花火のふしぎ 花火の玉数は数え方しだい?美しい花火の基準とは?
- 冴木 一馬
- ソフトバンククリエイティブ
- 2011/7/21
今年も、花火の季節がやって来た。本書は「ハナビスト」こと花火写真家の冴木一馬さんによる花火解説本である。
冴木さんは、講演会などで必ず「花火は平和の象徴である」と言っているらしい。本書にもその記述がある。2011年現在、国連加盟国は192カ国だが、そのなかで花火が開催されているのは約30カ国だ。さらに、個人がお店でおもちゃ花火を買えるのは15カ国くらいしかない。販売時期が限られている国もある。ということで、おもちゃ花火を自由に買って遊ぶことができるのは日本の特徴で、平和の象徴なのだ。
小学校の頃、夜になると学校のグラウンドでおもちゃ花火をやった。ねずみ花火とか、パラシュートとか、なんか、ブーンって飛ぶやつとか。最後を飾るのはロケット花火だった。懐中電灯のまわりにカナブンが飛んできた。そうか、海外にはあまりないのか。
本書は “サイエンス・アイ新書” の一冊で、花火の種類や作り方、打ち上げまでのプロセスなどを画像満載でお届けする。例えば、花火の名前について言えば、打ち上げ花火には、「昇小花付 八重芯 引青紅降雪 (のぼりこばなつき やえしん ひきあおべこうせつ)」のような風流な名前(玉名)がついている。上記は「上昇しながら小さな花が咲き、三重の芯があり、 (尾を引く菊型の星花火で) 引きが青から紅色に変化して、最後に真綿のように白くなる花火」という意味だ。日本オリジナルな花火の典型だ。
どのあたりが日本のオリジナルなのかと言うと、まず、同心円状の輪(芯)をもつタイプというのがオリジナルだ。3重の芯を持つ「八重芯」は、「花火の神様」と呼ばれている紅屋青木煙火店創業者の青木儀作さんが開発した。このあたりは、『長野の花火は日本一』も詳しい。八重芯は、まず小さい玉(芯星)をつくり、その後、マトリョーシカよろしく外側に同心円構造を付け加えていく。この「抜き芯」と呼ばれる技法は、”雁皮紙” という日本独特の和紙を活用して初めて可能になったらしい。現在では、四重芯・五重芯の花火も作られている。
青木さんは、この八重芯に加え、掛け星(丸星)という日本独特の星火薬を完成させた。海外の星火薬は型に詰めた火薬をプレスで打ち抜いたものであるが、これでは単色の星火薬にしかならない。日本の掛け星は、芯となる粒に火薬をまぶしては乾燥させ、1日数ミリ単位で薄皮を成長させていく。この作り方は、餅米を蒸したものを挽いて粉にした「みじん粉」を糊として使用することで可能となったと言われているが、これによって、飛んでいる最中に色が変化する星火薬が出来た。『日本の花火はなぜ世界一なのか?』によれば、約6.5秒飛びながら燃焼する間に6色変化した星火薬もあり、動体視力で認識できない程の変化だったらしい。究極にチャレンジする花火師魂である。
これだけカラフルな日本の花火であるが、それは明治の初めに化学薬品が輸入されるようになってからのもので、それまでは赤橙色の単色の花火(和火)だった。夏目漱石がイギリス留学前年に詠んだという句に「化学とは 花火を造る術ならん」というものがあるそうだ。花火の進化が社会的にも認知されていたのだろう。
また、「打ち上げ花火」が出てきたのは江戸の末期で、それまでは竹筒からの「吹き出し花火」だったらしい。つまり、本書85ページにも載っている歌川広重 「名所江戸百景」 の 「両国花火」 に描かれているのは吹き出し花火だ。それにしては、ものすごい高さまで噴き出している。この頃の両国花火は一晩に12発程度。1回ごとに筒を掃除して詰め替え作業を行うので、45分間隔のイベントだったらしい。間欠泉みたいだ。他の事をしながら、たまに始まる花火を楽しむしかない。夜を通じて行われる風流な催しだったのだろう。
現在は花火をコンピューター制御で打ち上げることができるようになり、水色やオレンジ色のパステルカラーの花火も登場した。大きさ的には今や4尺玉(40号玉)まで存在する。これは新潟の片貝まつりで打ち上げられ、ギネスブックに登録された。上空800mまで打ち上がり、直径800mの大きさで開発(爆発)する。直径120cm、重さ420kg、打ち上げるために23kgの火薬を使用する。デカい。この片貝まつりと、大玉打上合戦をやっているのは、隣町の長岡まつりである。大曲・土浦と並ぶ、日本三大花火大会だ。
この長岡まつり、もともとは第2次大戦の長岡空襲からの復興を願って行われた “戦災復興祭” が起源である。2005年には、水害・中越大震災・豪雪の自然災害からの復興を願って「フェニックス」を打ち上げた。「フェニックス」は、今年の石巻川開き祭りでも打ち上がる予定だ。震災後早々の4月1日に開催を発表して話題になったが、資金難であった。長岡まつり協議会が支援を申し出た。今年の隅田川花火大会は時期をずらして開催されるが、その起源は1733年まで遡る。「大川の川開き」として、大飢饉とコレラの死者を弔うため、三ヶ月の間、毎晩花火が打ち上げられた。「花火の神様」がいた青木煙火店は、終戦直後の昭和20年9月に花火を打ち上げている。花火は災害後の心に訴えるのだろうか。
花火大会も、花火自体も、思い出として残る 「消え物」 だ。あの時は随分遠くのコンビニまで買い物に行ったなあ、とか、あの時は随分日焼けしたなあ、とか、思い出すことができる。そうやって、毎年、記憶を作ってきた。今年はどうだろう。未来の自分は、今年の花火をどのように思い出すだろうか。今年も、花火の季節がやって来た。
- 小野里 公成, 武藤 輝彦
- 信濃毎日新聞社
- 2001/11
- 泉谷 玄作
- 講談社
- 2010/6/22