デザインという言葉が、これほど広い意味で使われるようになったのはいつ頃からだろうか。僕が広告業界に足を踏み入れた時にはまだ、デザインとは特定の職群の人たちの美的関心事を指していたように思う。だが同じ頃、営業の仕事とは「絵を描くことである」と教わった記憶も残っているから、既に現在使われているような広義の意味は含まれていたのかもしれない。
この言葉がこれほど頻繁に用いられるようになった理由の一つに、創造性と能動性のイメージを伴なっていることが挙げられる。たとえば営業の仕事を「アカウントをデザインする」と表現すれば業務の意味が変わってくるだろうし、書評を書くことだって「文脈をデザインする」と置き換えると、書く内容も変わってくるかもしれない。
だが、本書はこのような「デザイン」という言葉の持つイメージを真っ向から否定する。それどころか、ダーウィン以来定説になっている「進化に網羅的な方向性がない」という考え方にも異を唱え、さらには「世界のやり直しはまったく異なる結果を生む」というスティーヴン・ジェイ・グールドの有名な主張にも立ち向かおうとするのだ。
著者によれば、デザインとは自然の中で自ずと生じ、進化している現象のことを指すのだという。要は、自発的で科学的なものとして取り扱っているのが特徴である。それだけでなく、人間を取り巻くものの一切のデザインが、たった一つの物理法則によって形作られているとまで言う。そしてその法則は、以下の2行の言葉に集約されるのだ。
有限大の流動系が時の流れの中で存続するためには、その系の配置は、中を通過する流れを良くするように進化しなくてはならない。
コンストラクタル法則と名付けられたこの法則を最初に目にした時には、正直何が凄いのかよく分からなかった。低速での近距離の流れと高速での遠距離での流れが一緒に機能する、いわゆる樹状構造のようなものであるなら、よく知られた現象でもあるからだ。
だが、真に驚くべきはこの法則の適用範囲の広さという点にあった。これを本書の前半部では、電子機器から熱を取り除くためにデザインされた人工の冷却システム、河川流域、私たちの身体中に酸素とエネルギーを運ぶ血管の系などを地続きに見ていくことで明らかにしていく。
これらの系というのは、それぞれ別個に研究されることの多かった領域でもある。これを流動系というフレームに入れ、デザインという観点に着目することにより、共通項を見出だせる。Nature、HumanからArtまで、言わばリベラルアーツを横断するような形での視点を獲得することが可能になるのだ。
さらに驚くのは、この法則の後半に記述されている「流れを良くするように進化しなくてはならない」という一節である。つまりこの法則は、適用範囲という空間軸だけではなく、時間軸にも及ぶ3次元の法則であったのだ。本書の後半部ではこれらを示すために、スポーツの記録、道路網、メディア、社会の階層性といった領域にまで話を広げ、予測可能な進化の世界を描き出していく。
たとえば、都市のデザインというものを見てみよう。この場合、コンストラクタル法則に基づくと、遠距離を高速で移動するのにかかる時間と近距離を低速で移動するのにかかる時間との間には、均衡が存在することになる。つまり技術の進化によって、遠距離を高速で移動する速度が変わると、低速で移動するための町並みにも変化が訪れるということだ。
古代における牛が引く時の荷者の速度と、現代における自動車での移動を前提として比較してみると、はたしてどうなるだろうか?これは、地図上で古代からの町と新しい町とを重ねあわせることによって解を導くことが出来る。そして進化がまさに予測可能であったということが明かされるのだ。
このように無生物、生物、工学技術などを串刺しにして対比できることの意味は大きい。生命は動きであり、この動きのデザインをたえず変化させることと定義できるからだ。「ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず」とはよく言ったものである。
一般に地球上の生命体は、35億年ほど前に始まったとされている。だがこの定義に則ると「生命」の始まりはそれよりもはるかに古く、太陽熱の流れや風の流れといった最初の無生物の系が、進化を続けるデザインを獲得した時と考えることができる。この捉え方によって、生命の概念は生物学から切り離され、意味を拡張して考えることが可能になるのだ。
なんだか、途轍もないものを見てしまったような気がする。目の前の1個のドミノが倒れることによって、パタパタパタと音を立てて、全ての景色が塗り替えられていくような壮観さが本書にはある。生命を生物学から解き放った革命の書。読んだというより、目撃したという感覚の方が近いだろうか。
最後にコンストラクタル法則が成立する範囲についても、明示しておきたい。一見万能にも思えるこの法則が成立するためには、「効率性を追求する」ということが前提条件になってくる。裏を返せば、予測不可な結果を生み出したければ、効率性を無視したふるまいが必要であるということも意味していると思う。これはこれで示唆に富む。
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