪が疑われている死刑確定事件の袴田事件で第一審の3人の裁判官のひとりだった熊本典道氏。後に当時の判断は間違っていたと告白した。当時は最も若かったために権力適合的な判決を書かされたが、熊本氏は良心に苛まれ、事件を機に裁判官を退官。司法試験に現役トップ合格した逸材だったが、弁護士活動をほとんどすることもなく現在は生活保護を受けていると伝えられるという。
また、死刑冤罪事件として知られる1950年に起きた財田川事件。被告の少年は一審から最高裁まで全て死刑判決を受け、死刑執行待ちとなっていたが、潔白を訴える手紙を一審の裁判長宛に出し続けた。何人かの裁判長が変わるうちに、矢野伊吉というひとりの裁判長が、事件を再調査する。冤罪を直感して、再審を開始しようとするが裁判長といえ他の裁判官が反対したため、再審合議の決定に破れる。万事休すと思われた矢野氏が取った行動は裁判官を退官し、死刑囚の弁護人に自らがなるという驚きの選択。その後、再審が始まり、無罪が確定したが確定までに10年以上かかり、矢野氏は無罪が確定する前に死去。裁判官に無実の確信があっても冤罪を覆すのは並大抵のことではなく、正義を貫くには組織を本当の意味で捨てない限り難しいことがわかる。
著者は裁判官をアイヒマンの官僚主義と重ねる。アドルフ・アイヒマンはナチスのユダヤ人虐殺の実行責任者で戦後逃亡していたものの、捕まり国際裁判にかけられた。極悪人とつるし上げられる中、彼は「私の罪は従順だったことだ」という陳述を行ったことは有名だ。総統の命令があったからやっただけであり、もし私が拒否していても、他の誰かがやったであろうと。権力を持つ大組織で合理化が進めば主体性は奪われ、構成員は代替可能な存在になる。思考停止の状態で形式的に事案は処理されていく。それは日本の裁判官も同じである。特定の裁判官が悪いわけではない。問題はむしろ根深い。
こうした状況に風穴をあける可能性があるのは裁判員制度ではと著者は期待を寄せる。ただ、市民は司法ゲリラになって「裁判官のやることなすこと全てに反対くらいでちょうどよい」と著者が声高に叫べば叫ぶほど、司法権力の問題の根深さを痛感してならない。