今年これまでで、もっとも面白かった本である。書評を書くと決めた本を読むときには、引用したいページに付箋を張りつけるのだが、あまりに数が増えたため、さらに厳選して別の付箋を張りつけたほどだ。おそらくボクにとって今年の科学読み物ナンバーワンだろう。
著者はオックスフォード大学の認知・進化人類学研究所所長だ。「気のおけないつながりは150人まで」という「ダンバー数」の発案者だ。この150人とは部族、軍隊などだけでなくSNSにおいても見出すことができるとして、ネットで有名になったらしい。そのため、2匹目のドジョウを狙ったらしく、本書の原書タイトルも『友達の数は何人必要か?』となっている。しかし、このダンバー数についての記述は全20章中たった1章のみなのだ。
じつは本書は生物の進化を縦糸にし、科学の森羅万象を横糸として織り上げたタペストリである。ひどく上質な科学トリビアも織り込まれている。どれだけのものが織り込まれているか数章から抜き出してみよう。
第1章は脳と男女についての9ページだ。鳥類・哺乳類を問わず体格のわりに脳が大きい種はまずまちがいなく一雌一雄だという。また、脳の新皮質の大きさは集団内のメスの数に比例しているのだともいう。すなわち大きな新皮質はメスのおかげなのだ。ここまでは本筋なのだが、話は性染色体と網膜の錐体細胞に飛躍し、X染色体が1つしかない男は赤青緑3色しか見えないが、X染色体が2つある女性には4色視、5色視の人がいるとつづく。女性は簡単に男の顔色をみてウソを見破ることができるというのがサゲである。
第4章は民族についての12ページだ。冒頭で現代遺伝学の研究成果として生きている男性の0.5%はモンゴル帝国の偉大なる将軍か兄弟の血筋を受け継いでいることを提示する。Y染色体のDNA配列タイプ分析したのだ。そして話はチンギス・ハーンからインド・ヨーロッパ語族の来歴、バスク語の特殊性に飛び、パキスタン北部に住むアレキサンドロス大王の末裔部族たちの話を経由して、フェニキア人起源の遺伝子配列におよぶ。最後はアイスランド人の遺伝子のエピソードだ。アイスランド人のY染色体はスカンジナビア起源なのだが、女性の遺伝子の50%はケルト起源なのだという。この遺伝子痕跡から判るのは、スカンジナビアの男たちが新天地アイスランドをめざして西進し、途中のスコットランドで女をさらって行ったというのがこの章のサゲだ。
惜しげもなく書かれている上質の科学トリビアをすこし紹介してみよう。単婚動物のオスに働きかけパソプレシンというホルモンがある。ある研究者がこのホルモンの受容体に関わる遺伝子を突き止め、対立遺伝子334のコピーをいくつ持っているかと、結婚生活の関係について研究している。この遺伝子を持っていない男は単婚、コピーが1つあれば多婚の可能性があり、2つ持っていれば完全なる遊び人だ。
アフリカなどの熱帯地方で言語共同体の規模が小さいことと、熱帯での感染症の頻度と重症度の関係。中国の少子化政策によって生まれる3,700万人の余剰男性と、彼女のいない男の子が社会の脅威であること。マンモスの絶滅と少数民族言語の消滅と医薬情報の消滅の関係など、いちいち本を読みながら首を振って納得してしまうので、首が痛くなる。
これだけ抜き出しみても、まだまだ本書の数%にも及ばないから心配にはおよばない。本書の読み方としては、それぞれの章がゆるく結合しながら独立しているので、20日間かけてググりながら楽しむことをお勧めする。これで1600円。1日80円だ。良い本以上に安い娯楽はないという見本である。
それにしてもなぜシェイクスピアが偉大な劇作家と呼ばれるのかについて進化心理学から説明してくれたことには驚いた。シェイクスピアは6次志向意識水準で作劇していたのだという。それがなにを意味するかは本書を読んでのお楽しみである。