「私たちは自由よ」
表紙に掲げたこの言葉は、岡上淑子さんによるもの。1928年生まれの岡上さんは、1950年代、終戦後まもない東京で6年間だけコラージュ作品を作っていました。瀧口修造に認められて個展などで活躍していましたが、結婚を機に制作をやめ、知る人ぞ知る「幻の作家」となっていました。しかし近年「再発見」され、過去の作品の評価と人気が国内外で高まっています。1951年の作品《夜間訪問》を表紙に使わせていただいています。
私が岡上さんのことを知ったのは、とあるギャラリーでした。《夜間訪問》が表紙の作品集“Drop of Dreams”に一目惚れ。何の予備知識も先入観もないまま(海外の出版社から出されたその作品集は、表紙を一見しただけではアーティストの性別も国籍もわかりませんでした)、その世界観に魅了されました。
岡上さんが高知にご健在と聞いて、すぐに連絡をとり、お手紙やお電話でのやりとりを経て、約半年後に会いに行ったのでした。かわいらしく品のよいおばあちゃんは、半世紀以上前のことを実に鮮やかに語ってくださいました。そのときのお話と過去のいくつかの作品を、誌面でご紹介しています。
それからまもなく、一冊の雑誌を作るにあたって、表紙を岡上さんのコラージュにしたいと思ったのは、何かの必然だったのかもしれません。そして、冒頭の言葉。自らのコラージュ(の中の女性たち)について書かれたエッセイに出てきます。
彼女達は誇らしげに囁くのでした。「私達は自由よ」と。
(『机』1953年4月号より)
この「私達は自由よ」という言葉は、60年前に書かれたものでありながら、今の「私たち」にもふさわしいように感じられてなりません。歴史をふりかえれば、現代はあらゆることにおいて、ずいぶんと自由になったのはたしかでしょう。でも、今には今の閉塞や抑圧があることもたしかで、そこから生まれる苦しみや悲しみに是非はないはずです。それに、社会や制度といったことを措いても、いつの時代も私たちは不自由な存在で、だからこそ自由であろうとするのはないでしょうか。たとえば、「見ること」一つをとっても。
もしも世界の見え方がみんな同じようで、現実の見方まで画一化されているのだとしたら、画家や写真家などいらなくなる。目は自由であるべきだし、見方や見え方は多様であるべきだ。そうでなければ、見ることがこんなに楽しい体験であるはずはない。
巖谷國士「見ることの自由について」(『mille』所収)より
失った名前を自分で見つけ出すアリス。王子も魔法使いも必要としない大人のファンタジー。ときどき同じ夢を見るという双子。お気に入りのスカートを履いて「闘う」、オフィスの女性たち。椎名林檎と抒情画家・蕗谷虹児の比較芸術論。檸檬をめぐる6つの表現の競演。誇り高きミュータント。遠い国の古道具屋。今はもうない場所の記憶でたどる京都。京都で想うパリ。……と羅列したところで、それぞれの作品が持つ魅力は伝わりづらいので、ぜひ実際にお手にとってページをめくってもらえたら幸いです。書き手の方々すべてが、本当に素晴らしいものを手渡してくださっています。
身体は不自由。魂と想念は無限で、どこまでも自由。
わたしたちの世界はわたしたちだけのもの。千早茜「月夜」(『mille』所収)より
好きなものを好きと言うことも、夢見ることも、誰にも侵すことはできない。美しいものは強い。それらこそが現実に抵抗し、現実に向き合い、現実を生きるための力になる。そんなようなことを感じとってもらえたらうれしいし、まったく感じとらなくてもただひととき楽しんでもらうことができたら、いいです。
早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ
素晴らしき人生を得よ葛原妙子
丹所千佳 mille編集長