1981年から2000年までマイクロソフトで働いていた私にとっては、まさにデジャヴでもみているかのような物語だ。いまをときめくグーグルも、いつかは普通の大企業になり、それにつれて一方的にパンチを浴び続けていたメディア業界や広告業界なども気を取り直して反撃に転じ、創業期のメンバーが次々と退職し、やがて若いパンチ力のある会社と新しいビジネスモデルの出現を目の前にして呆然と佇むであろうことを確信した。それはまさにAT&Tやマイクロソフトが辿ってきた道なのだ。
いやグーグルはAT&Tやマイクロソフトほど陳腐な会社ではなく、グーテンベルグの印刷術やライト兄弟の航空機に匹敵する革新を生み出し続けているから、衰退などありえない、と主張する読者もいるだろう。しかし、少なくともAT&Tのベル研究所がなければ、そもそもトランジスタは発明されてないのだし、マイクロソフトの貪欲さがなければ、パソコンの普及は遅れ、半導体価格は子どもたちがスマートフォンを買えるまでに下落していなかったかもしれない。グーグルもまた連綿とつづく技術とマーケティングのイノベーションの先端に、たまたまいま位置しているだけかもしれないのだ。
ところで、グーグルやアップル、マイクロソフトなどはアメリカでしか生まれようのない企業である。日本にこのような企業が存在しないことを嘆く必要はない。ヨーロッパでもアジアにおいても、すなわちアメリカ以外ではこの3社のような企業が成功したことはないのだ。
世界を標準で制覇するような企業が、アメリカでしか生まれようがない第1の理由は、創業者の激烈な性格にある。すこぶる高知能にして傲慢、激烈な功名心と徹底的な猜疑心、その激烈度はアメリカ以外の先進国では正常とみなされないかもしれない。アメリカ以外では学校という標準化過程のなかで落ちこぼれてしまい、社会に出てからは異常者とみなされるかもしれない。しかも、彼らは世間から攻撃されやすい自分たちを隠すために、外部からCEOを雇い入れる悪知恵すらも持ち合わせている。悪知恵といっては失礼だとすると、明敏な頭脳であろう
第2の理由はその恐るべき創業者の可能性に群がってくる無数の優秀な技術者と、勇気あるベンチャーキャピタルの存在だ。多くの日本やヨーロッパの技術者は、より安定している研究所という象牙の塔に籠ることができる環境を選びがちだ。しかし、アメリカでは技術者も一攫千金を狙うハンターだ。必ずしも金銭報酬目当てでないとしても、歴史に残る製品を作るという野望がある。
アメリカ以外で組成されたベンチャーキャピタルは、銀行などの金融機関の資金を運用するため、保守的でリスクをとることを恐れるが、シリコンバレーでは過去に成功した人物のポケットマネーを運用することも多く、ハイリスク・ハイリターンを好む。このように、ごくごく初期にヒトとカネを一気に集めることができるのはアメリカだけであろう。
第3に英語圏という圧倒的な市場経済力だ。英語を母国語または第2言語としている人口は最低でも八億人だと言われている。ソフトウェアやウェブ上のサービスは、鉄鋼や石油を必要とする自動車製造や電力会社と異なり、製造原価はゼロに等しい。そのため初期開発費をどうやって回収するかが最大の関心事となる。ひとつのサービスを開発するために8億ドルかけた場合、英語版であれば8億人いる潜在顧客1人あたりの開発費は1ドルだが、日本語版であれば潜在顧客は1.3億人しかいないので6.15ドルにもなる。つまり、同じサービスをするのに日本語版だと6倍もの対価を徴収できなければ競争にならないのだ。逆にいうと英語版の開発に日本語版の6倍もの開発費を投入してもよいということになる。
このようにアメリカという国そのものが、ベンチャービジネスの巨大インキュベーターなのだから、無数の会社が毎時毎分生まれてきている。いっぽうで無数の会社が毎日倒れているはずだ。その中でグーグルがスーパースターとして輝いている理由を1998年の設立時まで遡って探ったのが本書である。
1998年、著者はWindows98を出荷して絶好調のビル・ゲイツにインタビューを申し入れた。インタビュー中「最も恐れている挑戦者は?」と聞いた。この時ビル・ゲイツは沈思黙考したらしい。そしてその答えはオラクルでもアップルでも連邦政府でもなかった。彼は
「怖いのは、どこかのガレージで、まったく新しい何かを生み出している連中だ」
と答えたのだ。まさにこの年、ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンがスタンフォード大学近くのガレージでグーグルを創業した。このときペイジとブリンはご丁寧にもガレージの入り口に「グーグル世界本社(Google Worldwide Headquarters)」という看板を掲げていたという。のちのグーグルアースなど、地球規模だからこそ意味のあるサービスに繋がるグローバル性は、生誕のときからグーグルのDNAに刻み込まれていたのだ。
それから3年後の2001年、ビル・ゲイツと同い年生まれのエリック・シュミットが、マイクロソフトの長年のライバルであったノベルを退社し、グーグルのCEOに就任した。奇しくもこの2001年には、やはりこの2人と同い年生まれで、グーグルと同様、実家のガレージでアップルを設立したスティーブ・ジョブズがiTunesサービスを開始している。iTunesこそはiPodとiPhoneの母艦であり、のちにiPhoneやタブレットPCのiPadはグーグルのアンドロイド端末と一騎打ちをすることになる。まさに禍福は糾える縄の如し。水滸伝や八犬伝を彷彿とさせる光景がそこにある。英雄・好漢たちのカネと名誉をかけた戦いだ。
この時、マイクロソフトとアップルにとって稼ぎ頭は明白だった。WindowsやiMacという手にとることができるパッケージ製品である。いっぽうでグーグルにはそれに匹敵する、すなわち販売店で買うことができるような商品はない。あくまでもサービスだけだったのだ。そのため当初3年間は赤字だったグーグルだが、2002年ついにCPC(コスト・パー・クリック)型アドワーズとアドセンスという画期的な広告手法を生み出す。これを境に黒字に転換したグーグルは2004年の株式公開で莫大な資金を調達し、2006年にはユーチューブという新兵器を手に入れることになる。
本書は1998年から2009年までのグーグルを描いた本だ。それ以降のグーグルについて、短くまとめてみよう。
2009年、NTTドコモより日本初のアンドロイド携帯電話発売。
2010年、Google TVや自動運転カープロジェクトなどを発表。
2011年、You Tube Live、Google+を発表。
2012年、個人向けにGoogle Glassを発表。法人向けにGoogle Compute Engineや地理空間情報ソリューションなどを強化。
残念ながら、どれ一つをとってもグーグル検索やアドセンスに匹敵するほどの破壊的な新技術や新サービスが出てきたという印象はない。現在のグーグルは4万人の社員を擁する企業だから、提供しているサービスも無数にあり、対象も個人だけでなく法人や公的機関も含むし、収益も当初の広告収入だけではなくなってきている。顧客どころか専門家もすべてを理解することは不可能だ。経営は複雑になるばかりであろう。本書でも経営学の歴史的名著『イノベーションのジレンマ』を書いたクリステンセン教授が
「グーグルのビジネスモデルを盤石と見るべき根拠は何もないね」
と答えている。
『イノベーションのジレンマ』は巨大企業が株主などの期待から、その巨大な市場や利権を維持する努力をするがゆえに、カニバリゼーションを恐れ、新規事業を起こすことができず、やがてベンチャービジネスにとって代わられるという理論だ。冒頭のデジャヴはグーグルの巨大化が進むにつれて真実味を帯びてくるのだ。
グーグルもいつか普通の企業となる。しかし時代がグーグル以前に戻ることはないだろう。また本書はグーグルに関わる人間、戦略、思想、価値観、技術、マーケティング、競争など現在進行形の素晴らしいケーススタディになっている。語り口はじつにスピーディーで、情報の密度は高く、読み応えがある。原典にもあたってみたが、翻訳も素晴らしく、非の打ち所がない。グーグルのユーザーとして、競争相手として、就職先として、なによりも現代を生きるビジネスマンとして価値ある一冊だ。