ここまであたらないものか。かつて、フランスのノーベル賞学者フランソワ・ジャコブはその著書『ハエ、マウス、ヒト』で、『予測不可能性は科学の性質に含まれている』と喝破した。もっとはっきり、科学予測は基本的に不可能である、と考えておいた方がよさそうだ。
1960年に出版された本の復刻版である。今はなき科学技術庁が『識者』に依頼し、来たるべき21世紀、40年後の社会における科学技術の成果について予測してもらったものである。大学教授などその道の錚々たる権威たちが執筆陣だ。
当時の大家たちであるから、ほとんどの方が亡くなっている。が、50年の時をへだて、復刻版の前文もオリジナルの前文と同じ人によって書かれている。それは、当時の科学技術庁長官、大勲位・中曽根康弘。二つの前文を読み比べてみるだけでもおもしろい。
オリジナルのプロローグタイトルは『二十一世紀巨峰へのベースキャンプ』。科学技術がいかに明るい未来を築くかが格調高く述べられている。復刻版も基調は似たようなものであるが、トーンはかなり低い。『予見の五、六割はすでに現実のものとなっている』というのは自画自賛もいいところだ。贔屓目に見ても2~3割にすぎないだろう。
出版された昭和35年といえば、時の首相・池田勇人により所得倍増計画が発表された年だ。当時と今をいくつかの数字で比較してみると、大卒初任給は当時1万6千円程度だったのが、今は21万円、そして、大学への進学率は8%弱から約50%へと増加。生活の基盤である道路舗装率はたった11%であったのがいまや80%。ものすごくおおざっぱであるが、世の中のでき具合というものが今の一割から二割程度、という印象だろうか。
二部構成、全12章からなる本であるから、さまざまなテーマがとりあげられている。その順番に何らかの意図があったかどうかはわからない。しかし、『原子力時代は花ざかり』という章が劈頭を飾っているのは科技庁からの明確なメッセージだろう。
日本では原子力発電はおこなわれておらず、計画が進行中というタイミングである。発電だけではなく、船舶や宇宙ロケットのエネルギーとしても、とことん明るい原子力エネルギーの将来が描かれている。福島の原発事故を経験した今、何か感想を言おうとする気すらおこらない。
宇宙飛行について、1970年までに人間も月へ、というあたりは、どんぴしゃり。21世紀までには携帯電話が発明されているであろう、という予測と並んで、めずらしくよくあたっている例である。が、それ以降の予想は残念ながらはずれまくり。原子力ロケットや核融合ロケットが開発されて、21世紀には、火星や金星にも人が住めるようになっているだろう、って、いくらロケットでも飛躍しすぎだ。
次に、身近でわかりやすいテーマとして、医学を眺めてみよう。人生80年時代がやってくる、と、寿命についてはかなり正確に予測できている。しかし、高齢化における健康問題にはまったく触れられていない。当時はボケ老人など少なかったのだろうか。宇宙飛行とならんで、ここらもかなり楽観的である。
しかし、もっと楽観的なのは、感染症についてだ。抗生物質の開発に酔いしれていた時代であったからであろう、感染症、それも細菌感染だけではなくウイルス感染まで、すべては世の中から無くなっていると予想されている。
がんについては、その原因はまったく不明であり、治療法も外科手術以外はほとんどない時代であったので、抗がん剤が二十世紀中に開発されたらうれしいなぁ、といった感じで書かれているにすぎない。胃潰瘍については、治療薬などまったく想像されていなくて、ストレスあふれる二十一世紀の代表的消化器病になっていると予測。文字通り、隔世の感がある。
おもしろいのは、人工臓器の開発がかなり楽観視されているのに対して、臓器移植は拒絶反応があるから難しかろう、とされているところだ。免疫抑制剤の開発が全く想定されていなかったためにこうなっている。もちろん、実際の医学の歴史はまったくの逆目を進んできた。
もうひとつ紹介しておきたいのは、コンピューター、ではなくて、電子計算機、についてである。真空管式のコンピューターで、ようやく応用的なことに使われるようになり始めた時代だ。そんな状況であったが、電子計算機の威力によって、いろいろなことがオートメーション化され、家庭にも普及し、いろいろなことをやってくれるようになる、というのは、相当にすばらしい予想である。拍手!
が、過大な期待もされていて、多くの決定事項、会社の経営など、も、人間が考えるよりも電子計算機によっておこなわれるようになった世界が描かれている。このあたりは、電子計算機に対する期待の大きさがうかがえる。しかし、インターネットなどというものは、まったく空想もされていない。
この本を読むと、いくつかの面白いことに気づく。一つは、ほんとうのイノベーションというのは、何十年も前に予想することが不可能である、ということだ。インターネットしかり、免疫抑制剤しかり。それまでの常識を覆すほどの威力がある発明・発見は、ある時、偶発的になされるものなのだ。
もう一つは、その直前に大きな進展をとげている事柄は、過大な発展が期待される傾向がある、ということだ。原子力の利用や宇宙開発、あるいは、感染症の撲滅、などがそれにあたる。世間の気分、いや、科学者の気分というのもそういうものなのだろう。
イノベーションに予算を、ということがよく言われる。しかし、この本を読むと、将来を的確に予測して予算を効率的に投下することがいかに難しいかがわかる。イノベーションにつながるから研究費を大量投下しようとするとき、真摯に確認しなければならない。その決断が、時代の空気に流された過大な評価によるものではないということを。
真のイノベーションの芽など、どこにあるか、誰にもわかりはしない。
それこそが科学の本質であり、科学の面白さなのである。
ここまでいったらほとんど『とんでも本』状態。おもしろい本だったけど、絶版。