『悪の引用句辞典』 三段活用のススメ

2013年8月25日 印刷向け表示
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「知」は引用から始まる。

フランス文学の碩学・鹿島茂先生の手によるエスプリの利いた引用句辞典の登場だ。いざスピーチ原稿や文章をしたためようと思い立ったものの、なかなか筆が進まないという経験はないだろうか。そんなときも引用で万事解決。シェイクスピア曰く、ゲーテ曰く、と名著から一節をちょいとばかり失敬し、「そう、自分もそれが言いたかった」と思いの丈を後に続けて綴っていけばよい。引用とは、自分の考えを引き出す呼び水でもあるのだ。

引用が必要な場面にいつ何時出くわすか分からない現代人にとって、広い分野をカバーする本書は頼もしい。人生論や処世訓、政治・経済から少子化、いじめ問題までを、マキアヴェリにホッブス、シャネル、バルザック、森鴎外からジャレド・ダイアモンドまで、計69人、71の名句を用い、時事的な話題に切り込んでいく。各ご家庭にこの一冊、お手元に置いておくと重宝すること請け合いだ。

たとえば、テレビのバラエティー番組ばかりで勉強が捗らないお子さんをお持ちのお父さん。ひな壇芸人のトークもうるさいばかりでどこが面白いものやら困ったものだ、などと言い始めると愚痴っぽくなってしまうが、引用辞典を使えばお笑いブームへの苦言も一家言に早変わり。おもむろに、フランスの哲学者・ベルクソンを引き合いに出してみよう。

笑いには、現実のものであれ、想像されたものであれ、ともに笑う人々のあいだの了解済みの底意が、私に言わせれば共犯性が、潜んでいる。
『笑い 喜劇的なものが指し示すものについての試論』

ベルクソンが指摘するように、笑いはある特定の人間集団に幻想的に属しているという共同体意識を前提としている。問題は、いまの若いお笑いタレントにとってこの<>が非常に狭く見積もられている点にある。テレビの中の「同類」の笑いは取れても、画面のこちら側にいる視聴者の笑いは全く取れないという道理を説けば、年ごろのご子息も少しは耳を貸してくれるかもしれない。

時代の潮流を見通したいという方にも本書はおススメだ。本書はもと新聞掲載記事でもある。過去の歴史的事件や先人の言動をふまえ、ときには当時から見越した近未来の予言めいたことが書かれているのだが、今振り返ってみると、その予言はことごとく当たっているのだ。

今から時を遡ること4年あまり、2009年7月の都議選で大敗した麻生政権に対し引用したのが、ラ・ロシュフーコーの箴言集から次の言葉。

名門の名は、そのよき担い手たり得ないものを、引き立てるかわりに卑小にする。

われわれは、自分の実力以下の職に就けば大物に見える可能性があるが、分に過ぎた職に就くと、しばしば小物に見える。

『ラ・ロシュフコー箴言集』

就任直後に解散という伝家の宝刀を抜かなかったことに対し、著者は麻生元首相の判断ミス・「決断しない」という愚行を犯した、などと容赦しない。加えて、「ラ・ロシュフーコーの箴言は麻生政権のみならず、当時、誕生が予想された鳩山民主党政権によって真実性が裏書きされてしまう可能性もまた十分にある」との指摘もご明察だ。

この他、マキアヴェリの引用からイラク戦争失敗後のアメリカ軍イラク撤退を予想しこれも的中。今だ現在進行中の時事テーマについても語られており、この「引用句辞典」は「近未来の予言書」としても読めるかもしれない。アベノミクスの行く末も、トクヴィルやジャック・アタリなどフランス人政治思想家・経済学者の著作を引き合いに語られている。将来を見通す歴史認識・視座を名著のエッセンスから学びたい方にも本書は最適だ。

本書は古典的名著のブックリストとしても活用できるだろう。古今東西、時代と場所は変われどその著作が引用に足るというのは、その思想が普遍性を持ち、語られる言葉が力を失わず色褪せないということの表れでもある。

「6. 教育の顧客満足度」で引き合いに出されているのは以下の11冊。学力低下にいじめ問題、マンガの功罪などを思いつきで語り始める前に、先人の言葉を紐解き自らの考えを深めたほうが、有意義な議論や建設的な提案も生まれてくるというものではなかろうか。

ウィリアム・シェイクスピア 『リア王』

アラン 『幸福論』

エミール・デュルケム 『道徳教育論』

菊池 寛 『半自叙伝・無名作家の日記 他四篇』

ポール・モラン 『シャネル―人生を語る』

ミシェル・ド・モンテーニュ 『エセー』

オノレ・ド・バルザック 『ゴリオ爺さん』

ルース・ベネディクト 『菊と刀』

ルネ・デカルト 『方法序説』

T・S・エリオット 『文芸批評論』

森鴎外 『妄想』

知性を磨こうと思い立ち、ときには噛み応えのある名著に取り組むのも良いものだ。本書は、そんな読書のよき伴侶・道しるべとなってくれる。政治、経済、恋愛など、様々なジャンルで書の処方箋を必要と感じている方にも、ぜひ本書を手に取ってもらいたい。

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