HONZの朝会で、本書を取り上げた。東えりかが、「8月の今月読む本」として記事にしたさい、この本に付けたコメントに「あまちゃんブーム」という言葉が書かれていた。実はそれがTVドラマのことだと知らなかった。かくのごとく、世情に疎い私が本書を手に取ったのは、無論ブームに乗ったからではない。そもそも、あまちゃんブームを知らなかったのだから乗りようがない。ではなぜ手にしたのか。それは表紙と巻頭にある、裸体の海女たちが、海の中で揺らめく美しい水中写真に魅せられたからだ。
本書は1920年生まれの水中撮影家、大崎映晋がライフワークとしていた海女たちの調査の過程での出来事などを綴ったエッセイをまとめたものだ。著者の本で写真と対談が中心の『海女たちのいる風景』という本も今年の四月に発売されている。本書は、この写真集と合わせて読むことをお勧めする。
なんといっても、今では見ることのできない、古代から続く裸体の海女たちの写真は、人魚のように美しい。彼女たちは、現代の女性のように手足がすらりと長いというわけではない。しかし、海中で煌く光のカーテンの中を、「はちこ」と呼ばれる褌のみを身にまとい優雅に、それでいて力強く泳ぐ海女たちの引き締まった四肢と女性特有の柔らかな肉体が、水中という一種の無重力に近い状態の中で、陸では決して見ることのできない妖艶な姿を見せている。それは、生命力に満ち溢れた女性の強さを内包した姿であり、太古の昔から、この島国で女性たちによって紡がれた風習と糧を繋ぐ営みだ。また、僅か数十年前に姿を消してしまった文化の記念碑でもある。
海女の文化は日本人多数にとっても一種、独特なものである。ましてや外国人にとっては理解しにくいものだ。著者はノーベル文学賞作家のパール・S・バックの『つなみ』という作品が映画化される際に、水中撮影の依頼を受ける。しかし、台本にある海女たちの生活や文化があまりにも現実とかけ離れていたために断る。大崎映晋のその反応にむしろ興味を惹かれたのだろう。パール・S・バックは彼と対談したのち、大崎に台本の書き換えを依頼し、正式に映画制作に加えさせたのだ。
実際に写真を見ると、深い場所に潜る海女さんの腰には「たくなわ」と呼ばれる縄が付けられており、縄の先は船上の男たちが握っている。外国人の目からは、過酷な労働を奴隷のように縄でくくられた、裸体の哀れな女性が強要されているように見えるのだろう。しかし、著者はそれを間違いだという。「たくなわ」を握る男性は親か兄弟。あるいは夫といった、海女が信頼できる男性たちだ。
鉛の付いた「たくなわ」を腰に巻き、一気に水深深くまで潜る海女には、獲物を抱えて浮上するだけの力が残されていない。船上の男たちが海女の合図を捉え、彼女たちを水面に引き上げる。とても力のいる仕事である。また海女との連携が欠かせない作業だ。もしタイミングを誤れば海女は溺死してしまう。そこには、深い愛情と絶対の信頼関係が必要なのだ。
海女は海女町にとって一番の稼ぎ頭。輪島市舳島の人たちは、男の子が生まれても祝いはしないが、女の子が生まれると赤飯を炊いたという。「娘が三人いれば、蔵が建つ」とも言われていた。彼女たちの暮らしぶりは明るく大らかで、とても活き活きしていたようだ。海女町ではどの家も台所やお風呂場などが豪華であったという。主婦でもある彼女たちが、稼いだお金を惜しげもなく、水回りにつぎ込んだのだ。外国人が連想するような、男尊女卑による強制労働の姿はそこにはない。むしろ、当時の農村社会よりよほど女性の立場が強い社会だったのかもしれない。
というのも当時は、若くして寡婦になった女性は、ひとりの稼ぎで生きて行けず再婚するものであった。だが、海女町では女性ひとりの力でも生活できるため、再婚しない女性が多かった。海での仕事を生業としていた男たちは海難事故で死亡することが多く、若い寡婦の海女さんたちが多く存在していた。彼女たちの恋愛はかなり自由であったようだ。
著者も面白い経験をしている。ある海女町の旅館に宿泊しているとき、若い海女さん5,6人に部屋を襲撃されたのだ。海女による集団夜這いだ。男としては、何とも羨ましい限りだ。しかし、海で鍛えられた健康な女性5,6人の相手を一人でしては、こっちが体を壊してしまう。と、恐怖を感じた著者は海女さんたちを押しのけ一目散に逃げ出したというから、もったいないような、気の毒なような話である。
海女の文化は日本列島と朝鮮半島の一部にのみ存在する。元々はアジアの広い範囲で行われていたのか、あるいは日本で生まれ、朝鮮の一部に伝来したものなのかはよくわからない。全国の海女町では、その地方と違う方言を話している海女町も多数存在することから、古代より海女とその家族は各地を移動しながら暮らしていたのかも知れない。古代地中海のギリシャ人やフェニキア人のように。
むろん彼らのような商業を中心とした人々ではなかったので、海女町同士の海のネットワークがそれほど大規模だったとも思えない。だが、縄文時代から続いて来たであろう、海女の文化と暮らしぶりを、本書の写真に写る、海女たちの中に想像しながら、楽しむのも読書の醍醐味のひとつであろう。
各地を回遊する美しい人魚が、地元の漁師の若者と恋に落ち、その地で「かずき」を始めた。そんな古代神話のような夢物語も連想してしまう。そして、太古から変わらぬ裸海女とかずきの姿を、直に目にすることができた著者を羨ましく思う。もうその美しい姿を決して見ることはできないのだ。
:大崎映晋著『海女のいる風景』の関連動画
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