さすがに、読書の秋である。実りは、豊かだ。本書も、まちがいなく、今年度に読んだ小説の中では、トップ3に入るだろう。ナチによるユダヤ人大量虐殺の首謀者で、責任者であったハイドリヒ。「第3帝国で最も危険な男」「金髪の野獣」と怖れられたハイドリヒを、ロンドンに亡命したチェコ政府が暗殺計画を立て(ハイドリヒは、当時、ドイツの保護領であったボヘミア・モラヴィアの総督代理として、プラハに常駐していた)、二人の若者、ガブチークとクビシュをパラシュートで降下させる。類人猿作戦と呼ばれた暗殺計画は、紆余曲折を経て、決行された。そして、その顛末は。この物語は、現実の歴史(史実)を下敷きに、作者、ビネが、「小説とは何か」という永遠の命題に全力で取り込んだ類稀な力作である。そもそも、タイトルからして、チャレンジングであり、ビネの意気込みが十分、表出されているが。
主人公は、3人である。冷血を絵に描いたようなハイドリヒ。彼はまた極めて優秀な官僚であり、統治者でもある。ヒトラーが「とてつもなく才能があり、とてつもなく危険だ」と評したごとくに。スロヴァキア人のガブチークは、小柄でエネルギッシュな熱血漢、チェコ人のクビシュは、大柄で温厚、思慮深い。ビネは、この3人が織り成す物語を、257章に分け、語り手でもあるビネ自身が、タイムマシンに乗って、例えば1942年のプラハと現在を自由に行き来するあしらいをとった。もちろん、ビネはガブチークになることもできる。こうして、人間の喜怒哀楽が溢れた、それでいて、決して過剰にはならない稀有な物語が誕生したのだ。
ビネは、決して物語をおもしろくおかしく、勝手に創作している訳ではない。膨大な資料を渉猟し尽くして、細部に徹底してこだわり、その上に、主人公に生命の息吹を新しく吹き込んで、鮮やかに浮かび上がらせるのだ。また、歴史の太い流れや文脈をおろそかにすることも決してない。「戦争か不名誉か、そのどちらかを選ばなければならない羽目になって、諸君は不名誉を選んだ。そして得るものは、戦争なのだ」というミュンヘン会談後のチャーチルの発言も、きちんと引用されている。
本書は、2部構成をとっている。第1部は、うす暗いプラハのアパートの一室に潜むガブチーク(1章)から始まり(初めて訪れた壁崩壊前の百塔のプラハを思い出す。ゴーレムを買った)、音楽家になると期待されたハイドリヒの誕生(12章)から、暗殺の決行、クビシュが爆弾を投げつける(221章)までを丹念に辿っていく。
第2部は、その爆弾が破裂したところから始まる。第1部の300ページが、緊縛感溢れる舞台を入念に準備し、80ページの第2部が凝縮された3人のドラマを一気呵成に無台上に噴出させる。250章は絶唱である。特に最初の一段落を読めば、誰しも込み上げてくる熱い感情を抑えることはできないに違いない。3人の主人公が死に、凄惨を絶するナチの報復がそれに続いた。そして、現在、ガブチークとクビシュは救国の英雄となっている、が。
最後の257章は、フランスに向かってバルト海を滑って行く錆びた貨客船の船上である。そこで、ガブチークとクビシュが出会う。彼らは、先の見えない不安はあるけれど、ようやく侵略者と戦うことができるという喜びに胸を躍らせている。「そして、たぶん僕(ビネ)も、そこにいる」。深い余韻が残る。ナチに抵抗したチェコスロヴァキアを中心とした全てのレジスタンスに捧げられたオマージュの中で、これほど素晴らしい文学作品は、例を見ないだろう。恐らく、これからもしばらくはずっと。
訳文も、本書の素晴らしさに決して劣るものではないが、パスカル・キニャールの「アマリアの別荘」の訳者だと聞けば、合点がいった。
出口 治明
ライフネット生命保険 代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。